第79話 俺の元に戻ってこい。

 エリアナ・ヨレンテが死んだ。


 朗報だ。

 これでフェリシアを擁立する為の道が何もしないままに拓けた。

 めでたいことではあるが……。


 カディス有数の穀倉地帯を有するマンティーノスの主人ウェステ女伯爵は十九歳のはずだ。

 一体何があったのだろうか。



「エリアナが突然死んだのか。信じられないな。まだそんな年ではないだろう?」



 舞踏会でのエリアナの黒い髪と意志の強い眼差しが脳裏に浮かぶ。

 生命力に満ち溢れた輝かんばかりの姿は目が離せないほどに美しかった。

 そんな彼女からは死を連想できない。



(自死……はしないだろうな。事故か……)



「左様でございますね」と秘書官も首を傾げた。


「ウェステ女伯は十九歳でいらっしゃいます。病死というのは考えにくいですが、タチの悪い病もございますし一概には申し上げられません。この報せだけでは何とも判断つけ難く……。詳細は近々届くと思われますのでそれからになりましょう」


「あぁ。届いたらすぐに知らせてくれ」



 どちらにしろエリアナが死んだということが事実とすれば、こちらにとっては好機。



(さぁこれはフェリシアに気張ってもらわないとな)



 ますますフェリシアの存在価値が上がった。

 昏睡状態から一度も覚醒することもなくいつ途絶えるか分からない状態から、なんとしてでも現世に戻って来てもらわねばならない。


 ヨレンテの特徴をとどめたその姿で『マンティーノスの後継者である』と皆の前で宣言するために。



(俺の大望を叶えるために絶対にフェリシアは必要な駒だ)



 この計画にマンティーノスは必ず抑えておかねばならない領なのだ。

 俺はフェリシアの弛緩した手をとり、自らの頬に当てる。



「フェリシアが目覚めるまで俺はエレーラに留まる。父上と陛下に伝えておいてくれ」


「ええ? 王都セルベーラに戻られないのですか? 建国祭の業務がまだ残っておりますが」


「阿呆か。そんなもの後回しだ。大切な婚約者が昏睡しているんだぞ」



 フェリシアには俺の人生がかかっているんだ。

 今この手を手放すわけにはいかない。



「それにお姫様が目覚める瞬間にはそばにいてやるのが王子様の仕事だろ」


「……左様でございますか」



 秘書官は呆れ顔だ。

 現実的なこの男にはロマンティックな言葉というものが理解できないらしい。少しは女性の好む騎士道物語でも読むべきだ。



「反対か?」

「いいえ。柄にもないことをなさるので驚いただけです。レオン様の仰せのままに手配いたしましょう」



 俺は留守の間の仕事の指示を出す。

 政務に関しては副官と秘書官がいればなんとかなる。彼らは優秀だ。自分がいなくとも滞りなく業務を遂行するだろう。


 後は……。



「お姫様の素晴らしい目覚めの演出も必要だからな」



 フェリシア周りの環境を整えねばならない。


 まずはサグントの騎士を一小隊、納屋を中心に配置し警備に充てる。これはフェリシアがヨレンテの血脈であると敵対する者に晒された時の備えだ。


 そしてフェリシア自身のケアの為に王家の御殿医と看護婦、新しい寝巻きとリネンの手配もいるだろう。

 この酷く質の悪い寝巻きとシーツでは体も休まらない。



「この館の警備、カディス王室の御殿医と看護婦、フェリシア様の身の回りの品々……でございますか。かしこまりました」



 秘書官は俺の指示を反芻すると恭しく礼をし、足音も立てずに部屋を出た。

 俺は秘書官が扉を閉めるのを見守ってフェリシアの額に口付けた。



「さぁフェリシア。俺の元に戻って来い。きみにはまだこの世界で果たしてもらわねばならないことがあるんだ」



 フェリシアにはこれまでの蔑まれた人生とは違う光に包まれた新しい道を歩く権利がある。

 それがどんな荊の道でも俺が守ってやる。

 別に望む道があるのならば歩ませてやる。



(だから帰ってくるんだ)



 フェリシア。

 俺の愛すべき婚約者。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る