5 魔女の秘密
ある日買い物から帰ると、店の方ではなく自宅の玄関の前に見覚えのある男たちがいた。同僚デコボココンビ、一応先輩の川本さんと畑中さんだ。人の家の前でタバコを吸い、俺を見つけるとこれ見よがしにその場に捨てて足で揉み消した。俺は無視して家に入ろうとしたが、呼び止められた。
「よう給料泥棒、新婚生活はどうだい」
「早速介護付きで大変なんだってな。でも少し待てば店も女も手に入るんじゃ、シモの世話だって我慢できるよな」
頭に血がのぼる。しかしこれは刑事の手だ、怒らせて余計なことを言わせるのだ。俺は黙って玄関を開けた。
「なあ、美人の魔女呼んでこいよ。今日は魔女に話を聞きにきたんだからよ」
「いないよ」
本当はいると思うが、俺はこいつらを魔女に会わせたくなくて嘘をついた。玄関を閉める。
「頼むよアリスちゃん。お前も魔女のこと知りたいだろ」
扉の隙間に川本さんの靴の尖った爪先が入っていた。苛立ちながらも俺は努めて冷静にいません、帰ってくださいと繰り返した。
「魔女、旦那があれで最近さびしいんじゃねえの?男漁りしてたって話があるんだよ」
「いい加減にしろよ!」
俺は川本さんの胸倉を掴んだ。川本さんは横幅こそあるが身長は俺より頭ひとつ分低い。力任せに捻り上げる。尖った爪先が浮き、川本さんはあわてて何だよと怒鳴り、畑中さんが割って入った。畑中さんは川本さんの金魚のフンだ。
「お前が休職する前、魔女が町で何人もの男に声掛けてんの、見てる人がいるんだよ。中に行方不明になってる男がいたから聞き込みに来たんだ」
顔を真っ赤にして、川本さんがネクタイを直す。いい年して若者みたいなブランド物ばっかり着やがって。
「魔女がひとりで出歩いてるとこなんて見たことないすよ」
「お前バカだな、あんな目立つ人見間違える訳ねえだろ。しかも1日だけじゃないんだぞ。いいから魔女を呼んでこいよ」
「いません」
「この野郎、お前が休職なんて調子に乗るから俺たちがきつくなってんだろ。いいか、お前が休職したタイミングで魔女は男漁りをやめたんだ。そういうことじゃねえか。いいから出せよ!」
「いねえよ!帰れよ!」
手が出そうになった時、後ろから袖を引っ張られた。魔女だ。
何か私に用ですか、と魔女が小さな声で俺に尋ねる。出なくていいよ、と俺は魔女を中に入れようとしたが、魔女はそっと表に出た。仕方ないので俺も出る。
「やあ魔女さん、いや黒塚識さんですね、お話いいですか」
川本さんが少し動揺したように額の汗を拭き、ネクタイをいじる。話に聞く魔女の美しさに驚いたようだ。ざまあみろ。
川本さんは、俺が行方不明者の聞き込みに引っ張り出されていたあたりの日付を二、三出して、この日町にいませんでしたか、と尋ねた。魔女は不安そうに刑事たちを見ていたが、少し考えて、はい、いました、と答えた。
俺は驚いた。雨野さんはもうあまり外出しなくなっている頃だ。本当にひとりで出歩いたのか。どんなやむにやまれぬ事情があったのか。川本さんがほらな、とでも言いたげに俺を一瞥する。俺は雨野さんが荒れていた時期とも重なることに思い当たって、暗い気持ちになった。雨野さんはこれを知っていたのだろうか。
畑中さんが手帳をめくる。
「ええと、それでですね、その日は何の用事で出かけられたんですか。お買い物ではなかったようですが」
魔女はそうですね、と少し言い淀むようにして、口元に手を当てた。
「用事は……その、人を探して」
「誰をですか?」
「誰、と言いますか……」
魔女はひどく言いにくそうだ。
「あの、……そう、あの、私ひとりでは致しかねることを、その、お手伝いいただける方がいないかと、思って」
ひとりで致しかねる。男たちは思わず魔女をまじまじと見た。
「その、あなたが何人かの男性に声をかけているのを見ていた方がいるんですが、あなたはその男性に、ええと、お手伝いをしてもらったんですか」
川本さんが真っ赤になって質問する。魔女はうつむいて視線をそらし、はい、と答えた。畑中さんがおそらく行方不明者の写真を見せて、この人も、と尋ねると、魔女はちらりと写真を見て、再びうなずいた。
「この人はあなたと面識がなかったはずですが、どうして声をかけたんですか」
畑中さんが手帳を忙しくめくりながら尋ねる。魔女はおろおろしていたが、消え入りそうな声で言った。
「大きさが、ちょうど良く思えましたので」
大きさ、と刑事コンビが復唱する。
「大きさ、と言いますと」
「あの、体の……」
体の。
「あの、どんなお手伝いがあったのか、詳しく伺っても……」
川本さんが汗を拭きながら食い下がる。魔女は俺の後ろに少し隠れるようにしながら、両手を胸の前でぎゅっと握った。
「あの、警察の方には、申し上げにくいです……私、捕まるんですか。今は、困ります」
魔女がすがるように川本さんを見る。川本さんはますます真っ赤になっていや、別に、お金のやり取りがなければ、みたいなことをもごもご言った。
