第五十二話 理想の『おにーちゃん』
梓には、二歳年上の兄がいたらしい。
俺のような義理の兄ではなく、血の繋がった実の兄である。
まだ、俺達が義理の兄妹になる前のお話だ。
梓は彼のことがとても大好きだったらしく、どんな時でもずっと一緒だったことを、彼女の父親から聞いたことがある。
『将来はおにーちゃんのお嫁さんになるー!』
そんなことばかり言って、家族を困らせていたみたいだ。
でも、そんな日々は唐突に終わりを迎える。
梓が小学六年生の頃に、その兄が事故で亡くなったのだ。
大好きな兄を失った梓は、もちろん悲しんだ……と、いうよりも、とても困惑していたらしい。
まさか、大好きだった兄ともう二度と会えないなんて、理解できなかったみたいだ。
『おにーちゃんは、どこか遠くに行ってるだけだよねっ。また、いつか……梓がいい子にしてたら、会えるよねっ』
きっと、兄の死を心のどこかでは理解していたはずだ。
しかしそれを彼女は認めようとしなかった。頑なに、兄の帰りを待ち続けた。
高校生になっても、髪形を小学生の頃と同じくツインテールにしているのは、兄に自分だと気付いてもらうためだろう。
そして、とある日……梓の父親が、再婚することになった。その相手には、なんと男の子の連れ子がいた。
それが、俺である。
『……あなたは、おにーちゃんですか?』
初めて会った時のことは、今でも鮮明に覚えている。
当時は中学一年生だった。突然できた同い年の家族に、俺だって困惑していた。
だから、彼女の質問に対して俺は深く考えることができなかった。
誕生日が早いか遅いかくらいで兄か弟が決定するだろう……と、考えてので、彼女から誕生日を聞き出した。
すると、若干だが俺の方が早かったので、首を縦に振ったのだ。
『うん、兄ということになるかもしれないな』
そう伝えた時、梓は途端に泣きだした。
『ぐすっ……ずっと、待ってたんだよっ。おかえり、おにーちゃんっ』
そんなことを言いながら抱き着いてくる義妹を、俺はどうしていいか分からなかった。
その直後に、俺は彼女の父親からすべてを聞いたのである。
『梓はずっと、兄の帰りを待っている』
本当は、分かっているはずなのに。
もう二度と会えないことを知っているくせに、気付かないふりをして、彼女は兄の姿を俺に重ねた。
でも、そんな梓が見ていられなくて……つい俺は、兄のふりをしてしまった。
当時は、自分のことをモブキャラとは考えていなかったので、梓を救えると驕っていたのだ。
こうして、同じ年齢だというのに兄と妹として、俺達は一緒に過ごすようになった。
梓も、兄妹になった当初は毎日とても楽しそうだった。ずっと俺の後ろをくっついて歩いて、夜は布団に潜り込んできたりした。
正直、嬉しかった。
こんなに懐いてくれる妹が、かわいくて仕方なかった。
この子が望むなら、いつまでも『おにーちゃん』でいてあげたい。
そんなことを考えてしまうくらい、俺は梓のことを大切に思っていた。
でも、そう思っていたのは、俺だけだったみたいで。
『…………?』
思い返せば、当時から梓は不可解な顔をしていた気がする。
ふとした拍子に、俺を見て『あれ?』と首を傾げるのだ。
まるで、彼女が帰りを待っていた『おにーちゃん』ではないと、気付いていたかのように。
日に日にその違和感は強くなっていたのだろう。
そして、ついに入学式の日を迎えて……彼女は、あいつと出会った。
竜崎龍馬。
あいつをひとめ見て、梓は俺が『まがいもの』であることに気付いたらしい。
だって、竜崎は梓の実の兄によく似ている。
アルバムを見た時にびっくりしてしまった。こんなに似ている人が世の中にいるのかと思ったくらいだ。
つまり、彼女はついに『理想のおにーちゃん』を見つけたのである。
