第五十一話 痛々しい君を抱きしめることはもうできない

 竜崎はさほど離れていない場所にいた。

 木にもたれかかって、うなだれている。


 そんなあいつに、梓はゆっくりと歩み寄っていた。


「龍馬おにーちゃん……大丈夫? 元気がなかったから追いかけてたんだけど、その……何かあったの?」


 俺は少し離れた位置から、姿を隠して様子を伺っていた。

 竜崎はせっかく梓が来てくれたと言うのに、まだ情けない顔でうなだれたままだ。


「……なんでもねぇよ」


「なんでもないわけ、ないよね?」


「なんでもないって言ってるだろ!」


 心に余裕がないのだろう。普段はサブヒロインに対して優しいはずの竜崎が、怒鳴っている。


 男性の怒鳴り声というのは、俺達が想像する以上に、女性や子供にとっては恐怖する対象らしい。

 だが、梓は臆することなく竜崎を見つめていた。


「……今の龍馬おにーちゃん、とってもかっこわるいよ」


「っ!?」


 気丈に、梓は声を張る。

 竜崎は怒りのあまり彼女を睨んだが、梓はまったくひるまなかった。


「そんな顔だったら、霜月さんに嫌われても当然だよっ」


 その言葉に、竜崎は酷く狼狽えた。


「な、なんで、しほのこと……」


「分かるよ。龍馬おにーちゃんが、霜月さんを好きだったことなんて、言われなくても気付いてたもんっ……だって、梓はずっと龍馬おにーちゃんを見てたんだよ? 龍馬おにーちゃんのことばっかり考えてたんだよ? 分からないわけ、ないよっ!」


 そしてついに、始まった。

 サブヒロインによる、悲しい最大の見せ場が……今、幕を開ける。






「だって、梓は龍馬おにーちゃんのこと、大好きなんだもん」






 ――とうとう、梓は告白した。

 鈍感な主人公様でも、こうもハッキリ言われたら、勘違いできないだろう。


「……え? な、なんだって?」


 だけど、そうか……主人公様には難聴というスキルもあったな。

 これのおかげで、あいつはサブヒロインたちの思いに気付くことなく、愛情を踏みにじることができるのだ。


 でも、今はそのスキルは役に立たないようで。


「大好きって、言ったの……もちろん、友達としてじゃないよ? 男の子として、好き。龍馬おにーちゃんとずっと一緒にいたい。デートに行きたいし、触りたいし、触ってほしいし、イチャイチャしたいっ。梓の全てを、もらってほしいっ。それくらい、大好きなのっ!」


 疑う余地など微塵もなく、梓は『大好き』という思いをぶちまけた。

 そんな言葉をぶつけられては、さすがの鈍感主人公様にも気付かないふりはできない。


「……う、嘘だろ? 信じられない……梓が、俺のことを好きなんて……じょ、冗談だろ?」


「本気だもんっ。龍馬おにーちゃん、大好き……聞こえないなら、何回でも言うよ? 信じられないなら、好きな理由を100個は言えるよ? だから、信じて……冗談じゃないから、聞いてよっ。梓の気持ち、受け止めてよっ……好きってくらい、言わせてよ!」


 梓の純粋な気持ちが、夜の森に響く。

 遠くからは級友たちの声が微かに聞こえてきた。もうそろそろ、キャンプファイヤーが始まろうとしているのかもしれない……少しずつ、騒がしくなりつつある。


 一方で、こっちも段々と盛り上がっていた。

 梓の言葉を聞いた主人公様が、ゆっくりと顔を上げたのだ。


「ほ、本当なんだな……」


「うん。でもね、今の龍馬おにーちゃんは嫌いっ……めそめそして、情けない顔なんて、見たくないよっ。梓の大好きな龍馬おにーちゃんは、もっとナマイキな顔をしてるよ? 梓が一生懸命アプローチしても『やれやれだぜ』とか言ってかっこつけてるんだもん……何回殴りたくなったのか、分かんないよっ」


 ……正直、耳を塞ぎたい。

 ここからの流れは、なんとなく分かる。

 まるで、茶番だ。しかも笑えない類の酷いお遊戯だ。


 なんだかんだ言っているが、とにかく梓が伝えたかったのは、『竜崎が好き』という一点だけである。

 そして竜崎も、何度も伝えられたおかげでようやくその自覚ができたみたいだ。


「だから、落ち込んだりしないで? 梓の大好きな龍馬おにーちゃんのままでいて……霜月さんのこと、好きなんでしょ? だったら、諦めるなんてもったいないよ? 梓の大好きな龍馬おにーちゃんは、とってもへたれだけど……やるときは、やる男だもんっ」


