解放と代償

その言葉はバイオレットの異常性をジルがはっきりと理解するのには十分だった。


先程までの自分の判断が間違いであり、今からでも父も元に引き返した方がいい、と。


そう思うや否や、ジルの身体は反射的にピクッと動いた。


馬車は走り続けているが、そんな事は頭にない。


頭の中にあるのは唯一つだけ。


――この馬車から、自分の足で父の元に帰る。


だけど、ジルの思いは一瞬で潰えた。


「無駄よ。言ったでしょ、今度は逃さないって」


ジルが自分の胸元から抜け出す事など許さない。

――そう言わんばかりに、先ほどより一層と強く抱きしめるバイオレット。


「お父さんの所に帰るの! お父さんがいい! お父さんが! ……病気何てすぐ直るもん! だから帰して! 私は……」


まだ何か言いかけていたが、そこでジルはまた激しく咳をしだした。

一度咳をしだすと止まらない。

ゼイゼイ、ヒイヒイ。

喉が燃えるように痛い。


(もうやめて。お願い……止まって)


自分の身体にお願いしているけれど、身体はいつもの事ながら全然聞いてくれない。


これでもかというぐらいに咳は長引く。


当然、さっきまでのように大声を出すことも出来なくなった。


必死にいつ終わるかもしれない咳が治まってくれるのを待つしかない。


気がつけば、ジルは嫌いなバイオレットにしがみついていた。


「……」


そしてそんなジルの小さく丸まった背中をポンポンと軽く叩きながら、バイオレットは淡々と言う。


「ジル、苦しい? 苦しいわよね?」


「――」


「もう苦しいのは嫌よね?」


「――」


「ね? 強がっても所詮これが現実よ」


「――」


咳は止まらず、それどころかまずますひどくなっている。

ただでさえ体調が悪い時に無理をしたのだがら無理もない。


悔しいけれど、バイオレットの言ってることは間違っていない。


「さっき私言ったわよね? 貴方の苦しみを解放してあげられるのは私だけって。……今から私が治してあげよっか? 特効薬があるの」


(とっこう……やく?)


朦朧とする意識の中で、ジルはその言葉を脳内で呟いた。


そして、その言葉の意味を理解すると、弱った自分に冷やかしで言っているのだと思い、憤慨したが、


「嘘じゃないわ。本当は着いてからって考えていたけれど、今あげるわ。どのみちこうなったらタイミング何て関係ないから」


ジルの心を読み取ったかのように言い放ち、バイオレットは懐から小さな瓶を取り出して、蓋を開けた。


そして、瓶を逆様にして、中に入っていた赤い錠剤を1錠だけ手のひらにのせ、そのままジルの口元に押しこんで無理矢理飲ませた。


(こんなんで治る訳…ない)


口の中にじわっと苦い味が広がっていく中で、ジルはそう思った。











だが、驚くべきことに効果は確かにあった。


「うそ……?」


あれ程までに酷かった咳が、馬車がハーマンの領土に足を踏み入れる頃には収まっていた。










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