*5* 暁の月
「……どぅ、る……?」
「そう、ドール。『絡繰人形』──そういえば、まだ説明してなかったか。こどもを生めるのはマザーだけだっていうのは、知ってるよね?」
「それは、うん……?」
「簡単に言うと、マザーから生まれるのがオレたちこども。それ以外のものはすべて、ドールさ」
「ドール……」
「人型の器を作って、魔力を込める。そうすれば、オレたちと同じように動いたり、知能を持つことができるようになるんだ。魔力があれば、マザーじゃなくてもドールを作れるよ」
「じゃあ、ジュリもその気になれば、できるってこと……ドールを作る目的って?」
「主な理由としては、労働力の確保かな」
マザーがセフィロトへ祈るとき、莫大な魔力を消費する。
生まれるこどもには、どうしたって限りがある。
ジュリたちだって、不老であっても、不死じゃない。
その点ドールは、魔力供給がある限り動き続け、病気にかかることもないんだって。
「身の回りのことや仕事をドールに手伝ってもらうのは、この世界では珍しくないことなんだよ。実際、街で歩いてた半数以上がドールだからね」
「そうだったの!? 全然わかんなかった……」
ネットもスマホも通じないアナログな世界かと思いきや、人工知能が立って歩いて仕事までこなすという。
思いっきし進んどるやんけ。これが、魔法の飛び交う異世界クオリティってか。
「じゃあその……事件現場じゃ、ないんだよね?」
「ははっ! 心配しなくても、ゾンビもモンスターもいないよ。ここにいるのは、ドール」
はにかむジュリに手招きをされて、恐る恐る歩み寄り、隣にしゃがみ込む。
暗がりでよく見えないけど、ランタンに照らされた限りでは、結構長い手足をしているように思えた。
ジュリよりも背の高い、成人男性くらいの体格はありそう……?
「この屋敷にいるってことは、先代のマザーに仕えるドールだったんだろうけど……」
「けど?」
「この部屋は、ご丁寧にも魔法までかけられて、閉ざされてた。まさに物置き部屋だ」
「そこに、押し込められてたってことは……」
「使わなくなったのか、使えなくなったのか──」
興味がない、とは言えない。むしろ、ジュリと同じくらいの関心はあるはずだ。
ただ……なんていうか、この先を知るのが少し……怖い。
これは、未知への恐怖? あたしが何も知らない、異世界の人間だから?
「動かしてみようか」
「動かせるの?」
「埃被ってるけど、見たところボディに破損はないし、シャットダウンしてるだけだよ。魔力を込めれば動くと思う」
ジュリの話によれば、ドールは主人に忠実なのだそうだ。無事動かすことができたら、きっと力になってくれる。
あたしは異世界へやってきて日も浅く、不便や不安も多いから、助けになる存在は多いほうがいいだろうと、そう考えたんだって。
そこまで言われてしまえば、止める理由もない。
「オレたちでいう心臓がある辺りに、ドールの動力源となる核、コアがある。そこに魔力を注ぎ込めば、全身を循環して、起動するはず」
「そっか。あ、それ預かるよ」
「ありがと。じゃあ、やってみるか」
ランタンを預かり、「この辺かな」とジュリが手のひらを当てた箇所へ近づけてみる。
ドールの胸元。やっぱり暗くて、真っ黒い服を着ているな、ってこと以外はわからない。
沈黙すること十数秒。ジュリは、固まったままだ。
「ジュリ?」
「おかしいな。魔力を注ごうとしてはいるんだけど……そもそも、コアが反応しない」
「壊れてるとか?」
「いや、コアは魔石から錬成されていて、これは宝石の原石のようなものなんだ。時間をかけて成長することはあっても、壊れることは滅多にない。……ひょっとして、魔力の解釈が違うのか?」
「解釈……」
「オレは曇った宝石を磨こうとしていたんだけど、もしかしたらこのコアは、一度も手を加えられていない原石かもしれない。だとするなら、もっと魔力量を増やさないと。磨くのと削るのとでは、労力が全然違うからね」
「へ、へぇ……!」
魔力とか使えた試しがないあたしとしては、そうなんだ! と納得する以上のことはできない。
「難しいことはわかんないけど、案外わかりやすいところにスイッチとかあったりして、なーんて」
冗談交じりにランタンを掲げてみる。もちろん大した収穫はない、はずだった。
「……あれ?」
「どうしたの? 母さん」
「なんだろ、ぼんやり光ってるような気が……」
「光ってる? どこが?」
「ここ、首の左側。んー……文字が書いてる……?」
「文字……そうか、そういうことか!」
この一連の流れで、ジュリは何かを察したらしい。続く言葉は、確信に満ちあふれたものだった。
「母さんが言ってる光る文字。残念だけど、オレには見えない」
「えっ!? あたしの見間違い!?」
「いや、おそらく、判読阻害の魔法がかけられてる。機密文書を保護するような、高等魔法だ。このドールには、ロックがかけられてる。だから魔力を注いでも反応しなかったんだ」
「それがなんでまた、あたしには反応を……」
「ここはマザーの屋敷だよ? オレと違って何がマザーに反応したって、全然おかしくない」
「そ、そう言われると、たしかに」
「母さんが文字を読めている時点で、この術式は解けかけてる。魔法はね、半端に解くほうが危ないんだ。なので」
「あら、嫌な予感……」
「やっちゃってください、母さん」
「やっぱりですかー!」
すごいね。すごい自然な流れで無茶振りされたよ。
「母さんなら大丈夫。そのまま読み解けばいいんだ。そこには、なんて書いてある?」
「いやいや、そんな簡単にわかるわけ──」
ない、のに。
─X─
「はっ……?」
……こんなことって、ある?
