*2* ジュリ
社会の荒波に放り出されたばかりの小娘が、世界を救うマザー。
そういう作品かなと検索をかければ、圏外を表示するスマートフォン。
電源を切り、ため息と一緒にショルダーバッグへ仕舞うまで、大して時間はかからなかった。
「どこの高級ホテルのスイートルームですか?」
うちのワンルームなんて、すっぽり収まりそう。ここ寝室だよね?
ベッドを下り、すぐ脇の、これまた高そうな姿見をのぞき込む。
リネン生地のブラウス、ネイビーのパンツスタイルに、パンプス。
そしてカラーリング要らずの亜麻色のショートヘアは、見慣れたもの。
不慮の事故に遭った記憶もない。
ファンタジー小説とかで最近人気の転生モノだとか、成り代わりモノだとかではなく、あたしはあたし笹舟 星凛本人として、ここにいる──
「母さん、起きてる? 入ってもいい?」
ふいのノック音。ドアの向こうでくぐもる声は、唯一にして最大のキーパーソンである少年のものだ。
正直まだ半信半疑ではあるけど、これが夢でないなら、あたしがすべきことはひとつ。
「起きてるよ。どうぞ、ジュリ」
まずは、情報を集めなければ。
* * *
一夜明けてわかったのは、広い広いお屋敷にあたしとジュリしかいないこと。そして。
「オムレツは半熟。コーヒーには角砂糖をひとつ。一番好きなものは、ブドウ。そうだよね?」
あたしは何も知らないけど、ジュリは何でも知っている、ということだ。
名乗りもしていないあたしの名前から好物まで、何でも。
「オレたちは、目に見えない深いところで繋がってるんだ。その証拠に、母さんにはオレの名前がわかっただろ?」
「わかったっていうか、不思議と頭に浮かんできたというか……でもそれ以外は、なんにもわからないよ」
「そういうものだよ。だってオレは、生まれたばかりだから」
あたしの好物ばかりを厳選した朝食を作ってくれたのが、生後2日の坊っちゃんだという。
あの、あたしにはどうも、高校生くらいのイケメンにしか見えないんですけどね、ジュリくん?
「母さんがセフィロトに祈ったから、オレは生まれたんだ」
「うっ……!」
心当たりが、なくもない。
あの夜、あたしが拾った謎の黒い玉こそが生命の種『オーナメント』と呼ばれるもの。
そして突然現れた季節外れのクリスマスツリーが、かの世界樹なるものらしい。
──神様、あのね。
たしかに、お祈りはしました。したけどさ……
──子供ほしいなー、あ、旦那は要らないや!
とかいう、しょうもない酔っ払いのテンションだったはずだ。
つまり、『
その結果、『
「まだ信じられないって顔してる。ま、母さんは異世界の人だから、無理もないか」
「そうそう、新卒もいいところのひよっこOLで……はっ、えっ、ちょ、えっ!?」
「セフィロトって意思を持った神霊樹だから、気に入った人間をマザーにするためなら、異世界からでも連れて来るんだ。わりとありがち」
「ありがちなの!?」
サラッと爆弾を落とされた気がする。
待って、それじゃあ、この世界じゃ常識だろうマザーのことを詳しく教えてくれてたのって、あたしが異世界から連れてこられてるのを、ジュリは知ってたからってことになる。
「それほどあなたが、渇望されていたってこと」
頬杖をついてはにかむジュリ。むぅ……顔がいい。
居たたまれなくなって慌ただしくオムレツを口に運ぶあたしは、漆黒を宿した瞳がまぶしそうに見つめる意味なんて、知るよしもなかった。
* * *
とにもかくにも、アクションを起こさないと。
お腹が満たされて少しだけ勇気が出たあたしは、ジュリを引き連れて、駄々っ広いお屋敷を探索していた。
「ぶっちゃけここって、何なの?」
「先代のマザーが使っていた別邸だよ。ちょっと埃っぽかったから、掃除しといた」
「この大豪邸を、ひとりで!?」
「お、言ったなー? これでも体力には自信あるんだから」
料理も掃除も得意とは、なんてデキる新生児だろうか。
聞くところによれば、エデンに住む人間たちは、必ずしも赤ん坊の姿で生まれるわけではないらしい。
少年少女だったり、老人だったり、まさに老若男女さまざま。
そしてひとたび生まれ落ちた姿のまま、永遠を過ごすのだという。
「不老不死ってこと? すごいね……」
「いや、不老ではあるけど、不死じゃない。病にかかったり怪我をすれば、命を落としてしまうこともある。それは母さんも同じ。だからこうして、マザーの代替わりがあるんだよ」
「あ……」
先代のマザーの別邸を、あたしたちが使わせてもらっている理由。
ジュリの話を聞いて、ようやく理解した。
つまりは、そういうことだと。
こどもを生むことのできる唯一の存在。
マザーの不在は、種の断絶、この世の終焉を意味する。
「ねぇ、ジュリ」
「うん?」
それでも、あたしは。
「セフィロトって、どこにいるの?」
あたしのすべきことを、成さなければ。
* * *
ジュリのことは、手先の器用な子だなぁ、くらいにしか思っていなかったけど、とんでもない。
「大丈夫?」
「ヒュッてした……なんかおなかが、ヒュッてした……!」
ジュリは、とんでもなく優秀な子だった。
外に出たいと言えば、あたしを抱えて一瞬で街へ飛ぶ転移魔法を、軽々と扱うほどに。
いわくお屋敷がある森奥から街へは遠いので、あたしを思っての行動だったらしい。
けどごめん、あたし絶叫マシンダメなの。ヒュッてして、フワッとするやつ、ほんとダメなの……
「ごめん、母さん……次はもっと上手くやる」
「ええんやで……」
かくして、しょんぼりと落ち込むジュリを、虫の息ながら慰めるという構図が出来上がった。
そうね、向上心は大事ね。丁重にお断りした。
ならせめてと、潤んだ瞳で手を繋がれた。断れなかった。
ジュリに手を引かれてやってきたのは、RPGとかでよく見るような、レンガ造りの西洋風の街。
色んな人が行き交う往来を、くるりと見渡す。
そのうちに、出かけざまにジュリがおそろいの外套を持ってきて、フードをまぶかに被るよう言い含めてきた意味を、思い出すことができた。
あとは……あぁ、そうだ。
「ジュリ、お願いがあるんだけど」
「母さんのお願いなら、何でも叶えるよ」
「それ」
「えっ?」
「あたしのこと、『母さん』じゃなくて、名前で呼んでほしいの。街にいる間だけでもいいから」
気が利いて、賢いジュリのことだ。みなまで言わずともわかってくれるだろう。
「それもそうだね、セリ」
どうやらあたしの意図は、無事伝わったみたいだ。
「じゃあ行こうか。セフィロトは──」
目的地へと再び歩み出そうとした矢先のこと。
口をつぐんだジュリがおもむろに腕を上げたかと思えば、何やら外套の影で、あたしをすっぽりと覆うではないか。
「その前に、どこかへ入ったほうがよさそうだ」
ぽつり、ぽつり。
いつの間にかねずみ色をにじませた空が、愚図り始めていた。
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