*11* 風に舞う花

 ギラリと、何かが鈍く光ったような気がした。

 視界を遮る広い背があったことで、それが何かまでは理解できない。


「そこからお動きになられませんよう」


「え? ゼノ、何が起きて……」


「よろしいですね、セリ様」


「ゼノっ……!」


 ──キンッ!


 次にあたしが言葉を叫ぶより早く、硬い衝突音が響き渡る。


 上、だ。高い天井から真っ逆さまに落下してきた影めがけ、目にも止まらぬ速さで腰の剣を抜き払ったゼノが、もう一閃。

 怒涛の追撃をしかし、影は難なく、軽やかにかわす。


「その程度で、マザーを守る騎士気取りか? 笑わせる」


 危うげなく着地したその影は、ゼノより小柄だが、あたしよりも遥かに長身の人物だった。

 微塵の情もなくゼノへ吐き捨てると、黒ずくめの外套の、目深に被ったフードへと手をかける。

 それから、一切の躊躇もなかった。


 どこからか入り込んだ風になびく、ダークブロンド。厳しく細められたペリドットの瞳。

 中性的な美青年が、あたしを背にかばうゼノと対峙している。


 剣と剣。はじめて目の当たりにする、本物の刃。

 ここは日本じゃない。あたしがいた世界とは違うんだって、わかっていたつもりなのに……突如訪れた非日常に、情けなくも竦んでしまっていた。


「お言葉ですが、貴方に対する私の認識は『侵入者』以外のものにはなり得ません。騎士の何たるかを説かれたとすれ、まるで響かない」


「結構。私がお目通り願いたいのは騎士もどきの絡繰ではなく、あなただ──マザー・セントへレム」


 射抜くようなペリドットの瞳が、ほんの少しだけ闘志を潜ませ、あたしを捉えた。

 マザー……セント、へレム? それって、あたしのこと?


「お迎えに上がりました。さぁ、共に参りましょう、我が主のもとへ」


「もちろん、お断りだよっ!」


「この声は……!」


 剣呑な空気の中、聞き慣れた声が響き渡った。

 回廊の向こうから駆けつけたジュリが、ゼノと挟み撃ちにするかたちで腰に手を当て、謎の人物へ指を突きつける。


「あのねぇ、用事があるなら玄関からお願いできない? いきなりぞろぞろ押しかけて迷惑でしょ? そんなこと、オレでもわかるんだけど?」


 ジュリが話す度、周囲の空気が小刻みに震え、仄かな黒い光を帯びてシュルシュルと渦巻く。

 あれは魔力だ。間違いない、ジュリは怒っている。


 だけど街で暴走したときとは違う。理性を保ったまま、牽制を込めて魔力を練り上げていた。


「早いとこ帰ったほうがいいよ。お仲間みたいなことに、なりたくなかったらね」


「2対1、か……なるほど。どうやら私は不利らしい、リアン」


「あらあら、それは面白いお話ね、ヴィオ」


 ヒュオオオ。


 謎の人物の背後、誰もいないはずの空間で、またしても風が巻き起こる。

 真紅の花弁が舞い狂い、やがてひとりの女性が姿を現した。


「ごきげんよう。お初にお目にかかりますわ、マザー・セントへレム。私はこれより西の大地、ウィンローズより参りましたリリアナと申します。こちらはヴァイオレット。お会いできて光栄です」


 歌うように告げた女性は、オフホワイトのエプロンドレスの裾をつまみ、優雅に一礼。

 まばゆいシルバーブロンドと、やわらかく笑んだペリドットの瞳が印象的な、清楚系美女だった。一見して悪い人には見えない、けど……


「オレの魔法で足止めしてたはずなんだけど!?」


「うふふ、綺麗な薔薇には棘があるんです。お勉強になりましたね、坊や?」


「うそだろ……」


 あのジュリが言葉を失うなんて。彼女は、ジュリ以上の魔法の使い手ってこと……?


「騎士のドールに、黒眼の愛し子……どうか、お気に病まれませんよう。あなた方は優秀です。相手が、運悪く私共だったというだけ」


 彼らの目的が何なのか、まったくわからない。

 ただあたしに喧嘩売ってるな、ってことだけは理解できた。

 するとあら不思議、不安や恐怖が、まるっと怒りに変わるんだから。


「ジュリとゼノをばかにしないで。その綺麗なお顔を、引っぱたかれたいんですか」


「あらあら」


「脅しじゃないですよ。こないだグーパンでおっさんぶっ飛ばした実績があるんで」


「まぁまぁ……」


 ずっと黙っているのも癪だから、反撃してみた。

 あたしが反論するとは夢にも思わなかったんだろう。青年がわずかにペリドットの瞳を見開き、女性が嘆息をもらした。


「その節は、大変失礼をいたしました。本日はその件も含めましてお話をさせていただきたく、参りました次第ですわ」


「なんですって?」


 知ったような口ぶりだ。街で遭遇したあの男の関係者?


「さぁお手をどうぞ、レディー。我らが母──マザー・ウィンローズがお待ちかねです」


「はっ……?」


「っ……セリ様!」


「まずいっ、母さん!」


 目の前に現れた青年の動きが、まったく見えなかった。

 黒ずくめの影に飲み込まれながら、ゼノより俊足とか人間やめすぎでしょ、なんて、他人事のように思った。



  *  *  *



 逃げたいときって、あるじゃない?

 嫌味でウザいバーコード頭上司にロックオンされたとか、通りすがりの酔っ払いに絡まれたとか。

 か弱い人間なんだから、誰だって当然のことだと思う。あくまで個人的な見解だよ?


 でも、そういうのが全部かわいいもんだと思えるくらい、うそみたいな出来事に遭遇した。

 いや厳密には遭遇っていうか、向こうから来たっつーか……


「無駄な抵抗はなさらないことね、マザー・セントへレム!」


 オーホッホッホ! と、お手本かよってくらいワルい高笑いが響き渡る。


「あなたの身柄は、わたくしオリヴェイラ・ウィンローズが、お預かりいたしますわ!」


 言われた単語の3分の1も理解できないポンコツ脳内に、キィン! と高音がハウリングする。

 頭を抱えたあたしが、ただひとつ理解できたのは、あ、オワタ……ということだけだった。

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