第28話 ごめんあそばせ。カロリーナ。

 宮殿の侍従がホールの扉を開け、騒がしい会場でも通る大声で到着を報せる。



「偉大なる国母にして王太后カミッラ・ラスカニャ殿下。アンドーラ子爵レオン・マッサーナ様」



 そして一呼吸置き、最後に「リェイダ女男爵フェリシア・セラノ様!」と私の名が告げられた。



 おしゃべりで騒がしかった会場が一斉に静まり返り、全ての視線が私たちに注がれる。


 開け放たれた扉の前に立つ三人。

 数年前に社交界を引退した王太后、今話題のサグント侯爵家の跡取り。そして正体の分からなかった婚約者。


 あり得ない取り合わせだ。


 皆が皆、私たちが三人でいる意味を無言のままに探り始めていた。


 エリアナの時には感じなかった人々の好奇な眼差しに、すっかり動揺してしまう。

 男性の下卑た視線もそうだが、それよりも若い女性から向けられる羨望と嫉妬が痛い。



「どうしたの、フィリィ?」とレオンが優しく、彼女たちに見せつけるように甘い表情でこちらを向く。


「レオン、あの体が……」



 フェリシアの体が小刻みに震え足がすくんで動かない。


 私のエリアナの意思、というよりもフェリシアの体の記憶が拒絶反応を示している。

 呪われた私生児であり誰にも顧みられなかった暗闇の中を行く人生であったのに、ある日突然、光が当たる世界に投げ込まれようとしているのだ。

 フェリシアとしては天地がひっくり返るようなものだ。



(そりゃあ怖いよね)



 不安にもなる。

 私の葛藤を察したレオンは首を傾げ耳元で囁く。



「大丈夫。顔を上げて前を向いていればいい。きみを軽んじた人たちを後悔させよう。僕が選んだ婚約者は誰よりも綺麗で、僕の愛を独占しているんだってね」



 唐突にくるこの言葉。

 あぁ弩級に甘い。甘すぎて脳が痺れる。


 そばで聞いていた(腕を組んでいるので小声でも聞こえるのだ……)カミッラ様は呆れ顔だ。



「……レオン。あなたがフェリシアを好いているのは分かったけど、二人だけの時にしてちょうだい。こちらが胃もたれしてしまうわ」

「かしこまりました。大伯母様」



 でも。

 おかげで恐怖も緊張もなくなった。



(やっと戦場に戻ってこれたわ)



 この社交界という化け物しかいない卑しい世界に。



 私たちは会場の最奥、王族だけが許される上座に向かった。

 王太后殿下のエスコート役であることで許された特権だ。


 周囲からご機嫌伺いの挨拶を受けながらゆっくりと進むうちに「王太后殿下と男爵の関係が……」「あれが噂のアンドーラ子爵の婚約者……」という貴族たちのつぶやきが耳に入ってくる。


 王太后殿下と私が何かしらの縁で結ばれているらしいという印象を与えることができたようだ。



(思惑通りね)



 ここまでは上手くいっている。

 あとは、



(ルーゴ伯爵ね……)



 会場の中ほど、同じような爵位の人々の塊の中に彼らルーゴ一家がいるのを歩きながら確認する。


 伯爵と異父兄弟たち全員が間の抜けた顔でこちらを凝視していた。

 伯爵の背中に隠れるように佇み今にも泣きそうなカロリーナは、今日のために精一杯着飾ったのだろうか。金の髪もドレスもとても手が込んだものだった。


 私は何か言いたげなカロリーナに大げさなそぶりで微笑み返した。

 もちろん勝ち誇った眼差し付きで。

 涙を浮かべカロリーナは俯く。



(うん。悔しいでしょうね)



 片想いしていた相手レオンが異父妹と婚約した事実。頭ではわかっていても認めることはできていなかったのだろう。

『最後にレオンは自分を選んでくれる』とかすかな希望を抱いてこの場に来たのに、私がレオンだけでなく王太后殿下と現れたことで完全についえてしまったのだ。


 とうとうこの現実に耐えられなくなったのかカロリーナはそっとテラスに通じる扉から外へ出ていった。



(ちょっと私も意地が悪かったかな)



 でも、だからといってフェリシアにした仕打ちは許せない。

 これくらい耐えてもらわなければ。



「フィリィ?」

「……なんでもないわ」



 私たちはカミッラ様を上座に設られた王族の椅子へ導く。


「あなたたちの役目は終わったわ。舞踏会を楽しみなさい」とカミッラ様が解放してくださり、割り振られた席についた。


 誰もがこちらの様子を伺い、話しかけたいそぶりを見せてはいるが、積極的に近寄って来る者はいない。

 距離を測っているのか、それとも……。



(レオンがこれだからかな……)



 私は心の内でため息をつく。


 席についてからレオンは私の側から離れようともせず、私だけを見つめているのだ。

 まるで自らの婚約者が愛おしくて仕方がないといっているかのように。



(溺愛してるってアピールだろうけど)



 これでは他の貴族との交流が持てない。社交界でのフェリシアの伝手を作れないではないか。

 貴族たちは遠巻きにこちらを眺め、噂のフェリシアと関わりを持ちたいが、サグント侯爵家嗣子のご機嫌を損ねてまでも関わりを持つ価値があるのか、絶賛計算中なのだろう。

 


「レオン。近すぎるし、やりすぎ。ここまでしなくてもいいのよ」


「だめだよ。王太后の後見を得たきみは、社交界の注目の的だよ。それに綺麗だしさ。懸想するやつもいるかもしれないだろ? 初動が肝心だ。取り返しがつかなくなる前に釘を打っておかないとね」


「……過保護ね」



 レオンは私の手を取り、口をつける。



「お互いの目的を果たすまでは、ね?」



 そうだ。

 私たちはそれぞれに腹に一物を抱えている。

 雰囲気に流されてはいけない。



「ファーストダンスが終わったら、きみの親族へ挨拶に行こう。大切なマンティーノスを管理している人だからね」


「ええ。ぜひお会いしなくちゃ」



 待ってなさい。

 お父様、継母様。ホアキン、そしてルアーナ。

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