第37話 おいしいものと友達
「おにぎりよ! 今朝にぎってもらったの。一緒に食べましょう」
きらきらと輝くほど良い粘り気を持った米粒たちを、ふわりとやさしく包んでいる海苔の豊かな香りは、エルナの腹を再びキュルルルと鳴らした。
おにぎりを見るのは初めてであったが、それが食べ物であることはエルナにもすぐに分かった。
人族に食べ物を恵まれるのは不服だが、腹が減っては何とやらだ。
「……しょうがないですね。そこまで言うのなら一緒に食べてあげましょう」
「ほんとに!? やったー!」
そのまま近くのちょうどいい岩に腰掛けたエルナは、マリナから受け取ったおにぎりに恐る恐るかじりついた。
「――はむっ」
口に入った瞬間ほんのり塩っぱかった米は噛めば噛むほど甘さを増して、香ばしく焼かれた海苔の香りと絶妙に合っている。
エルナは思わず
感動した、スタンディングオベーションしたい気分だ。
「どう? 気に入ったかな?」
「おいしい……。おいしいですこれ! この世にこんなに美味しいものがあるなんて考えもしませんでした」
一口、また一口とおにぎりを口に詰め込み、頬は瞬く間に冬眠前のリスのように大きく膨らんだ。
「そんなに急いで食べなくてもまだあと三つあるから……」
「――! ――んぐっ。まだあるのですか。それではもうひとつ頂けませんか?」
「もちろん!」
マリナは嬉々として、昼食用に持ってきたおにぎりを差し出した。
「くぷぅー。たくさん食べました。もう入りません」
エルナがマリナの持ってきたおにぎりをすべて平らげるのには、それほど長くはかからなかった。
エルナはマリナから貰った食後のお茶を飲みながら、風船のように膨れた腹をポンポンと子気味よく叩く。
「私の分もあげちゃった……」
マリナは若干後悔した。
エルナがあまりにも美味しそうに頬張るので自分のおにぎりを取っておくのを忘れてしまったのだ。
「これほど美味しい料理を私に振る舞うとは中々やります。褒めてあげましょう」
人族がこんなに美味しい料理を食べているなんて、ただただ愚鈍な種族なので泥団子でも食べているのだろうと想像していただけに驚きだ。
エルナの好物が、子ドラゴンの目玉入り鮮血スープからおにぎりに変わった。
「私の国にはもっと美味しい食べ物がたくさんあるんだ」
「なんですって! このおにぎりとやらよりも美味しいものが……」
おにぎりより美味しいものを作れるなんて、人族も一概に馬鹿にできないのかもしれないとエルナは思った。
いつか他の料理も食べてみたい。
「お餅とか納豆とかお味噌とか。今度持ってきてあげるね!」
「マリナがどうしてもと言うのなら食べてあげましょう」
彼を知り己を知れば百戦殆からず。
人族について知るためにも食べない手はないだろう。
かなり美味しいし。
「マリナ……? 今、エルナが私のことマリナって呼んでくれた!」
マリナはエルナに名前を呼ばれたことに歓喜し、隣に座るエルナに喜色を満面にたたえた顔をグイッと近づけた。
「近いですよ。名前を呼んだくらいで何をそんなに喜ぶことがあるのですか。本当に人族はよく分かりませんね」
「だってエルナ、人族のことをぐどんだとか言ってたもん」
「はい。ですが想像していたほど愚鈍ではなかったというか。現に会話は成立していますし……あ、でももちろん人族は愚鈍なのですよ。愚鈍なことに変わりはないのですが一概に馬鹿にできないというか……」
マリナは隣で大きく首をかしげている。
エルナも自分で何が言いたいのか分からなくなった。
「とにかく、私に美味しい料理を振舞ってくれたことには感謝しているので」
遠まわしな言い方はやめて自分の思いを率直に伝えてみることにした。
マリナの顔が一気に明るくなった。
「それじゃあ私たちこれで友達だね!」
「人族とそんなに馴れ合うつもりはありませんが、あなたがどうしてもと言うのなら……」
友達などいたことがないエルナはどうすれば良いのか分からなかった。
エルナは頬を姫りんごのように紅潮させて頻りに視線を泳がせながら、ボソボソと呟いた。
嬉しい、初めての友だちだ!――と叫びまわりたい衝動を必死で抑えながら。
「王女様ー! エルナ王女様ー! どちらにいらっしゃるのですかー!」
その時、エルナは遠方から自分の名を呼び立てる侍女の声を聞き取った。
魔宮殿を抜け出したエルナを探しているようだった。
「侍女が私を探しているようです。それではそろそろ帰るとします」
エルナはおもむろに立ち上がると優しくお尻をはたいて声のするほうへ一歩踏み出した。
「あっ……待って!」
マリナは俯きがちにそう言って、立ち去ろうとするエルナを呼び止めた。
「なんです」
そのままエルナを見上げ、はにかんだ笑顔で小指を立てた右手をエルナのほうへ差し出した。
エルナにはマリナが何をしているのか理解できなかった。
「ゆびきりっていうの。約束を絶対に守りますって誓うのよ」
差し出された右手を見つめたまま呆然と立ちつくすエルナにそう教え、マリナはエルナの右手をとった。
二人はそのまま小さな小指を絡ませた。
「また明日も一緒に遊びましょ!」
「……明日もですか。魔宮殿を抜け出すのは大変なのですが」
「ゆーびきった!」
「マリナがそこまで言うのなら仕方ありません。今日のお返しもしなくてはなりませんし」
「やったー! それじゃあ明日もここで待ってるね」
「当たり前です。人族が次期魔王である私を待たせるなど言語道断です」
そう言い残すと、エルナは踵を返して声のする方へ駆けて行った。
「じゃーねー! エールーナーちゃーん!」
だんだんと小さくなってゆく、ただでさえ小さなエルナの背中に、マリナは精一杯の声をぶつけた。
心のわだかまりが解けた気がする。
人族は案外悪い奴じゃないのかもしれない。少しだけ明日が楽しみだ。
エルナはくすりと笑った。
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