第三十五話 『転』

 宿泊研修については不安もあるのだが、まずは霜月が赤点を回避したことを祝福しよう。


「中山君、見て! 数学のテストで32点も取っちゃったわ……う、嬉しすぎて泣きそうよっ。パパとママも喜んでくれたし、とっても褒めてくれたわ! 昨日なんて私の大好物のハンバーグを作ってくれたし、幸せだった……これも全部、中山君のおかげね。ありがとう!」


 放課後、俺の家にやってきた霜月は、涙目になりながら笑っていた。

 赤点を回避できたことがよっぽど嬉しかったらしい。


 歓喜のあまり、俺の手を握ってブンブンと振り回していた。握手のつもりなのだろうが……不意のスキンシップはやめてほしい。ドキドキするから、心臓に悪い。


「うぅ、中山君は素敵なお友達よ……まるでボロボロのスポンジみたいに吸収が悪い私の脳みそに付き合ってくれて、本当にありがとうっ。物覚えが悪くてごめんね?」


「いやいや……別に俺が頑張ったわけじゃないよ。霜月が一生懸命だったから、ちゃんとその努力が結果に出ただけだ。おめでとう」


 俺の助けなんて本当にわずかだ。

 霜月はちゃんとした『やればできる子』らしい。メインヒロインなのだから、努力が結果に反映されるのはむしろ当然とも言える。


 俺は努力が結果に繋がらないモブキャラなので、それは少し羨ましかった。

 ……かつて、頭のいい幼馴染の結月に少しでも追いつきたくて、猛勉強した時期がある。あの当時は自分のことを主人公だと思い込んでいたので、勉強したらきっと届くと思っていた。


 でも、結果はあまり良くなかった。今にして考えると、モブキャラなのだからそれも仕方ない。何をしても価値が変わらないからこそ、モブというキャラが配役されているのだから。


「ふぅ……やっとお勉強から解放されたわっ。それはとても良かったけれど……今度は宿泊学習があるのよね? うぅ、自分のおうちと中山君のおうち以外の場所に泊まるなんて嫌だわ……」


 インドア派の霜月は、宿泊学習の存在に戦々恐々としているみたいだ。

 彼女にとっては、一難去ってまた一難ということになるのだろう。


「うぅ……嫌なことを思い出しそうだわ。こういう時、いっつも私はあの人と同じグループになってきたの。中学生の時の修学旅行なんて、あまりに嫌すぎて熱を出したくらいよ? 今回も、中山君がいなかったらきっと風邪をひいていたわ」


 風邪って、任意で操作できるのだろうか。

 いや、違うな。普通にずる休みする、という意味だろう。


 今まで、竜崎との腐れ縁でずっと繋がっていたみたいだ。

 だけど今回は、休まないつもりらしい。


 その理由は、


「中山君がいてくれたら、少しは宿泊学習も楽しめるかしら……でも、絶対に一緒のグループになれる、というわけでもないし……あぁ、やっぱり不安だわ。中山君がいないと、とっても退屈になりそう」


 俺がいるから。

 こんなに俺のことを信頼してくれている霜月は、やっぱり不思議だ。

 でも、頼りにされているのなら、できるだけ力になってあげたかった。


「一緒のグループになれるよう、努力するよ」


 たぶん、竜崎が霜月をグループに引き入れようとするだろう。そして俺はあいつにとって邪魔な存在なので、恐らくグループに入れない。


 そうなったら、離れ離れになるけれど。

 なるべく、一緒のグループになれたらいいなぁ……と、俺も霜月と一緒に願っておいた。


 でもその不安は杞憂に終わる。

 翌日、LHRの時間に宿泊学習のグループ決めをすることになった。


 その時、なんと竜崎の方から俺に声をかけてきたのである。


「おい、中山。お前、グループ決まってないだろ? だったら、俺のグループに入らないか?」


 ――意表をつかれた。

 まさかあいつが俺を誘うなんて、思ってもみなかった。


 もしかしたら、これは『転』なのかもしれない。

 物語を構成する起承転結における最も重要な部分が、始まろうとしているのだろうか。


 だとしたらそれは……とても恐ろしかった――

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