第35話 王太子の苦悩
「あのトピー帽はどこへやってしまっただろう」
ドラヴィ王のつぶやきに、葵は現実に引き戻された。
第三の目が治ったためか、国王の回想にシンクロしてしまった。手作りのプレゼントを没収されてしまった少年の日の王太子チャトナに、葵は少し同情してしまう。
葵の視線に気づいたのか、国王が目を伏せた。
「あれは、身につけるものに対して異様にこだわりをもっていてな。女性たちに露出の高いはしたない格好をさせるのを私は快く思っていなかったのだが、もしかしたら、単に肉体をいちばん美しく見せる装いを追求していただけかもしれんな」
再び国王の視線が泳ぐ。
葵の脳裏に、またしても国王の記憶が流れ込んでくる。
今度は、二十代前半くらいのチャトナ王太子が見えた。
王太子は、素肌の上に、銀の鋲がたくさん打たれた黒い上着を羽織っている。男女ともに肌の露出をよしとしないゴルカナでは、奇抜すぎる服装だ。
「相変わらず馬鹿みたいな格好をしおって」
今よりも少し若いドラヴィ国王が、チャトナ王太子を一瞥する。
「どんな格好をしようと、私の勝手だ」
「そうはいかん。お前は王太子なのだから」
「好きな服も着られず、好きな女と引き離されるくらいなら、王太子の地位などいらない!」
チャトナが立ち上がり、椅子を蹴り倒す。
「姉上の方が優秀なのだから、姉上が王位を継げばいい。いつだって姉上を褒めて、私と比較していたではないか」
「サラスワティは女だ。王位は継げない」
「なぜ、女はだめだと決めつける!」
声を荒らげたチャトナに、ドラヴィ王が静かに言う。
「なぜお前は、努力をしない。せっかく王族に生まれたのに、なぜ国王たるに相応しくなろうとしない」
「なりたくないからに決まっているだろう!」
王太子がいくら声を張り上げて威嚇しても、国王は微動だにしなかった。
「とにかく、お前と国務大臣の娘との婚約は、もう決まったことだ。フランスの大学への留学を許してやったし、多少のことは目をつぶった。もう気が済んだだろう。帰国して、これからは国のために生きるのだ」
反論する余地を与えないよう、国王は席を立ち、部屋を出て扉を閉めた。チャトナの叫び声が、ドア越しに聞こえた。
「国王陛下……」
廊下にいたサラスワティ王女が、眼鏡越しに非難めいた視線を国王に向けている。
「王族に生まれたからには、仕方がないのだ。これでチャトナも、王太子としての自覚を持つだろう」
王女は無言で国王に背を向け、チャトナのいる部屋に入っていった。
しばらく、王太子の泣き声が続いた。国王は、扉の前でじっと立っている。
「姉上、私は悔しい」
チャトナの声がする。
「私は父上に認められたことがない。一度たりとも。いつだって、優秀な姉上と比べられ、愚か者呼ばわりされて」
「あなたは愚かじゃない。美しいものを愛する、やさしい子よ」
「やさしさなんて、何の意味もない!」
悲鳴に近い叫びだった。
「私の好きなものは、すべて奪われてしまった。私がもっと強ければ、守れたかもしれないのに」
泣き声がしばらく続き、やがて静かになった。
「姉上、私は強くなります。父上を超え、認めさせてやります」
「チャトナ……」
廊下で聞き耳を立てていたドラヴィ王は、満足そうにうなずいてその場を去った。
再び、国王の回想が途切れて、葵は現実に引き戻される。
あのとき国王は、これで王太子が自らの役割に目覚め、悔しさをバネに、未来の国王にふさわしい人格になると思ったに違いない。しかし実際は、憎しみを増幅させるだけになってしまった。
隣の兵士の小銃をちらりと見て、国王が天井をあおぐ。
「ここまでチャトナを追いつめてしまったのは、私か」
王家に生まれたがゆえに複雑にひねくれてしまったという点では、王太子も被害者なのかもしれない。
チャトナ王太子は、このままでは父親を手にかけてしまうのでは、と葵は心配になる。何が何でも、女王アリを王太子の体内から出して、蟻毒を取り除かなくては。
ヘリが降下を始めた。放送局に着いたのだろう。
床に衝撃が走り、プロペラの音が少し変わる。着陸したようだ。
扉が開けられた。
隣の兵士が安全ベルトを外し、葵の分のベルトも乱暴に取る。立て、と言われているらしい。
葵はゆっくりと立ち上がった。
リュックを背負おうとしたとき、頭の中に直接声がした。
――リュックのファスナーを開けておけ。
クマリだ。
とりあえず無事らしい。言われたとおり葵は、リュックのファスナーを開けっ放しにして背負う。
ドラヴィ国王が、先に出口へと誘導される。夕日の色が差し込む扉の向こうに、王の姿が消える。
続いて葵も、外へ出るようにうながされる。
高い床から飛び降りるようにして、コンクリートの地面に立つ。ビルの屋上のようだ。日本でも放送局や新聞社の屋上はヘリポートになっていることが多い。
おそらくここが、ゴルカナ国営放送局なのだろう。
「では、こちらへ来ていただけますでしょうか」
王太子がにやにやしながら、慇懃に手で指し示す。
ドラヴィ王は無言で、屋上の端にあるドアへ向かった。葵の横にいる兵士も、その様子をじっと見守っている。
そのとき、葵の背中に軽い衝撃があった。
――振り向くな。
クマリだ。背中で何かがごそごそしている。
アカーサがリュックの中に入ったのだろう。
――もうちょっと物を減らしておいて欲しかったな。狭いぞ。
憎まれ口にかえって安心する。
――アカーサが大きいんでしょ。ちょっと我慢しててよ。
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