第42話 だいっきらい

 青白い月光が差し込む魔宮殿にて。


 長机に座したエルナは、魔王である父親――マルス・トレナールと夕食をとっていた。


 エルナと多忙なマルスは、久しく食事をともにしていなかった。


「大儀であったエルナ。キリスから聞いた、救世主の娘を屠ったそうではないか」


 言いながら、グラスを置く。


 エルナが父親に褒められたのは、この時が初めてだった。


「………………はい」


 エルナは俯いたままぼそりと呟く。


 食事には全く手を付けていない。


 うつろな翠色の瞳に映り込んだろうそくのほのかな灯が、弱々しく揺れている。


 どうしてだろう、全く心が満たされない。


 お父様に褒められるなんて願ってもなかったことなのに。


 心に空いた大きな穴が、どうしても塞がらない。


「今回の侵攻のことはお前に伝えていなかったはずだが、なかなか見込みがある」


 マルスが満足げにうなずく。


「今回は救世主ソーマ・リョータローにも重傷を負わせた。東部ソーマ国にとってかなりの痛手であろう」


 薄ら笑いを浮かべながらおもむろに料理を口に運ぶマルス。


「我々の新たな領地の肥えになるとは、救世主の娘は人族に相応しい最期の形にさぞかし満足しておろう」


 さらに口角を上げてにたにたと笑いながら、ナプキンで口元を拭う。


 普段はほとんど表情を変えないマルスが、これほど満足げな表情を浮かべているのを見るのは、娘であるエルナにとっても初めてだった。


「どうしたエルナ。先ほどからまったく食べておらんではないか。料理が口に合わないのか」


 マルスがそう問いかける。


 食卓は静寂に包まれた。


「……嫌いです」


 しばらくの後、エルナは長机に置かれた豪華な料理をまっすぐに見つめたまま声を震わせた。


 膝に置いた両手をぎゅっと固く握りしめる。


 今にも溢れ出そうな涙を必死にこらえて真っ赤になった瞳を大きく見開いて続ける。


「大っ嫌いです! この料理が! 魔族が! お父様が! 私が! 全部大っ嫌いです!」


 勢いよく立ち上がったエルナはそう言い放って、長机に並べられた料理を次々とはね退けた。


 食器の割れる音が大きな部屋中に響き渡り、あたりに破片が散乱する。


 倒れたろうそくの灯が、零れたアルコールに引火して真っ赤なテーブルクロスをさらに赤く燃え上がらせる。


「エルナ!」


 エルナの振る舞いに吃驚したマルスが、思わず声を荒らげる。


「――すべてが、憎いんです」


 そう言い残して、侍女の制止を押し切って食卓から走り去った。


 誰に向けられているともわからない、これまで感じたことのないような憤りがエルナを襲う。




 嫌いだ。何もかもが嫌いだ。


 どうして、どうして……。


 慢心していた自分が憎い。


 何もできなかった自分が憎い。


 無為な争いを生み出したこの世界が憎い。


 エルナはそのまま魔界を飛び出した。


 もう魔界になんか戻らない。


 強くならなくちゃ。




     ☆

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