第37話 宣言と銃声

 王太子から銃口を向けられ、葵の手足から血の気が引いた。足がすくみ、体が震え出す。歯の付け根が合わない。


 王太子は葵の横にくると、ためらうことなく右のこめかみに銃を突きつけた。

 冷たい金属の感触が肌を刺す。息が止まり、心臓が暴れ出す。


(……殺される)


 葵は王太子に引きずられるようにして、カメラの横まで連れて行かれた。歩こうにも、足がもつれてまともに動かすことができない。


 葵に聞かせるためか、王太子はゴルカナ語ではなく、英語で言った。


「日本人旅行者が、クーデターに巻き込まれて死亡。外交問題になりますねぇ。日本からは確か、道路事業や水道事業、農業分野でも技術支援を受けていましたっけ」


 こめかみに、銃口をねじ込まれる。


「やめなさい!」


 国王が低い声で言う。


「では、国営放送で宣言をお願いしますよ。原稿は、そちらのプロンプターに流しますので、あんたはその通りに読み上げれば結構」


 王太子が合図をする。

 銃で脅されたテレビ局のスタッフが大型カメラを操作し、国王にピントを合わせる。後ろの操作盤からカウントダウンの声が始まった。


 女性アナウンサーの緊張した低い声で、ゴルカナ語のナレーションが入る。

 葵の脳内にはもう、クマリの翻訳は流れてこない。


 沈黙が流れる。

 

 カメラの上の赤いランプはついているが、国王は黙ったままだ。


 王太子が葵のこめかみに再び銃をねじ込む。

 息がうまく吸えない。目の前の景色がくらくらと揺れる。


 ドラヴィ王が口を開いた。

 ゴルカナ語だから、冒頭でフルネームを名乗ったところしか葵にはわからないが、険しい表情のまま斜め横にあるプロンプターをにらみ、低い声で演説をしている。


 国王が言葉を切った。

 葵の肩をつかむ王太子の手に、力が入る。


 再び話し始めた国王は、プロンプターを見ずにカメラを見据え、先ほどよりも力強い口調で何かを言った。


 それを聞いた王太子が短く叫ぶ。


 王太子はすぐさまカメラマンに何かを命令した。が、放送は続いている。


 逆上した王太子が、カメラマンの頭を拳銃のグリップで殴った。

 額から血を流しながらも、カメラマンは生放送を止めなかった。


 国王は、ゴルカナ語に続いて英語に切り替えて言った。


「ゴルカナ国は、来年を目処に完全に共和制へ移行することを、ここに全世界へ向けて宣言する!」


 王太子がわめきながら葵を突き飛ばす。

 胸から着地したせいで、痛みが走り、葵は思わず咳き込む。


 うずくまりながら見上げると、王太子はカメラマンを蹴り倒し、はずみで彼の方を向いたカメラのレンズに向かって、拳銃を構えた。


 銃声が響く。


 レンズは撃ち抜かれ、放送は中断された。


 王太子は傍らの兵士に強い口調で命令をした。

 おそらく、「国王を撃て」と。


 兵士がトリガーに力を入れる。しかし、彼は首を振って銃を下ろした。


 国王はビシュヌ神の生まれ変わりとされている。

 特にドラヴィ王は民主化の父と慕われているのだ。大逆を犯すなど、いくら王太子の命令でも従えないのだろう。


 王太子は顔を真っ赤にして怒鳴り、兵士をめちゃくちゃに蹴った。ぐったりと横たわる兵士をもう一度蹴飛ばすと、王太子は拳銃を構えなおし、国王に狙いを定めて撃鉄を起こした。


 その瞬間、アカーサが勢いよく飛びだし、王太子の腕に体当たりした。


 パアン。


 乾いた銃声が響いた。


 弾は国王には当たらず、左斜め上のカーテンに穴を開けた。


 国王が目を見開き、まっすぐに息子を見つめる。

 驚きや怒りよりも、哀しみを色濃く湛えた表情だった。


 その視線から逃れるかのように、王太子は顔を赤くしてわめきながら、自分の邪魔をした鷹を狙おうとした。

 照明の間を挑発するように飛び回るアカーサを、銃で追っている。


 国王が鋭い声で何事か命令する。


 そのとたん、後ろで控えていた兵士たちが、小銃を構えた。


 銃口の先は、王太子チャトナだった。

 本来、国王はゴルカナ軍の総帥であり、王太子よりも位が上なのだ。


 ――陛下、お待ちください。今しばらく猶予を。


 葵の頭の中に、クマリの声がした。


 国王が再び命令を発すると、兵士たちが小銃を下ろす。


 その隙に、王太子が出口へと走った。防音扉を開け、外へと逃げ出す。


 ――アオイ、追うぞ!


 アカーサが葵のそばまで下りてくる。


 ――女王アリを葬るんだ。今しかない。


 そうだ、王太子の腹の中には女王アリがいるのだった。あれを退治しないと、この国に負の感情がはびこってしまう。


 葵は国王に会釈をすると、王太子を追って走り出した。


 防音扉を勢いよく開ける。

 アカーサが器用に扉の隙間を通り抜けた。葵も後に続き、前を飛ぶ鷹のあとを追って走る。廊下で待機していた兵士たちは、葵の姿を見ても何もしてこなかった。


 ――屋上だ。王太子が行くよう仕向けておいた。そこで塩の雨を降らせろ。


 階段に差しかかると、クマリの魂を乗せたアカーサは、吹き抜けを一気に舞い上がった。

 葵も階段を一段飛ばしで駆け上がる。息があがり、心臓が早鐘を打つが、先ほどのような恐怖感はなかった。


 葵はようやく屋上への扉にたどり着いた。

 ドアノブに手をかけようとすると、アカーサが割って入る。クマリからの忠告が、葵の頭の中に流れた。


 ――待て。銃を向けられている。正面に立たずにそっと開けろ。

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