第8話 フェリシアの正体。
フェリシアは最初に感じた通り難しい立場にある娘だった。
伯爵家の娘であるはずのフェリシアがルーゴ伯爵家からあてがわれた住居からさえも、それを察することができた。
フェリシアの部屋は東の庭園に作られた小さな離れにある。
療養で使っているこの場所が庭園に設られた離れと初めて聞かされた時は、花やよく手入れされた木々に囲まれた素敵な場所なのだろうと心弾んだものだ。
だがすぐにその幻想は打ち砕かれることになる。
四六時中どこはかとなく漂ってくる堆肥と家畜の匂い……。
実際は庭園とは名ばかりの伯爵家専用の菜園、俗に言えば畑の中にある古い離れだったのだ。
離れ自体は生活には困らない程度の設備と家具を備えてはいたが、堆肥と家畜の匂いが漂う如何にも田舎びた様子は貴族の住まいとは思えない。
(とても貴族の娘が過ごす場所ではないわ。ひどい場所ね。
違う。
愛されていなかったのか。
(フェリシアは不必要な子供だった……ということね)
ズクリと胸が痛む。
「ビカリオ夫人」
私は細々とした家事をこなすビカリオ夫人を呼び止めた。
ビカリオ夫人はフェリシアの乳母で子どもの頃からフェリシアの世話をしてきてくれた人だ。
このわびしい住まいでの数少ない使用人の一人でもあった。
「教えて欲しいことがあるのだけど、いいかしら?」
復讐を遂げるために、フェリシアとして生きていかなければならないのだ。
記憶がないという
「私には記憶がないの知ってるでしょう? 私はルード伯爵の娘なのに、どうしてこんなところで生活しなくてはならないのかしら」
上目遣いでビカリオ夫人に訊く。
夫人は戸惑いながらもゆっくりと口を開いた。
「お嬢様は本邸での生活は許されていらっしゃらないからです。お嬢様は……嫡子ではございませんから」
やはり。
庶子であることに間違いはないようだ。
(社交界デビューが許されていないから、私生児だとは思っていたけど)
とはいえ婚外子は貴族や富裕層の間では珍しいものではない。
家名と財産の存続が責務である貴族や上流階級において政略結婚は避けられないものだ。
フェリシアとレオンも幼馴染ではあるらしいが、政略結婚を前提とした婚約を交わしている。
ただ人間の感情というものは制御が難しいもの。
そもそも愛のない関係というものを続けられるほど人間は高尚な存在ではない。
上流階級も同じだ。
結婚し配偶者との間に二、三人子を生んだ後は恋愛に興じる……というのが貴族の不文律となっている。
「でも庶子だからと言ってこんな待遇はないと思うんだけど。着る物はまぁいいとして、食事や住まいはひどいと思うの。セラノ家ほどの財産があれば異母兄弟たちと同じとは言えないまでも、それなりにできるはずでしょう?」
「お嬢様。本当にお聞きになられますか?」
「もちろんよ」
「……このことはルーゴ伯爵家では誰しもが存じていることでございます。そしてお嬢様にお話しするのも2度目になります」
「1度目の時、私はどうだったの?」
「あまりの衝撃に卒倒なさいました」
お気を確かにお持ちくださいませと乳母のビカリオ夫人は前置いて、
「社交界では公にされてはいませんでしたが、亡くなられた伯爵夫人には恋人がいらっしゃいました。お亡くなりになられる3年前にご懐妊なさいまして、お生まれになられたのがお嬢様でございました」
伯爵夫人の恋人……。女性側の不義によって生まれた子ということか。
しかも……。
「生まれてすぐの赤子でわかるということは明らかにお父様とは容姿が違ったの?」
「左様でございます。お嬢様は伯爵様にも奥様にも似ているところはございません。セラノ家は赤毛か金髪が特徴でございますから」
「確かに。私は黒髪だものね」
艶やかな黒髪はカディスでは珍しい。
(生まれながらに忌み子か。フェリシアは居心地はよくなかったでしょうね)
フェリシアは当主であるルーゴ伯爵が愛人との間に作った子ではなく、伯爵夫人マルツィアが不倫関係で産んだ子であるということだ。
ルーゴの血が流れていない庶子、しかも正妻の産んだ娘……。あらゆる意味で都合の悪い存在だ。
「ビカリオ夫人。お母様の恋人……私の実父はどなたか知ってるの?」
「はい。存じております。私は当時、奥様の侍女を務めておりましたのでおでかけの際には常に同行しておりました」
ビカリオ夫人は化粧台から手鏡を差し出した。
「お嬢様は実父様にそっくりでございますよ」
鏡に映るのは黒髪と青い瞳。
やややつれてはいるが、どこか甘く優しげな容姿。
(あぁそうか……)
黒髪に青い瞳。
そしてこの顔立ち。
よく見知った顔だ。
どうして忘れていたのだろう。
(セナイダ・ヨレンテ)
鏡の中から私の母と瓜二つの顔がこちらを見つめていた。
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