第64話 ひどい女で構わない。

『静かな眠り』

 まさしくその通りだ。



(ワインを飲んだ時もほとんど違和感がなかったもの)



 日頃からマンティーノスのワインを飲み慣れていたエリアナだからこそ気づいた雑味だ。

 私以外の人は気づかないだろう。


 無味無臭、即効性もある。

 暗殺用に最適だ。



「驚いたね。こんな毒があるとはね。暗殺をするために作られたとしか言いようがない」



 レオンは帳簿を眺めながらため息をついた。



「存在が知られたら大事おおごとになりそうだよ」

「うん……。あの毒がこんなに希少なものとは思わなかったわ」



 私はティーカップに砂糖を二匙入れ、「エリアナがさほど苦しまずに逝ったのには訳があったのね」とゆるゆると混ぜた。




 私たちはあの後すぐに墓所から屋敷へ戻って来た。


 本来ならば最後まで同席しなければならないのだろうが、お母様の墓を掘り起こすという暴挙に私もビカリオ夫人も正気を保つので精一杯だったのだ。

 

 思っていた以上に精神への衝撃は大きかった。



「女性には刺激が強かったよね。ごめん、フィリィ」

「いいの。しんどかったのは確かだけど、実りも多かったわ」



 決定的な証拠が見つかったのだ。


 墓から見つかった帳簿によって密輸の取引明細が解明されるだろう。これで現品と台帳が揃い完璧に罪を立証することが可能だ。

 

 だが、エリアナの暗殺の件は厳しい。

 使われた『静かな眠り』に関しては帳簿だけではまだ弱い。実物が出て来ればいいのだが、エリアナに使用されてしまった。

 残っているか怪しいところだ。



「ね。レオン。この毒、一回分にしては高すぎないかな?」



 一つ2万マラベディとある。

 カディスでは女中の給金の相場が年間凡そ15マラベディ、執事でも200マラベディ程度だ。

 マンティーノス領では1ヶ月分の収入にあたる。


 わずか一本なのに超高額だ。



(効果は素晴らしいけれど、高すぎて実用的とは思えないわ)



 毒を盛るということは意外にも難しい。

 貴族は常に暗殺には気を使っている。失敗することも十分考えられる。

 リカバーのためにスペアは持っておくのが上策だ。


 だがこの価格では二本目を準備することは不可能に近い。



「そうだね。推測だけど、開発されたばかりでまだ一般には流通していないのかもしれない。オヴィリオがどこで手に入れたのかは早急に調べないといけないね」



 この毒は危険すぎるからね、とレオンは私の髪を撫でた。



(私にエリアナの記憶があるということを慮ってのことなのね。優しい人ね)



 レオンが気遣ってくれるほどに、お父様の私に対する憎悪が際立つ。



(ここまでしても殺したかったのね。エリアナを……)



「オヴィリオさんは何のためにここまでしたのかな。エリアナは自分の娘なのに」


「単純さ。財産目当てだろ。エリアナ様が健在な限り、オヴィリオにはヨレンテの当主と認められることはないからね」



 でも。

 殺しても、認められることはないのに。


 ヨレンテの盟約で血統を受け継いだ跡取りがいなくなれば王家に没収されるだけなのだ。

 一縷の望みをかけたのか。



「そうだとしたら馬鹿な人ね。オヴィリオさんは。意味はないのに。ヨレンテの落とし子のフェリシアが存在していなくても、ヨレンテの富が渡るはずはないわ。盟約があるんだもの」


「人はね、気を違えるほどに執着してしまうと、周りが見えなくなってしまうって言うだろ。焦ってたんじゃないかな」


「そうなのかな……。オヴィリオさんは尋常な思考ではなかったのね」


「フィリィ。犯罪者は誰もが同じようなことを言うよ。自分の意思ではない。あの頃はまともじゃなかったってね」



 レオンは私の肩に腕をまわし、



「だけどね。まともだろうがなかろうが、罪は罪だ。償わなければならないのは変わりない。今回は大罪だ。見逃せないよ」


「オヴィリオさんにはそれ相応の罰を望むわ。でもルアーナさんは……」


「ルアーナ・オヴィリオの罪を軽くしてほしいってこと?」


「違う。軽くしてほしい訳ではないの。罪を実感しつつ苦しみを味わってほしいって思ってる」


「……すごいね。フィリィ。全く貴族の令嬢らしくない」



 だけどきみのそういうところは好きだけどね、とレオンはフォローを入れた。


 

(心の中ではきっと呆れているはずね)



 だがエリアナは酷い目にあっているのだ。

 婚約者を寝取られ必死の毒を盛られたのが不幸と言わないのならば、何を不幸と呼べばいいのだろう。



「レオン。ルアーナは罪を犯したんですもの。特権で守る必要はないわ。罪は罪だってレオンが言ったんじゃない」



 ルアーナは直接エリアナの生死に関わることはしていない。ホアキンを奪い、唆しただけだ。

 その点では共犯である。


 が、か弱く可愛らしくずる賢いルアーナのことだ。

 怖いわとかなんとか言って自らは手を下さずに、ホアキンあたりに実行させたはずだ。



(それに腹の虫もおさまらない)



 殺人鬼がのうのうと生きていくのを見逃せるはずがない。



「ルアーナだけじゃないわ。ホアキンも重い罰がいいの。何とかできないかな?? レオンの力で法に介入して……」


「フィリィ。落ち着いて。ルアーナの罪じゃどうやっても死刑にはならないよ。良いとこ懲役か国外追放かな」



 レオンによればルアーナの婚約者であり共犯のホアキンも追放に決まるのではないかということだった。

 

 カディス人じゃないというところが問題であるらしい。

 外国人でしかも貴族の子息だ。

 雑に扱うと外交上面倒なことになりかねない。王家も面倒事を起こそうとは考えていないのだ。



「ホアキンの国外追放は確定だ。ルアーナも婚約者だし刑に処さない代わりに、追放になる可能性が高いよ」



 国外追放。

 ホアキンの実家は一応貴族だ(でもとても貧乏だが)。あのルアーナが慣れない異国の地で生きていくのか。



「あの子、苦労するかな?」

「してほしいの?」

「ええ」



 レオンは複雑な表情をしている。

 わかってる。



(嫌な女だよね)



 寛容など感じさせない器の小さな貴族らしくない姿だ。

 でもこれが本心だ。


 私の苦しみを身をもって知らしめてから初めて私の心に平穏が訪れるのだから。

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