*18* 終わった物語
楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、すっかり夜も更けた頃、ゲスト用の寝室に控えめなノックが鳴り響いた。
ドアを開くと、オレンジ色のロングヘアーが目に入る。
「あれ、どうしたの、オリーヴ」
入浴をさせてもらった後、おやすみは忘れずに言ったと思うんだけど。
オリーヴもネグリジェ姿だったから、眠る支度をしていたのは間違いない。
「こんな時間に、ごめんなさい」
少しだけ視線を宙にさまよわせたオリーヴは、意を決したように顔を上げ、ペリドットの瞳であたしを見据えた。
「セリと、ふたりきりで話したいことがあるの」
* * *
オレンジのランプにぼんやりと照らされた寝室で、シングルベッドにふたり並び座る。
少しの沈黙を挟めば、間違ってもきゃいきゃいと楽しい女子トークをするような雰囲気じゃないな、ってことはわかる。
「話って?」
「お茶会のときに、あなたの言っていたことが気になって。セリは異世界から来たのよね?」
「うん、エデンとはまるで違って、魔法とかあり得ないところ」
「あなた、お名前は?」
「え?」
「ファーストネームだけじゃない、あなたの本名よ」
「笹舟 星凛だけど……」
「どんな字を書くの? わたくしに、書いて見せてくださるかしら」
「えっ、オリーヴ!?」
「おねがい、ね?」
おあつらえむきとばかりに、ベッドサイドのテーブルに置いてあった紙と万年筆を渡されながら、上目遣いで見つめられるんだ。
むぅ……なんて計画的な犯行。
異世界に興味があるのかな? 書いても意味はわからないと思うけど。
首をひねりつつ万年筆を走らせていたら、静かに手元を覗き込んでいたオリーヴが、そっとつぶやく。
「星凛──凛と輝くお星様、という意味かしら。素敵ね」
「うそっ……オリーヴ、漢字が読めるの!?」
「えぇもちろん、読めるわ」
何でもないように微笑んだオリーヴは、それから追い討ちのごとく爆弾を投下する。
「だってわたくし、日本の生まれですもの」
「ふぁいッ!? なにそれ、どういうこと!?」
「話せば長くなるのだけど……わたくしには、前世の記憶というものがあるの」
「えっ、えっ? まさかこれが、かの有名な異世界転生!?」
「転生……そうなるのかしら。以前の『わたくし』は明治時代の日本に生まれた『
「明治時代って……下手したら、あたしのおじいちゃん、おばあちゃん世代より、年上なんじゃ?」
いや、おじいちゃんもおばあちゃんもいないけども。
「あら、そうなの? わたくしがマザーになってから100年は経っているから、日本もさぞ様変わりしたのでしょうね」
「ちょっと待って、なんか今、サラッとすごいこと言われた。ごめんオリーヴ、何歳よ!?」
「100歳を超えた辺りから、よくわからなくなっちゃったわ」
マジか……そりゃエデンでは不老だと聞いてはいたけど、あたしとそう変わらない年頃に見えるオリーヴが、100歳超えって。
てことはヴィオさんやリアンさんも、それくらいだよね。大先輩にも程がある。
マジでこの世界、見た目と実年齢がバグりまくってる。
「セリの顔立ちや、異世界からやってきたことを踏まえたら、同じ日本人じゃないかって考えたの」
「これぞ、名探偵オリーヴ……」
「よかったわ、勘違いじゃなくて。それで、セリの出身はどちらなの?」
「生まれも育ちも、東京だよ」
「あら奇遇ね! わたくしも東京府の出身で、女学校に通うかたわら、カフェーで女給をしていたの。懐かしいわ」
「わぁ、はいからさんだぁ」
喫茶店で働いていたなら、オリーヴが慣れた手つきでお菓子を用意していたり、家事をこなしていた理由にも納得だった。
「言葉遣いとか立ち振る舞いも上品だよね。お嬢様だったんじゃない?」
「いえいえ、お嫁にもいかないでカフェーで働いているだなんて、とんだお転婆娘よ。いい縁談相手を見つけて女学校を辞める同級生も、少なくない時代だったもの」
「でもオリーヴは、自分のやりたいことをしていたんでしょ? 自分の人生を、楽しんでたんだね」
「……そうね、それなりに、楽しんでいたのかもしれないわ」
ふと、押し黙るオリーヴ。その表情は薄く笑んでこそいるけど、どこか影がある。
長いまつげに縁どられたペリドットの瞳も、床ではない遠い場所を見つめている。
「恋をしていたの。いつもカフェーにいらっしゃる学生の方に。口下手なわたくしにも優しく話しかけてくださる、素敵な殿方でした」
「オリーヴ……」
「わかっていたのよ。夢は、所詮夢だって。お父様がお決めになった許婚がいる身で、別の殿方に想いを寄せてしまった愚かな女ですから、きっと罰が当たったのね。不治の病にかかってしまって、結局誰とも結ばれることなく、『西園寺 薔子』の物語は終わってしまったわ」
男性アレルギーだと、彼女は話していた。
でもひょっとして、それって。
「オリヴェイラ・ウィンローズとしてこの世界に生まれ直しても、今も彼を忘れることができないの。……セリ、あなたも、そうでしょう?」
「っ……! なん、で……」
「わかります。わたくしだって、女の子だもの」
「オリーヴっ……」
「無理に話さなくてもいいのよ。ただ、わたくしはあなたの味方だということを、伝えたくて」
そっと背に手を添えられ、抱き寄せられて、ようやく俯いていたことを理解する。
間近にある人の温もりが、氷漬けにしていたあたしの心を溶かしてしまう。
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