第五十話 サブヒロインの宿命

 夜の森に竜崎が消えていった。

 少し離れた場所では、キャンプファイヤーの準備が着々と進められている。ようやく点火したのか、歓声が沸き起こっていた。


 光のある場所に、竜崎はいない。

 未だ主人公様は影に隠れている。


 そんな彼に救いの手を差し伸べるのは……きっと、彼女なのだろう。


「……やっぱり、龍馬おにーちゃんは知らなかったんだね」


 物陰からひょっこりと顔をしたのは、義妹の梓だった。

 どうやら俺と竜崎の会話を聞いていたらしい。


「盗み聞きするつもりはなかったんだよ……でもね、龍馬おにーちゃんの様子が変だったから、様子を見てたの。そしたら、いきなり二人の会話が始まって……結局、聞いちゃった」


 申し訳なさそうにしているけれど、これは不可抗力なので仕方ない。


 それに……物語上、梓は竜崎の苦悩を知らなければならなかったのだ。

 だって、サブヒロインこそ、主人公様を救うことができる唯一の存在だからである。


 彼女たちは、いつも貧乏くじを引きたがる。

 自己犠牲をいとわず、好きな人に幸せになってもらおうと、自らのことを省みない。


 そういう存在だから……梓は、竜崎のことを思って、とても辛そうな顔をしていた。


「龍馬おにーちゃん、泣きそうだった」


「……そうだな」


「あんな顔、初めて見た」


「……うん」


「あんな顔、梓が大好きになった龍馬おにーちゃんの顔じゃない」


「……そうなんだな」


「だから、梓ね……放っておけないよっ」


 だったら、追いかければいい。

 いつも通り俺なんて無視して、梓が思うままにやればいい。


 なのに、彼女は足踏みしている。

 躊躇して、俺に何かを求めるような顔をしている。


「でも、おにーちゃん……勇気が、出ないよっ」


 震える声が響く。

 義理とはいえ、大切な妹の涙声は……やっぱり、心が痛くなる。


「……こんな時だけ、妹に戻るんだな」


 ずるい。

 俺のことなんて『理想のおにーちゃんじゃない』と言って切り捨てたくせに、都合がいい時だけ、そうやって助けを求めるなんて、卑怯だ。


「うん、分かってる。ごめんなさい……でも、これで最後だからっ。おにーちゃん、お願いします……背中を、押して? こんなダメな妹だけど……傷つく勇気を、ください……っ」


 やっぱりこの子は、分かっている。

 今から彼女は、とても傷つくことを……理解している。


 だって、梓はよりによって……今、竜崎に告白しようとしているのだ。


 このタイミングで思いを伝えても、絶対に失敗するというのに。


 竜崎は霜月のことで頭がいっぱいで、幼馴染を失ったことで傷ついていて、だけど梓は……辛そうな竜崎を、許容できないから。


 だから彼女は『告白』という薬で、竜崎を癒そうとしているのだ。

 その結果、振られたとしても……それでいいと、梓は考えているのだろう。


「…………それが、梓の選んだ道なら」


 兄としては、止めたい。

 大切な妹に、傷ついてほしくない。

 だけど、これは彼女の選択した道だ。


 竜崎龍馬を……ハーレム気質の主人公様を好きになると言うのは、そういうことなのだ。


 だから、俺に出来ることはただ一つである。


「がんばれっ。梓は、俺のかわいい妹『だった』んだから……大丈夫だよ。梓なら、もしかしたら竜崎もオッケーするかもしれないぞ? だって、梓はかわいいんだから」


 気休めにしかならない精一杯のエールを送る。

 でも、家族というのは不思議なもので……何気ない言葉でも、想像以上に心を軽くしてくれるのだ。


「……うん、ありがとうっ。そうだよね、梓はかわいいから……きっと、大丈夫だよねっ」


 そう言って、梓は笑う。

 久しぶりに間近で見た人懐っこい笑顔は、やっぱりかわいかった。


「そうだ……あの、できればでいいんだけど、梓が玉砕するところ、見ないでね? うん……見ない方が、いいと思う。だって、おにーちゃんは優しいから……」


 でも、笑顔は一瞬で曇り、空元気の乾いた笑顔が張り付いた。

 俺が好きじゃない梓の表情だった。


「じゃあ、いってきますっ」


 そして梓は竜崎の後を追いかけていく、

 小さな背中は、言葉とは裏腹に、まるでついてきてほしいと言わんばかりにゆっくりと歩いていた。


 ……ああ、分かったよ。

 梓、おにーちゃんがちゃんと見てる。


 だから、がんばれ――

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