第32話 一縷の望み

 ――捕まりました。それはもう、あっけなく。


「もう逃げ出すんじゃないぞ! 分かったか!」


 ガンッと大きな音を立てて、さっき俺たちが抜けてきたばかりの扉が閉められた。


 当たり前だがこの看守、血走った目をしてかなり怒っている。


 鉄格子には先ほどよりも頑丈そうな鍵がかけられ、その上からこれでもかというほどに鎖が巻きつけられた。


 一度目の投獄の時とは違って手足の自由を奪われている今、ここから再び抜け出すのは困難をきわめる。


「次逃げ出したら俺がその場で処すっ! 明日は、最後に食べたい物の希望を聞くから考えておけ! いいな!」


 小太りの看守は何やらぶつぶつ言いながら鎖にもいくつか鍵をかけると、ドスンドスンと大きな足音を立ててどこかへ行った。


「あーあ。せっかく逃げられたと思ったのに捕まっちゃったわね。でもまた逃げ出せばいいのよ。ねっ、そーちゃん!」


 どうすればそこまで楽観的になれるのだろうか。


 マヤが縛られた手足をもぞもぞと動かして、肌身離さず装備しているはずの創造の杖を探す。


「……あれ!? いない……そーちゃんがいないわ!」


「お前、一番に気絶させられてたもんな。その時手に持ってたから没収されたんだろ」


「一番はサトじゃない! あたしはそーちゃんと必死に戦ってたんだから」


「クマのぬいぐるみを創造して乱射してただけじゃねーか。どんな戦法だよ。どうせなら撒菱まきびしとか鳥もちとか、追跡を妨害できるようなもの創造しろよな」


「そっ、それはあれよ。ちょっと動揺してたのよ。それより、サトのほうが何もしてなかったじゃない」


「……看守に体当たりしたし」


「まさか、この牢屋だけでなく地下牢全体で魔法が使えないとは考えていませんでした」


「それには俺も驚いた。【湧水】が使えなかったもん」


「そんなの使ってどうするのよ」


 無計画で脱獄した俺たちは、生け簀の魚も同然だった。


 なすすべもなく気を失わされ、気づけば全員手足を拘束されていた。


 いくら高等魔法使いがパーティにいるとはいえ、魔法の使用を封じられてしまえばどうすることもできない。


 現在の俺たちに残された道はただ一つ。


 三日後に処刑台で首をはねられるのを大人しく待つことだけだ。


 最後の晩餐は何にしよう。




 ………………………………。




「「「はあ……」」」 


 この場にいる三人が大きなため息を漏らしたのは同時だった。


 牢屋の空気がかなり重い。


 誰もが勝利を確信した残り数秒で同点に追いつかれた上に、PK戦で敗北を喫したサッカーチームの試合後のロッカールームくらい空気が重い。


 いや、それより重い。


 なにせここにいる者は皆、死を目前に控えているのだから。


 エルナもマヤも、生ける屍状態だ。


 なんとか場を盛り上げなくては。 


「マヤは何を最後に食べるつもりなんだ?」 


「どうして急に食べ物の話なのよ」


「場の空気が重い時は当たり障りのない話題から入るもんだろ。『今日はいい天気ですねー』とか、普通は天気の話だが、あいにくここは地下牢だ」


「ふーん、最後の食事は当たり障りのない話題とは呼べないと思うけど、まあいいわ。あたしも暇だし」 


 そう言うとマヤは天井を見つめ、何やら考え始めた。


「うーん、最後の食事は悩みどころね。豚骨ラーメンも食べたいし、カレーうどんも食べたいわ」


「いいなー! 懐かしい。俺も食べたくなってきた」


「だけど、チャンポンも焼きそばも捨て難いのよね。そうめんでさっぱりっていうのもありだし……。あっ、ナポリタンもはずせないわね。瓦そばは奇をてらいすぎかしら」


「うんうん。……っていうか、どうして麺類ばかりなんだよ。それにどれもこの世界じゃ食べられないだろ」


「食べられるわよ。そーちゃんが作ってくれるわ。ダンジョンの中で寂しかっ……引きこもり生活を満喫してた時も、毎日のように食べてたもの」


 創造の杖は、そんなものまでつくってくれるのか! 


 羨ましい。毎日、食べたいもの食べ放題じゃないか。


 今度お願いしてチョコレートを出してもらおう。それと納豆も。


 あっ、もう俺たちに今度なんて来ないんだった。


 三日後にはお花畑に行かなきゃだもん。


 もうサトったらおっちょこちょいなんだからっ。てへっ!

 

 あーーーーーー。虚しい。


 場を和ませようと振ったはずの話題なのに、結局最後は極刑という不可避の現実に対面させられてしまった。


 まあ、多少なりとも気を紛らわすことはできるのでエルナにも聞いてみようっと。


「エルナはどうだ? 最後は何を食べたい? ちなみに俺はオムライスだ」


「ええ。それより、皆さん少しよろしいですか。お話したいことがあるのですが」


 俺の質問をいなすと、エルナが肩をすぼめて申し訳なさそうに俺とマヤに呼びかける。


「どうした? 深刻そうな顔して」


「信じていただけるか分かりませんし、あくまで私の希望的観測に過ぎないので、お話しするべきか悩んでいたのですが、あらゆる希望が潰えてしまった今、皆さんにもお話ししておいた方が良いかと思いまして」


「どうしたの? かなり気になるわね」


 マヤが興味津々に上半身を乗り出す。


「実は、おぼろげながら見えてしまったんです。国王陛下にぴったりと寄り添って離れない、この世ならざる何者かが――」


「この世ならざるもの、ね……。エルナってお化けが見えるのね! なんだかかっこいいわ! あたしは見えなくて大丈夫だけど」


 そう。エルナにはこの世ならざるものが見えるのだ。


 以前クロエのダンジョンに行く鳥車の中で、俺の隣に座っていたとかいうアンデットと念話で歓談していたらしい。


 家にいても一人で一点をじっと見つめていることがよくあるが、あれもこの世ならざるものとの会話に興じているのだろう。


「はい。人並みにですが、見えます」


 だから普通の人には見えないの。


「それじゃあ、国王に憑いた悪霊のせいで国が貧乏になったかもしれないってことか?」


「はい。先程も申し上げました通りあくまで希望的観測ではありますが。ですが、国王陛下の周囲からは邪気を全く感じられなかったのです。むしろミラ様にお会いした時のような正気を感じました。もっと時間があればお話しできそうだったのですが……」


 ミラには正気よりも邪気の方が似合っている気がするが……。


「うーん…………。難しい話ね」


「次国王に会えるのは三日後の刑執行の時だろう。エルナ、その時にもう一度良く確認してみてくれないか。俺達もできるだけ時間を稼ぐ」


「あたしも手伝うわ!」


「はい! やってみます」


 たとえ希望的観測に過ぎないとしても、そこに助かる可能性が僅かでもあるのなら、最後の瞬間まで全力で抗ってやる。

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