─e─
深い霧が晴れるように、現れた文字が、脳内で変換されて……
─n─
わかってしまう。読めてしまう。
─o─
あぁ……そうだ、これは、ここに記されているものは。
名前、だ。
「──『
刹那、稲妻が落ちたような閃光がほとばしる。
それは決して弱くはない風圧を伴って、ジュリの魔力をもとに灯るランタンの火さえも掻き消した。
眼球に焼けつくまばゆい閃光は、やがて集束。淡い金の光となって、漆黒の闇に灯る。
「──お呼びでしょうか」
痛いほどの静寂を、震わせるものがある。
静かな、男性の声音だ。
いつの間にだろう。音もなく距離を詰めた『彼』が跪き、あたしの手を取る。
あたしはといえば、情けないことにその場から動けずにいて。
まるで騎士のように頭を垂れた『彼』が、一体どんな容貌をしていたのか、今更になって思い知るんだ。
「……え……」
癖のある濡れ羽色の髪。
色白ながら精悍な顔立ち。しなやかな手足。
こんなことが、あっていいものか。
「私のすべては貴女のものです。ご命令を、マスター」
「──っ!!」
粛々と夜闇に浮かぶ月のようなこがねの双眸が、あたしを捉えて離さない。
「──ご命令を」
現実に、突き落とされた心地だ。
「やっ……!」
ぱしり、と響いたのは、差し伸べられた手を無情にも振り払った音。
「母さん……?」
「……あ」
手から滑り落ちたランタンを掴み、よろめくあたしを抱きとめたジュリが、心配げな面持ちでのぞき込んでいる。
それを、気づかない間に灯された明かりで理解した。
「顔が真っ青だよ、具合が悪いの?」
「ちょっと、立ちくらみがしただけ、だから」
「力を抜いて、オレに寄りかかっていいからね」
「……ありがと」
ジュリに支えてもらったことで、どうにか踏ん張ることができた。
もう何でもないよと笑い返して、それで。
「あの、ごめんなさ──」
それで終わらせてもらえたら、どんなによかっただろう。
あれ? とすっとんきょうな声をこぼしたのは、あたしだったか、ジュリだったか。
どういうことだろう?
どうしてジュリに支えられていたあたしが、まばたきも終わらないうちに、別のひとに抱き上げられているんだろう?
「お部屋まで、お連れいたします。失礼」
「いつの間に……じゃなくて、待って! ちょっと待ってー!」
我に返ったジュリが、パタパタと慌ただしく追いかけてくる。
でも、あたしを抱いて地下室の階段を上る足取りに、一切の迷いはない。
脳内はパニック真っ只中だ。
感情の読み取りづらい、抑揚のない声だけど、抱く腕の力強さは、あたしを決して離しはしないと言外に宣言しているよう。
こんなに密着しているなら、ドクドクとやかましい鼓動なんて、筒抜けなことだろう。
「……『アキト』」
ほろりと、つぶやきがこぼれる。
「いいえ。私はゼノ。マスターをお守りする、ドールです」
一瞬のまばゆさ。目がくらんだ後、見覚えのある景色が広がる。書斎へ戻ってきたのだ。
淡々と受け答える青年の姿が、自然な太陽光に照らし出される。
「……そっか」
艷やかな黒髪を目の当たりにした瞬間、乾いた笑みが漏れて。
「『名前』だって、よくわかりましたね」
呼びかけたわけでもないただの独り言が、地名だとかじゃなく人名だと、何の疑問もなく。
「あたし、あなたのこと知らないですけど、よく知ってます」
我ながら支離滅裂で、可笑しくなる。でも、本当のことだからしょうがない。
「……どうして、どうしてあんたなの……」
例によって、これも独り言。
ちっぽけな女の、取るに足りない戯言で。
小刻みに肩を震わせるあたしを、彼はただ、静かに見つめている。
……あいつも、何を考えているのか、よくわかんないやつだったな。
ねぇ、暁人。
あたしの人生最大の、後悔。
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