第16話 準備

 俺が城壁清掃のアルバイトを辞めたことは、コルネリアス王国城壁清掃の極致――サト・ホシカワの勇退として、町でちょっとした話題になった。


 俺が初めて見た時に比べれば、この町の城壁はずいぶん綺麗になったと自負している。


 それもこれも全て、あの神界のタワシのおかげだ。


 あんなに素晴らしいタワシを俺に与えてくれたミラには、感謝してもしきれない……。


 ――いや、違う。


 俺はそもそも神器と共にさっさと魔王を討伐して、救世主として悠々自適に暮らすことを夢見てこの世界に転移したはずなのだ。


 それがどうだ、無責任女神の無闇な大盤振る舞いのせいで神器は底をついてその代わりに渡されたのはタワシだし、救世主として世界に名をとどろかせるつもりが城壁清掃者として有名になってしまっているし、魔法職に就くつもりが魔力値は最低レベルでおまけに回収者コレクターなんていうこの上なくダサい天職に就かされているし。


 それに追い打ちをかけるかのようにエルナにタワシを焼却されて、駆け出し冒険者向けの採集系クエストで毎日必死に稼いでいるし。


 ここにはなんの脚色もない。


 あの日の俺に、現在俺の置かれている状況をを有りていに話せば、星川慧は恐らく絶句することだろう。


「お待たせしましたー。こちら、クロエのダンジョンの挑戦許可証です」


 自分の不遇な異世界生活に思いを馳せていると、ダンジョン挑戦許可書を手にしたギルド職員のユーリアさん――落ち着いたお姉さんが、こちらへ駆けてきた。


「ありがとうございます」


 俺たちは明日、満を持してクロエのダンジョンへ向かう。


 今日はそのための許可申請をしに、ギルドへ来たのだ。


「そういえばサトさん。エルナさんはどうですか? 何も問題ありませんか?」


 俺が許可証を受け取って受付カウンターを後にしようとしたところで、ユーリアさんはそう切り出す。


 普段のほがらかな顔つきとは打って変わって、気遣わしげな表情を浮かべている。


「どうって……。エルナは俺と一緒にいるのがもったいないくらいの魔法使いで、どうして色々なパーティから追い出されてきたのか不思議なくらいですよ。少しドジですが」


 これはお世辞抜きの本心だ。


 本人の前で言うのは照れくさいが、エルナが来てくれて本当に良かったと思っている。


「本当ですか! それはよかったです」


 それを聞いたユーリアさんは、嬉々とした様子でそう言って頬を緩めた。


「お引き留めしてすみませんでした。これからもエルナさんと仲良くしてあげてくださいね!」


「こちらからお願いしたいくらいですよ。それでは、ありがとうございました」


 許可証を持って、クエスト掲示板の前にいるエルナのもとへ向かう。


 張り出された依頼を眺めながら何やら考え事をしているようだ。


「エルナー、挑戦許可がおりたぞー」


「……! そうでしたか! よかったです。これで一安心ですね」


 エルナは、安堵のため息をもらす。


「ところでサト。どうしていきなり、クロエのダンジョンに挑戦したいなんて言い出したんですか?」


 そう言えば、エルナにはまだ話していなかった。


 俺が無責任女神の尻拭い要員としてこの世界に転移させられたことを。


「エルナ、俺の職業は知ってるか?」


「知っています。確か、回収者でしたっけ」


「そうだ、回収者なんだ。救世主セイバーではない。ところで、今までにこんな疑問は浮かんでこなかったか? どうしてこの人は、異世界からの転移者なのにパーティメンバーが集まらず思いあぐねていたのだろうかと」


 エルナは目を丸くしてあごに手をあてると、うーんと唸る。


「あの頃はとにかくパーティへ加入することに必死だったのでそれほど気にならなかったのですが……言われてみると不思議です。異世界から来た方々は皆、その人にしか扱えないとされる神器を持っていてとてもお強いはずですが、サトには神器も特別な力もありませんよね」