実の兄に似ている竜崎に、彼女は一瞬で心を奪われた。
そして、なりそこないの俺は、切り捨てられることになったのだ。
『梓の本当のおにーちゃんは、もしかしたら龍馬おにーちゃんかもしれない』
決別の言葉は、唐突で。
俺は気持ちを整理する間もなく、大切な妹を失った。
竜崎に振り向いてほしいから、俺としゃべるのは家の中だけで、外での呼び方は『中山くん』になった。戸籍上の兄でしかなく、家の中という限定的な場面でしか兄として振る舞えなくなり、梓とは疎遠になった。
全てを投げ捨てて、梓は一途に竜崎を追いかけたのだ。
やがて彼女の思いは、兄に対する愛ではなく、異性としての愛に変わっていって……と、これで彼女はハーレム要員として完成されたのである。
本当に彼女は、サブヒロインの鑑だ。
サブヒロインとして竜崎を愛し、サブヒロインとして竜崎に尽くし、サブヒロインとして竜崎を励まし、サブヒロインとして無残に散っていった。
まったくもって……胸糞悪いラブコメである。
結局、彼女が得られたものはなんだ?
心から求めていた『理想のおにーちゃん』は、手に入ったのか?
梓……君は何も報われていないよ。
傷ついて、泣いて、苦しみながら倒れただけだ。
本当に、見ていて痛々しかった――
「ひぐっ、ぅぐっ……ぅぁ」
竜崎に振られて、今も彼女は泣き続けている。
夜の森に、梓のすすり泣く声が、響いていた。
そんな彼女を抱きしめることはできない。
おにーちゃんを失格になった俺は、もう戸籍上の兄でしかない。
血も繋がっていないし、外にいる俺は彼女にとってほとんど他人だ。
慰めることも、癒してあげることも、不可能だ。
梓は俺の手の届かないところに行ってしまったのだから。
でも……やっぱり、家族は家族だった。
切っても切れない縁が、この子にはある。
だから、俺はついつい甘い対応を取ってしまうのだ。
「……今はとても、辛いかもしれないけれど」
泣きじゃくる彼女に、言葉を送る。
俺からの、精一杯のエールだった。
「梓なら、きっとその痛みを乗り越えることができる。その時にまた、違った視点で物事を考えられるようになるよ……まだ、終わったわけじゃない」
――もがけ。
――這い上がれ。
――痛みと悲しみを糧にして飛躍しろ。
それが、梓が幸せになれる、たった一つの道だ。
ハーレム主人公を愛したサブヒロインが報われるには、多くの痛みを乗り越えて、妥協して、受け入れるしかない。
それが嫌なら、諦めてくれ。
普通の女の子として、普通の男の子を好きになって、普通の幸福で満足してほしい。
だけど、梓はそんな『普通』で満足しない女の子だから。
きっと、この痛みを乗り越えてくれるだろう。
「がんばれ。応援してる……おにーちゃんは、いつも見守ってるからな」
「――――っ」
未だに泣きじゃくる梓が、どんな気持ちを抱いているのか分からないけれど。
もう、これで俺にできることはなくなった。
「じゃあ、そろそろ行くよ。泣きやんだら、戻っておいで」
最後に優しく肩を叩いてから、俺は梓に背を向けた。
これで、サブヒロインの物語が幕を閉じる。
今後、梓が再び盤上に戻ってこれるかどうかは……彼女次第だ。
もし、戻ってこれたとするならば、一皮むけてより強いサブヒロインになっていることだろう。
もしかしたら、メインヒロインの座を奪うくらいに、魅力的な女の子になっているかもしれない。
そうなることを、願って。
「……さて、どうするかな」
いよいよ、俺は向き合わなければならなくなる。
覚醒した主人公様に対して、はたしてどうすればいいのだろうか。
物語はついに、佳境へと突入する――
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