第14話 魔法

清冽せいれつたる水よ、我が手掌しゅしょうより奔出せよ。【湧水】」


 手のひらを、水とも汗ともつかない雫が数粒、たらたらとしたたり落ちるのを感じる。


「うーん……。詠唱は悪くないのですが……何が間違っているのでしょうか」


 エルナのパーティ加入からしばらくが過ぎた。


 彼女が家に来てから、生活の質が大きく向上した。


 一番大きなのは、魔力が電気やガスの代わりに使われているのを知ったことだ。


 温かい湯船に浸かると一日の疲れが一気に吹っ飛んでいく。


 他方、いくつか問題が明らんできたのもまた事実。


 まず解決すべき問題は、エルナの添い寝問題だ。

 

 俺が寝る時には立ったまま眠っていたはずのエルナが、毎日朝になると俺の隣で眠っているのだ。


 本人曰く、


「私の本能がより心地よい寝床を求めてしまうのです。申しわけないとは思っていますが、これは不可抗力ですから仕方がありません。決して、サトに好意を抱いているわけではありません」


 ということだ。


 立ったまま眠っているエルナを縛って動けないようにしてみたこともあったが、効果はなかった。


 初めのうちは心臓の鼓動が早くなって、徐々に顔が上気するのを感じていた。


 エルナを起こす手はぶるぶる震え、声は裏返ってしまっていた。


 何せ隣で寝息を立てているのは、かなりの美女なのだから!


 だが、今ではもうほとんど何も感じなくなってしまった。


 いつからだろう。


 俺の事が好きなわけでは無いと知ってからだ。


 そして俺は今日も、休暇を利用して家の前の草原でエルナに基礎魔法を教わっている。


 便宜上は、クロエのダンジョン攻略のための戦力の向上を目的としている。


 せっかく魔法が存在する異世界に来たのだから、やはり魔法の一つくらい使ってみたいものなのである。


 エルナに聞くところによれば、今俺が練習している【湧水】という魔法は、基礎魔法の中でも習得が容易な部類に位置する魔法で、どこにいても水を出せるという便利さゆえに、人気がある魔法らしい。


 基礎魔法は、一般的に魔力値が低いとされている人であっても、一日ほど練習すれば使えるようになる魔法らしいのだが……。


 今日で練習は五日目。どうやら俺の魔力値は、冗談でもなんでもなく、本当に最低レベルらしい……。


「さあ、もう一回、今度はもっと詠唱に力を込めてやってみましょう!」


「ああ、清冽たる水よ……我が手掌より奔出せよ! ――【湧水】!」


 コップ一杯程の水が綺麗な放物線を描いて地面に落下する。


 ようやく、水が地面に落ちるのが音でも分かる程度になった。


「うお! 見ろよエルナ! 水が出たぞ、俺の手から水が出たぞ!」


「その調子ですよサト! 清冽たる水よ我が手掌より奔出せよ! 【湧水】! ほら、次はこんなふうに腕を真っ直ぐに伸ばして、魔素の通りを意識してみてください」


 そう言うエルナの手のひらからは、草原の草たちをなぎ倒すほどの勢いの水が、一定の強さを保ったまま真っ直ぐに噴出している。 


「すごい…………」


 さすが、高等魔法使いは基礎魔法の威力も桁違いだ。


 ここで、魔法を詠唱するエルナを見て、ある疑問が浮かんだ。


「詠唱は絶対にしなくちゃいけないのか? ほら、いちいち唱えるの面倒だし」


 それに、エルナくらいの魔法使いになれば基礎魔法の詠唱くらい省略できそうなものだ。


「魔素を自らの意思によって操れるようにまでなれば、詠唱は省略できるそうです。魔族の方は、無詠唱でポンポンと魔法を放ちますが、人族でそのようなことをできる方は、かつての救世主様以外に聞いたことがありません」


「そんなに難しいことなのか? 魔素を操るのって」


「はい。起源の違う人族と魔族では魔力量も体内の魔素循環効率にも大きな違いがあります。魔族は生まれつき体内の魔素を操ることができますが、人族はそうではありません。後天的に魔法を習得する人族はそれだけ不利なんです」


「へえー。【湧水】!」


 曲がりなりにも異世界転移したわけだし、もしかしたら無詠唱魔法くらいはできるのかもしれないと、無詠唱で試してみる。


 ……………………。


 が、詠唱ありでの魔法さえも完璧に習得できていないので、無詠唱で水が出てくるはずもなかった。


「サト……私の話、聞いてましたか?」


 魔素の何たるかは未だによく分かっていないが、この数日で血液の流れとはまた別に何かが身体中を流れているのを、漠然とではあるが感じられるようになった。


 次は、エルナの言う通りに腕を真っ直ぐに伸ばして、手の先に意識を集中させる。


 身体中を流れる何かが、その一点に集中して僅かに熱を帯びているように感じられる。


 集中を切らさぬまま、詠唱にはいる。


「清冽たる水よ、我が手掌より奔出せよ! ――【湧水】!」


 詠唱を終えると、手のひらから先ほどよりさらに多くの水が、今度は真っ直ぐに噴出された。


 水を発射した反動によって、手のひらが後ろに押し返されるのを感じる。


 草たちをなぎ倒す程の威力はないにしても、夏日に遊ぶのにはちょうど良い水量と水圧だ。


「やったぞ……。やったぞ! 魔法が使えたんだ! この俺にも、魔法が、使えたんだー!」


 これまで、ファンタジーの世界でしか見たことがなかった魔法を自分で使える日が来ようとは! 


「基礎魔法なんですけどね……」


 基礎魔法だろうとなんだろうと、嬉しいことこの上ない。


 喜びもつかの間、次の瞬間にはどっと倦怠感が押し寄せてきた。


 平衡感覚を失い、身体中から力が抜けて、真っ直ぐに立っていられなくなる。


「サト!」


 それからしばらく記憶はない。

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