 その肯定が、薬となる。

 自信を失っていた主人公様の活力となる。


「――そうだよな……俺はまだ何もしてないっ。しほに気持ちを伝えてすらないのに、諦めてふてくされるなんて……みっともないよなっ」


 先程までうなだれていた主人公様の声に、力強さが蘇る。


「こんなの、俺じゃないっ……梓が好きになってくれた俺は、もっとかっこいいよな……だから、うん。俺、ちゃんと告白するっ!」


 そうしてついに、その時が訪れた。

 ハーレム主人公様の一番の欠点である『へたれ』が、サブヒロインの告白によって、解消されたのである。


 これが、主人公様特有の『覚醒』である。


 こうなったあいつは、もう誰にも止められない。

 物語はもう、上昇するだけだ。これから吹く風は全て主人公様にとっての追い風となり、ご都合主義の権化となる。


「梓……こんな俺を、大好きになってくれてありがとう。すごく嬉しかった……俺、梓が大好きな竜崎龍馬でいられるように、がんばるよっ」


「うん……梓ね、かっこいい龍馬おにーちゃんが一番大好きっ」


 そして、覚醒したら、もうサブヒロインは『用済み』となるわけで。




「……でも、ごめん。俺、好きな人がいるから……梓の告白を受けることはできない」




 こうして、梓は振られた。

 あんなにがんばって告白したというのに、あっさりと……彼女の思いは、踏みにじられた。


 まぁ、これは当たり前の結果だ。

 霜月のことで悩んでいた竜崎に告白して、受け入れてもらえるわけがない。


 それでも梓は竜崎を元気づけてあげたかったのである。


 振られると分かっていても……傷つくと知っていても、彼女は自分の『大好き』という思いを貫いた。


「そっか……残念だけど、仕方ないよねっ。ほら、もうキャンプファイヤーが始まっちゃうよ? 告白するって決めたなら、もう行った方がいいよっ。だって『キャンプファイヤーで告白したら成功する』ってジンクスがあるんだから」


「本当か? それなら、うん……いいタイミングだなっ。教えてくれて、ありがとう。梓、お前は最高の『友達』だ!」


 ――鈍感とは、やっぱり罪だ。

 悪意無く、こんなに容易く人を傷つけるなんて……とても残酷である。


 もう、梓も限界だったのだろう。


「はいはいっ。じゃあ、早く行って! ちゃんと、自分の気持ちを伝えてくるんだよっ……バイバイ、龍馬おにーちゃん」


 竜崎の背中を強引に押して、あいつを広場へと向かわせた。


「ちょ、分かった……押さなくても、行くからっ。まったく……梓は俺に触るのが大好きだなぁ。嬉しいよ、ありがとうな……じゃあ、また後でっ」


 そして、竜崎がこの場を去っていく。

 その瞬間に、梓は気が抜けたようにへなへなと崩れ落ちた。


「ねぇ、おにーちゃん? どうせ、いるんでしょ?」


「……ああ、いるよ」


 呼びかけられたので、顔を出す。

 しかし彼女は俺の方を見ることなく、俯いていた。


 その姿があまりにも痛々しくて……胸が苦しくなった。


「梓、がんばったよね? もう、我慢しなくていいよねっ」


「……うん。もう、がんばらなくていいよ。梓は、強い子だな」


 気休めになればいい。そう思って、甘いと分かっているが、優しい言葉をかけてしまう。

 かつて、俺を切り捨てた義妹だけど……やっぱり、家族であることに変わりはない。


 今の彼女は、あまりにも痛々しくて見ていれらなかった。




「っ……うぅ、ぁ――――!!」




 途端に、梓は泣き出した。

 涙を拭うこともせずに、大粒の涙をポロポロと流しながら、痛々しく泣き続ける。


「大好き、だったのにっ……初めての、恋だったのにっ…‥なんで、龍馬おにーちゃんは、好きになってくれないのっ? こんなに、こんなに、大好きだったのに……っ!!」


 悲しい慟哭に対して、しかし俺は何もできない。

 ただ、そばにいてあげることしかできなかった。


 もう、彼女を抱きしめられるほど、俺達は親密な関係じゃない。

 本当は、もちろん慰めてあげたい。痛々しい梓を、甘やかしてあげたい。


 でも、それはできない。

 俺は、梓が思い描く理想のおにーちゃんになれなかった、なりそこないだから……抱きしめてあげる権利がないのだ。


 これは、梓が進んだ選択肢の結果でもある。

 今、梓を慰めることはできるのは……彼女が認めた『本当のおにーちゃん』だけなのだから――

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