*19* 夜明けを厭う

「……大事な、かわいい弟だったの。でも気づいたら、立派な男の人に、なってて」


「セリ……」


「女の子がほしいねって、ずっと一緒にいるって、約束したのに……なんで急に、いなくなるのよ、暁人のばか……ばかばかばかっ!」


 失踪を先生から知らされたのは、1年前。

 暁人が断りもなしにいなくなるわけがない。何かの事件に巻き込まれたことは、明白だった。


 もしかして、あいつらが?

 こどもの暁人を虐待していた両親や姉が、逆恨みで何かしたんじゃないか。そう考え、血眼になって身辺調査をしたこともあった。


 でも彼らは、病気や不慮の事故のせいで悉く、この世になかった。

 ほかに思い当たる節もなければ、必死になって探すほどに、自分の無力を痛感するばかり……


 残りの大学生活は、生きた屍のように過ごした。

 就職をしてからは、仕事に没頭した。ウジウジと情けない自分を、知らんぷりして。

 お酒を飲んで楽しい気持ちになっていたら、ひょっこり暁人が帰ってくるような気さえした。「もう、そんなに飲んで……」って呆れながら、迎えに来てくれるんじゃないかって。


 だから……彼に、ゼノにはじめて会ったときは、とうとう幻覚を見るくらい頭がおかしくなったかって笑っちゃったよ。


「すき……でも、違うの……あたしが会いたいのは、暁人なの……暁人だけが、好きなのに……もうやだ、つらいって、頭、ぐちゃぐちゃで……あたし、最低だ……!」


「辛いわね、苦しいわね……いっそ忘れてしまえたら楽なのに、ままならないものよね……でもねセリ、無理に忘れようとしなくてもいいと、わたくしは思うわ」


「ふ、ぇ……?」


「乙女の心を奪った責任は、取ってもらわなくちゃ。絶対に消えない傷痕を目印に、輪廻転生をしてでも迎えに来させてやるの。だから辛くても、苦しくても、恋の傷は負ったままでいなさい」


「す、ごい……独特な、恋愛観……」


「100年も生きているとね、ちょっとタガが外れてくるのよ」


 とんとん、と、一定のリズムを背に刻まれる。

 あやされているような、ふわふわとした、不思議な気持ちになる。


「ねぇセリ、あなたの物語は、終わってないわ」


「どういう、こと……?」


「『西園寺 薔子』はその生涯を終えて、オリヴェイラ・ウィンローズとして生きることを決めた。けれどセリ、あなたは、あなたのまま」


「──!」


「もしあなたが、想いを寄せる彼のこどもを生み、添い遂げることを望むのなら、わたくしは、あなたが元の世界へ戻る方法を見つけるために、全力でサポートします」


「オリーヴ……!」


「かつてのわたくしの願いを、あなたに託したいのよ。なぁんて。これはわたくしのわがままですから、あまり気にしないで、ね?」


 そんなこと、できるわけない。オリーヴの願いを無下になんて。


「結論は急かさないわ。あなたのペースで、後悔のないように考えてちょうだいね、セリ」


「うん……ありがと、オリーヴ」


「大切なお友だちのためだもの、何だって、力になるわ」


 うん、とうなずき返したつもりだけど、声にはならなくて。

 たまらず肩を震わせるあたしを、何も言わず、ただ抱きしめてくれる。


 オリーヴと過ごしたこの夜のことは、一生忘れない。



  *  *  *



「まぁ、お迎えに来てくれたの? ヴィオ」


 そっとドアを閉めた振り返りざまに、自分のベッドで眠れるわよと、冗談交じりの言葉がある。


「セリなら、もうおやすみよ」


「さようでございますか」


「いつからなの?」


「申し訳ありません」


「あら、野暮な質問だったわね」


 月明かりだけが頼りの廊下に、ふたり。

 母のことだから、何もかもお見通しなのだろう。


「マザー・セントへレムは、ご自分の世界へお戻りになるのでしょうか」


「それは、セリにしか決められないわ。……気になる?」


 すぐに答えることができなかった。

 それこそが、答えだ。


「ヴィオのそんな表情、はじめて見るわ。さすがはセリね」


 すべてを察した母は、多くを追及しない。


「ねぇヴィオ。いつも言っていることだけれど、あなたはよく頑張ってくれているわ。だからそろそろ、自分の幸せに目を向けてちょうだい?」


「充分ではないのですか。母上からの、愛情だけでは」


「愛のかたちは、ひとつではないわ」


「他者に焦がれるとは、どういうことなのですか。母上も、彼女も、あんなにお辛そうなのに……どうして、求めることをやめないのですか」


 長らく生きているけれど、それだけは、いまだに理解ができない。


「それは、あなたも恋をすればわかるわ、ヴァイオレット」


「……母上」


「あまり夜更かししてはダメよ、おやすみ」


「……おやすみなさいませ」


 微笑みだけを残し、母は静かに夜闇の向こうへ姿を消す。


「何を焦っているんだ……私は」


 疲れているのか? 鍛錬が足りないのか。いや……


 ──あたしには、お姫様バージンを捧げた彼がいるんだからぁっ!


 焦っているのではない、恐れているのだ。彼女が、どこか遠くへ行ってしまうのではないかと。


「マザー・セントへレム……」


 この手でお守りしたいと強く願うようになった、はじめてのひと。

 その衝動は、母に感じるものとはまるで違う。


「あなたの無垢な笑顔は、いとも容易く、私を惑わせるのです……セリ様」


 今このときも、扉を隔てた向こう側であなたはどんな寝顔をしておられるのだろうと、そんなことばかり考えてしまう。


 騎士は、生涯お仕えすべき主を持つもの。

 だとするなら、あぁ、それがもし、そうであるならば。


「……朝が、来なければいいのに」


 夜明けの光は、私から大切なものを奪ってしまうだろうから。

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