第94話 全てが終わった後は?

 私のマンティーノス所有が正式に認められた。

 爵位も何もかもが、私の元に再び戻って来るということだ!



(やっと……、やっと!!!)



 この日を迎えることができた!!!


 あの日。

 うららかな春の日に。



 ーーーーー私は殺された。



 信じていた人たちに裏切られた絶望。

 冷えていく体の痛みと土の臭い。

 凍えるような寒さと虚しさ。腹の底から激しく体を駆け巡る怒り。

 何一つ忘れていない。


 無念に支配されたままに土塊と化すところに奇跡が起こった。


 あの御方に拾われたのだ。

 思いを叶えるために、二度目の人生を歩むことを許された。



(全ては……復讐を果たせたのは、あの御方のおかげ)



 あの御方のお慈悲によって私はフェリシアに生まれ変わり、宿願が成就したのだ!



 ーーーー失ったマンティーノスの地がヨレンテの元に戻ってきた!



(お父様に奪われた私の領。私の故郷が、ヨレンテの正当な主人のもとに)



 肩がふっと軽くなると同時に、熱い涙が頬を伝う。

 あぁ終わった。終わったのだ。

 私の願いは叶ったのだ!!



(目標を達することができたわ)



 喜びと飛び上がりたいほどの高揚感に包まれる。



(あれ。でも私……)



 

 

 喪失感すら感じるのはなぜ?




「フェリシア?」


 レオンの呼ぶ声に我に戻る。

 私は慌てて手の甲で涙を拭った。



「……あ、大丈夫よ。ちょっと感動しちゃって」



 レオンは優しく私を抱きしめ、



「おめでとう。ウェステ女伯爵。きみの思いが叶って僕も嬉しいよ」

「あ……ありがとう……」

「フィリィ。今はそんな気分じゃないだろうけど、そろそろ移動しない?」



 いつの間にやら客間には使用人以外の姿はなかった。

 客は私たちだけだ。

 どうやら国王夫妻、サグント侯爵夫妻、そしてルーゴのお父様は午餐会の行われる庭園の東屋に移った後のようだ。


 元々午餐会への招待が名目である。本来ならばこちらがメインなのだ。

 ウェステ女伯爵として初仕事、となる。

 私はレオンを見上げる。



「午餐会……。ウェステ女伯爵として参加しとかなきゃね。エスコートしてくれる?」


「もちろん。どうぞ、愛しの細君殿?」と未来の夫が腕を差し出した。







 私は湯船の中でゆっくりと目を閉じた。

 熱いお湯からはかすかにラベンダーの香りがする。

 侍女が気を利かせて湯にオイルを足しておいてくれたのだろう。疲れがすっと溶けていくような気がする。ありがたいことだ。



「はぁ……。長い一日だった……」



 王妃主催の午餐会はトラブルもなく滞りなく終わった。


 極上の素材で作られたご馳走たちーー仔羊のあばら肉を炭火で焼き上げたものにヒヨコ豆のペースト、野菜のスープ。軽い飲み口の赤ワインーーは絶品だった……だろうに、残念なことに食事の味は覚えていない。


 人間というもの思いもよらぬ感情に支配されると、細々としたものを感じることは難しいらしいものなのか。

 昼間の宴席で交わされた言葉も、断片的にしか記憶がなかった。



(色々ありすぎて、疲れたわ……)



 この二十四時間、なんと心身ともに激しく揺さぶられた一日だったことだろう。


 愛している(と自分では思うのだが)相手との一夜と、落胆した朝。

 そこからウェステ伯爵位の復権。


 感情の濁流に投げ込まれ、もみくちゃにされたかのようだ。



 私は身を起こし、泡立てた石鹸を海綿にぬすりつけて肌に這わせた。

 ほんの少しばかりそばかすの浮かぶ肌は、エリアナよりも日焼けしてはいるが肌理は細かく艶やかだ。



エリアナと似ているけれど、違うのね……)



 なんの教育も受けていず虐げられて生きてきたフェリシアに(例え魂がエリアナとなったとしても)ここまで登ることができるとは誰も想像していなかったに違いない。



(よく頑張ったわ。私もフェリシアも)



 これからはもう少しゆっくり進んでいけるはずだ。

 マンティーノスの領主として、じっくりと施作を考え実行してゆけばいい。



(明日から色々な手続きもあるだろうし。もう少し頑張らなきゃね)



 コンコン。



「あの、フェリシア様。よろしいでしょうか」


 浴室の扉の向こうから、ビカリオ夫人の遠慮がちな声がする。

 入浴は一人でリラックスしたい私の希望で、邪魔はしないように申し伝えている。


 それなのに呼びだてるとは。

 ビカリオ夫人にしては珍しい。イレギュラーな何かがあったのだろう。



「ああ、ちょっと待って。すぐに出るわ」と応え慌てて布を体に巻き浴室を出ると、ビカリオ夫人が困り顔で待っていた。


「申し訳ございません。アンドーラ子爵様が……」と夫人は私に夜着を着せながらそっと寝台の方へ顔を向ける。


「お断りはしたのですが、お聞き入れくださいませんでした」



 広い寝台の半ば下ろされた天蓋の薄絹に映る影ーーナイトガウン姿のレオンが、リラックスした様子で本のページをめくっているようだーーにため息をついた。



「……でしょうね。勝手な人だもの」



 客人の寝室なのに当然のように居座っているのに呆れてしまう。

 いつも通りの勝手気ままな姿。

 疲れきった今の私には抗議する気力も湧かない……。


 だけど。



(嫌味の一つくらい言ってもいいんじゃない?)



 故意ではないにせよ、初夜の明けた朝のレオンのあの態度が非常に不愉快だったのは確かなのだ。

 弁明の一つでも聞いてみたいものだ。

 

 私はビカリオ夫人を退室させると、あえて足音を立てながら大股で歩み寄った。

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