 自覚はしているつもりだが、神器がないだの力がないだのと改めて人から言われるのは少々こたえる。


「ミラ――この世界の神は、ありとある神器を全て転生者や転移者に配り尽くしてしまったんだ。そして俺の使命は、世に放たれた十二ある神器を全て『回収』する事らしい。だから当然、俺は神器を受け取れなかった。そして代わりに貰ったのがタワシだった。それも今や……」


 エルナの表情が一気にこわばった。


 足を震わせ、奥歯をガタガタと鳴らし、額からは汗が垂れている。


「どどどど……どうしましょうサト。私、神様からの贈り物を、ももももっ燃やしてしまいました! はわわわ、にっ……にえになります。私が生贄いけにえになりますから、どうか許してください……神様! サト様!」


 そのまま、人目をはばかることなくギルドの床に大の字で寝転んだ。


「さあ、覚悟はできています。いっ……いつでも来てください!」


 そう言って、目を固く閉じるエルナ。


 同時に、俺には周囲の冒険者並びに受付のお姉さん達から冷ややかな視線が向けられる。


 そんな視線を大人数からしかも一度に向けられると、何もしていないはずなのに、得体の知れない罪悪感を覚える。


「おっ、落ち着け。タワシのことはもう気にしてないから。それに、ミラだって生贄なんか望んでないだろうさ。だから、だからせめて立ち上がってくれ」


 エルナにタワシを焼却されなければ、俺はおそらく今頃も城壁を清掃し続けていただろう。


 だから、俺に神器回収という本来の目的を思い出させてくれたという点では、エルナに感謝するべきなのかもしれない。


 何はともあれとにかく早く立ち上がって欲しい。


「本当ですか? 私、神の逆鱗げきりんに触れていませんか? 呪い殺されませんか?」


 エルナは寝転んだまま目をカッと開き、潤んだすい色の瞳をこちらに向ける。


「ああ。今頃あいつは、惰眠をむさぼってるか漫画でも読んでるはずだ」


 エルナの顔が次第にほころんでいく。


 おもむろに立ち上がると周囲を見渡して頬を紅潮させ、軽く一礼する。


「すみません。悪目立ちしてしまったようです」


「いいさ、もっと早く話しておくべきだったな。それで、神器のうちの一つ『創造の杖』がクロエのダンジョンに眠っている、という訳だ。分かったか。クロエのダンジョンに挑戦したい理由が」


「はい! 十二分に!」


 エルナは、屈託のない笑みでそう答える。


 ところで、クロエのダンジョンの推奨レベルはレベル5からと、難攻不落のダンジョンにしては驚くほどに低い。


 それが功を奏して、俺たちでも無事に挑戦許可証を貰えたようだ。


 連日のクエスト挑戦でレベルも8まで上がった。


 もう、魔法を一発放ってダウンするような魔力値ではない。


 加えて、最近奮発して購入したショートソードも装備している。


 ショートソードを使った立ち回りも、クエスト中に遭遇する小さなモンスターとのやむを得ない戦闘ではあるが、幾許いくばくかの戦闘を経験して、ようやく様になってきた。


 俺の魔力値が最低レベルとはいえ、パーティには高等魔法使いのエルナがいるので、死ぬような事はないだろう。


 難攻不落であるにも関わらず死者はなく、まして凶暴なモンスターすらいない。


 疑問は深まるばかりだが、ここでいくら考えようとその理由は全く見当もつかない。


 まあ俺としては、攻略できずとも「創造の杖」を回収できさえすれば良い。


「ああ、よかったよ。それじゃあ、予定通り明日の朝に出発だな。鳥車ちょうしゃには乗り遅れないようにしないと」


 この世界の馬は大変凶暴なのだそうで、調教はおろか、人間には捕まえることさえ能わないらしい。


 その代わりに大型の鳥類を使うのだと。


 馬車は魔族の乗り物としての認識が強いそうな。


「はい! 何だかわくわくしてきました」


 そう言ってエルナは、あどけない微笑みを浮かべる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る