「今、そういったことがないのはやっぱり」
「ええ、今はもう必要ありませんから」
答えにくい質問が終わって安心したのか、魔女はほっとしたように答えた。いや俺は困る。刑事コンビがそういう勘違いをしている。勘違いでなければ仕方ないが、勘違いだから余計に困る。俺は何もしていない。
「ではこの渋澤の頑張りはあなたの役に立っていると」
「え?ええ、渋澤さんには大変助けていただいています。そのために皆様お忙しい思いをなさって、私たちのために本当にすみません」
先の言い争いを聞いていたらしい。魔女は丁寧に頭を下げた。話が食い違っているように思うが、心中それどころでない俺はもう何が何だか。
その後刑事たちは何枚か写真を見せた。知り合いはいないか、彼らが行きそうな場所に心当たりがないか。いくつか質問していたが、魔女から目ぼしい答えは得られなかったようだ。
「では、ご協力ありがとうございました。黒塚さん、渋澤で足りなくて、もしまたお手伝いが必要なら、俺も協力しますよ」
川本さんが手帳を閉じてにやにや笑う。この野郎。俺が前に出ようとすると、魔女は川本さんを上から下まで眺めて言った。
「私がお願いしたいサイズではないようです。小さ過ぎて」
唖然とする俺たちの前で魔女はふんわり微笑んだ。
刑事どもを見送り塩を撒いたあと、俺は何となく魔女と向かい合った。が、目を合わせられない。あっちこっち目を泳がせ、ちらりと見る。魔女は、何も気にしていない。大きな目で不思議そうに真っ直ぐ俺を見上げている。そしてくすっと笑った。どきどきする。
私を捕まえに来たのでなくて良かった。知らない人とあんなに話したのは久しぶりです。緊張し過ぎて、疲れました。
「え、魔女さん緊張してたんですか」
はい、と魔女はうなずいた。刑事さんて怖いですね。なんて魔女が言うから、俺は言い返す。怖くはないです。失礼でバカなんです。あなたにあんなこと言うなんて最低だ。そして尋ねる。
「あの……雨野さんに、このことは」
心配させたくないんです。どうか、言わないで。
魔女が不安そうに俺を見る。そりゃそうだろう。俺は若干の良心の痛みを覚えつつ、約束した。今はもう必要ないと言うし、真実を知ればいいと言うことではない。
でも、もうひとつだけ聞いてもいいですか。
「お、お、お俺は、魔女さんのお手伝いできそうですか」
魔女は少し首をかしげて俺を見た。
そうですね、でも。
あなたは私とあの人の特別な人だから、そんな風に思って見たことはありません。
「……」
特別って、何だ。何だ、何だ、何なんだ!
夕方、山田さんが来た。
「川本がやらかしたってなあ。魔女に小さい呼ばわりされてペシャンコになったって、畑中がふれ回ってたぞ」
「畑中さんは川本さんの友達かと思ってました」
「男の友情なんざ儚いもんよ」
山田さんが嬉しそうに笑った。若い者の失敗が大好物なのだ。しかし急に真顔になる。
「でも、魔女がなあ。そりゃ人なんだからそういうこともあるだろうが、うん、まあ」
楚々とした美人なんていねえんだな、と山田さんは沈んだ声で言った。
「俺は何かの間違いだと思いますよ。その時期だって短い時間だけど毎日顔合わせたんだから。そんな感じなかったですよ」
俺は考えた末こう信じることにしたのだ。言い切ると、山田さんは俺の肩を叩いた。
「いいぞ渋澤、お前はそれでいいんだ」
俺は久しぶりにサイフォンでコーヒーを淹れた。店の方は暫く掃除していないので、魔女の許可を得て奥の自宅の方に来てもらっている。
「お前もコーヒー淹れるの上手くなったなあ」
「どうも。今度お金取ろうかな」
山田さんは俺ゃ恩人だろうが、とふくれた。もちろん感謝している。今こうしていられるのは山田さんのおかげだし、特に今日はおみやげにあの店のおでんを持ってきてくれた。気がきいている。さっき雨野さんと魔女にも持っていった。きっと気に入ってくれるだろう。
山田さんがコーヒーを啜り、ふと真顔になった。
「ところで、蓮ちゃんどうだい」
「少しまた落ち着きました。でもあんまり起きていられなくて」
そうか、まだ若いのになあ、と山田さんは嘆息した。
「今はまだいいが、そろそろ入院すること考えておいた方がいいぞ。くる時はガクッとくるからなあ」
さすが年寄りは病気に詳しい。だがこの人この前役に立たなかったからな。
「そういえば俺、指輪もらっちゃいました」
「何っ」
俺は首から下げた、鎖に通した指輪を見せた。サイズが合わなかったので、いずれ直そうかと思っている。
「何だ蓮ちゃんのか」
「女に贈るより先に男に貰うとは思わなかったす」
「お前まさか蓮ちゃんの方だったのか!良かったな」
俺は少し考えて、違う!と怒鳴った。
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