第五十八話 治療ではなく、ドーピング

 梓の告白で自分に自信を持った主人公様は、へたれな自分を乗り越えて覚醒した。本来であれば、そのまま物語はハッピーエンドに向かうはずだった。


 きっと、今日という転機を経て、竜崎龍馬は大きく飛躍できたはずだろう。メインヒロインである霜月を始めとして、今はまだ関係性が曖昧なままのサブヒロインたちを続編で次々と攻略していったはずだ。


 だが、そんなこいつを邪魔したのは、モブキャラでしかなかった人間だった。


 中山幸太郎。

 つまり俺は、竜崎龍馬にとって唯一の誤算である。

 何者にもなれなかった俺は、しかし霜月のおかげで役割を得た。彼女のために、という名目で主人公様にとっての悪役を振る舞い、そしてあいつを責めたてた。


 そうして、物語は破綻した。

 途中までなんとか形を保っていた竜崎龍馬のハーレム物語は……俺という異分子によって、ぶち壊されてしまったのである。


「なんで、お前なんだ? どうして、そんな地味で目立たないモブのくせに、しほの『特別』になれたんだっ。中山、お前は何も特別じゃないのに……俺の方が、絶対にしほに相応しいのにっ」


 否定しても、結果は変わらない。

 今、霜月の隣にいるのは俺で、彼女を泣かせたのは竜崎だ。


「しほも、どうして振り向いてくれないんだよ……俺、しほのことが好きだったから、他の女の子に誘惑されても、ずっと我慢してきたんだぞ? 何度も心を揺さぶられたけど、いつも寸前でしほの顔が頭に浮かんで、我慢してきたのにっ。しほだけが、俺にとっては特別だったのに……」


 その言葉に、俺はついつい耐え切れなくなってしまって……思わず、笑ってしまった。


「ははっ……なんだ、それ? やっぱり、お前はいつも自分のことしか考えないんだな。他の女の子の誘惑に我慢した? 霜月だけが特別だった? ああ、本当に竜崎は卑怯だな。本当は、怖かっただけだろ? 霜月を言い訳にして、他の女の子たちの気持ちと向き合う勇気が、なかっただけだろ?」


 この言葉は、別に悪役を演じているから口にしたわけじゃない。俺が常日頃から思っていることだった。


「バカバカしい。お前を好きな女の子が本当に可哀想だ……傍から見てて、同情するよ。あんなに一生懸命、大好きって思いを伝えている。かなり露骨にお前を好きだって態度で示してるのに、へたれなお前は見て見ぬふりをしてばかり。彼女たちの思いを裏切り、踏みにじり、足蹴にして、報いる努力もしない。そんなお前が、一途? ふざけんな」


 脳裏には、義理の妹の顔が浮かぶ。

 俺の大切な家族を傷つけたこいつを、俺は絶対に許さない。


「っ……一途は、一途だろ! 俺は、他の女の子に告白されても、しほだけを好きなんだ! だから、俺はこの告白を成功させないといけないのに……じゃないと、告白してくれたあの子に、合わせる顔がないっ」


 ああ、なんて傲慢な人間なのだろう。

 主人公様という立場にふんぞり返った哀れな道化が、おかしくて仕方なかった。


「おいおい、これ以上笑わせるのはやめてくれよ……彼女の告白に報いたいなら、あの子を受け入れれば良かっただけだろ? 断ったことを美談のように語るな。傷つけたことを得意げに話すな。合わせる顔がない、だと? お前はもう、今までのあの子と顔を合わせることなんて、できなくなったんだよ!」


 もう、梓を理由に愚かなことを発言するのは、やめてほしかった。


「彼女を免罪符にするのはもうやめろ。これ以上、あの子に負担をかけるのはやめてくれ……それがお前に出来る、唯一の『贖罪』なんだよ」


 梓の告白は、竜崎を癒す薬となった。

 でもそれは、治療のための薬ではなく……増長させただけの『ドーピング』だった。


 竜崎龍馬の病気は、治っていない。

 こいつは根っからの『へたれ』なのだ。


 自分のことしか考えないくせに、その理由はいつも他人に求めてばかり。今回の告白も、霜月に告白したかったから、自発的にやったわけじゃない。梓の告白を振ったから、その言い訳に使っただけである。


 本当に、くだらない人間だ。


「気づけよ。あの子は、お前が告白を振った時、どんな顔をしてた? 笑ってたか? 本当にそう見えたか? ……さっきの霜月みたいに、泣きそうな顔をしていなかったか?」


 まだ、頭の中には梓の泣き顔がこびりついている。

 痛々しいその姿を、俺はもう二度と忘れることはできないだろう。


「見たくないものから目を逸らすのはやめろ。竜崎、お前のせいで傷ついた子がいることを、忘れるな。本当に、心からあの子の告白が嬉しかったなら……それ以上、あの子の顔に泥を塗るのは、やめてくれ」


 お願いだから、これ以上梓を傷つけないでくれ。

 そんな、俺の心からの言葉は……きっと、竜崎には届かなかっただろう。


 俺が何を言おうと、主人公様が俺の言葉で思想を捻じ曲げるわけがない。

 でも、あいつを慕うサブヒロインのためならば……主人公様は、自分の過ちを受け入れることができるのだろう。


「……っ」


 きっと、あいつも分かっている。

 梓が、泣きそうな顔をしていたことを、思い出している。

 だから竜崎は何も言えずに、うなだれることしかできなくなったのだ。


 これでもう、主人公様の覚醒は終わりだ。

 梓の告白というドーピングの効果は切れて、いつも通りの『へたれ』に成り下がる。


 さぁ、そろそろ終わりにしよう。

 竜崎龍馬……お前のくだらない物語には、もううんざりだよ――


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