第2話

 そのまま何月かして、高校に入って初めての大会が近づいていた。僕は今までよりずっとずっとテニスに打ち込んだ。コースの打ち分けを正確に、サーブの種類を増やして、筋トレも毎日した。絶対負けない、そう思っていたのに。


 当日、試合中に足をひどく捻挫して走れなくなった僕は、試合を棄権せざるを得なくなった。悔しかった。こんなはずじゃなかったなんて、思いたくもない感情がのしかかって崩れそうだった。軋むほど歯を食いしばって、なんとか涙を堪えて寮に帰った。秋山さんはいつも通りの笑顔で僕を迎えた。秋山さんはなにも悪くないのに、いつも通り楽しそうな「おかえりー」の声に無性に苛ついてしまった。


 そのまま玄関で押し黙って蹲っていると、秋山さんは玄関まで僕を迎えにきた。


「試合どーよ? そういえばやたら遅かったけどなんかあったか……ってお前、足……!」


 純粋な心配を差し向ける秋山さんの手を反射的に振り払った。


「煩い! ほっとけよ!」


 なんの罪も悪意もない秋山さんに、僕は苛立ちをそのままぶつけてしまった。振り払われて行き場を無くした左手を握り締めた秋山さんは、戸惑いを含んだ瞳で真っ直ぐこちらを見ていた。この人の、笑顔以外の傷ついたような顔を見たのは後にも先にもこのとき一度きりだった。


 その顔に怒りがひとつもないのを感じていたたまれなくなった僕は、急に頭が冷えた。こんなの八つ当たりだ。ウザイけど、可愛がってくれる先輩にこんな仕打ち、あんまりだろ。構わないで欲しいなんて表面的には思いながら心の中では彼に甘えてしまっていたことに気が付いて、後悔と申し訳なさが頭を埋め尽くした。


「……ごめんなさい」


 自分から出た声があまりにも乾いていたのを覚えている。

 僕は急いで靴を脱いで、たどたどしい足取りでその場を去った。自分のベッドに直行して、ベッドに付いているカーテンを乱雑に閉める。とりあえず寝て、何もかも忘れたかったが、瞼は少しも重くならない。いつになく静かな秋山さんの足音が部屋に響く。それから水の溜まる音がして、電気ポットのスイッチを入れる音がした。


 足音が、ベッドの前で止まる。


 手の影が近づいてきて、カーテンに触れる直前でひっこめられた。足音が遠のいて、また遠慮がちに寄ってくる。何度かそれを繰り返した後、カーテン越しに声をかけられた。いつものでかい声からは想像がつかないくらい、小さくて柔らかい声で。


「お腹、空いただろ。……ご飯食べたの?」


「い、や……まだ」


「ちゃんと食った方が、いいよ。おいで」


 顔を合わせるのが申し訳ないやら気まずいやらで、やたら重く感じるカーテンをなんとか開けて、下を向いたまま、部屋の真ん中に置いてある小さなテーブルについた。なんと言っていいかわからない上、口を開けば涙が零れそうで、唇を噛んだ。お湯を流し込む音がして、くつくつという暖かい音がした。


「湊。顔上げなよ」


 俺怒ってないからさ。


 素直に俯いていた顔を上げると、びっくりするくらい優しい顔をした秋山さんがこちらに笑いかけていた。

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