第15話 良い枕

 次に目を開いた時、眼前に広がるのは夕日に染められた茜色の空だった。


 眩しくて、なかなか大きく目を開けられない。


 それにしても、暖かくて程よい反発と肌触り。


 とても寝心地の良い枕だ。




 …………………………。


 枕!?




 勢いよく身を起こし、これまで自分が寝ていた場所を振り返る。


 そこには、行儀よく正座したエルナの姿があった。


「ようやく回復しましたかサト。まったく、本当に驚いたんですからね。残り魔力が限界ならそう言ってくれないと困りますよ。まるで私が超スパルタ魔法使いみたいになってしまったじゃないですか」


 真っ白な肌を斜陽に照らされたエルナが、そう微笑みかけてくる。


「エッ、エ、エ、エ、エルナ……」


「なんでしょう? そんなに慌てて」


「俺……まさか……エルナの……膝の上で……」


「はい、サトは私の膝枕でとても心地よさそうに眠っていましたよ」


 なんだと!?


 いつの間にこんなことになったんだ。


 そもそも俺はあの時……。


 そうだ、上手く魔法を使えたと大喜びしていたら急に体が重たくなったんだ。


 それからは……。


「私が、魔力切れで意識が朦朧もうろうとしているサトのところに駆け寄ると、サトが言ったんです。『エルナ、膝枕』って」


 本当に俺が、そんなに思い切ったことを言ったのだろうか。


 一切記憶にない。


「確かに俺がそう言ったのか?」


「はい、確かに! なんなら魔法でその時の発言を再現することだってできますよ。聞きますか?」


 そう言って、エルナはいたずらっぽく笑う。


「いやだ」


 人の本性は窮地きゅうちおちいったときにこそ分かるものである、というのはこういうことなのだろうか。


 もう少し仲良くなってからお願いしようとずっと我慢していた膝枕を、こうもたやすく要求してしまうとは。


 ナイス、俺。


 このまま何食わぬ顔をしていることも出来るが、そうあっては体裁が保てない気がするので、ここは素直に謝ることにする。


 それに、保身どうのとは関係なしに、意識が朦朧としていたとはいえ、エルナを少なくとも数時間拘束してしまったことについては反省している。


 俺調べ(妄想)では、膝枕の限界は十分といったところだ。


 言うまでもなく、正座の限界よりはるかに短い。


 それ以上ともなると、対象にかなりの愛情を抱いていなければ、到底不可能だろう。


 それなのにエルナは、なんの見返りも求めずに長い間膝枕をして俺の回復を待っていてくれたのだ。


 俺のことが好きなわけではないと明言したにも関わらずである。


 なんと心優しい女性なのだろう。


「すまなかった! ほら、この通り」


 言いながら、エルナに最大級の謝意を伝えるべく、正座して地面に両手を付き額を擦りつける。


 見よエルナ、その翠色の目にしかと焼き付けよ。


 これこそが、我が郷里の誇る最大級の謝罪方法。


 自らの尊厳と引き替えに、高確率で相手の許しを得ることができる最終奥義。


 ジャパニーズ、ウェイ、オブ、アポロジャイジング!(Japanese way of apologizing !)




 ――土下座である。




「どうして謝るんです? 正座なんて、いくらでもしていられますよ。それに何ですか、その変な格好」


 正座したままエルナを見上げる俺を不思議そうに見ながら、エルナは続ける。


「私がサトの大切にしていた“あれ”を昨晩うっかり“ああ”してしまったことを許してくれるのならいいですよと言ったら、サトはうなずいたじゃないですか。ですから、謝る必要はありません」


「……そんなことが。っていうか、“あれ”ってなんだ? “ああ”ってなんだ? 覚えてないからもう一回話してくれないか。約束したらしいから絶対に怒らない」


「サトったらもう忘れてしまったんですか。それじゃあ、もう一度だけお話しますね」


 エルナが昨晩何をしでかしたのか、かなり不安だ。


 ゴクリと唾を飲み込む。


 エルナはいつになく真剣な顔つきになると、視線を真っ直ぐ俺の目に合わせる。


「私は昨晩夕飯を作っている時に、サトが大切そうにしていたトゲトゲの茶色い掃除道具を薪と間違えてうっかり燃やしてしまったんです。タワシ、でしたっけ? 本当にごめんなさい」


「んぐっ!?」


 目の前が一瞬真っ暗になったかと思えば、背中や脇の下、身体中のありとあらゆる汗腺から冷や汗が吹き出してくるのが分かった。


 嘘だろ。


 大切な商売道具が灰燼に帰してしまったということか。


「そっ……そうか。それは大変だった……な。次からは……気をつけろ……よ」


 絶対に怒らないと約束してしまった以上、怒ろうにも怒れないのが悔しい。


 絶望とも悲憤ともつかない感情が込み上げてくるが、家事を全てエルナ任せた俺にも多少の責任はあると自分に言い聞かせて、必死で堪える。


 深呼吸をして、乱れた呼吸を整える。


 額を滴り落ちてくる数滴の汗をぬぐう。


「サト、最後にこれが残りました」


 エルナは俺の手を取ると、その上に楕円形の針金をそっとせた。


 そのまま手をゆっくりと閉じ、俺にタワシの遺骨ならぬ遺針金を握らせる。


 ひんやりとした金属独特の触感が、手のひらから僅かに熱を奪ってゆく。


 ――明日から、どうやって稼ごうか。 

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