第1章「嘆きの森編」

*1* 星空のオーナメント

「おっとっと」


 意気揚々と千鳥足を踏むパンプスが、アスファルトではない何かを蹴っ飛ばす。

 ショルダーバッグを定位置に戻して、足元に転がる物体に気づいた。


「え? なにこの黒い玉、ウケる! アッハハハハ!」


 拾い上げたそれは、野球ボール大。

 グミのような弾力を持ちながら、ガラス玉のような表面に愉快な女を映し込んでいる。


 箸が転げただけで抱腹絶倒するような酔っ払いなんだ。道端に未確認物体が落ちてりゃ、笑い転げもする。


「あー、おっかしー……んん?」


 にじむ視界で、暗闇の向こうからぽう、と浮かび上がる光景。

 自分がありんこに思えるほど、立派な樹だ。見上げすぎてひっくり返りそう。

 イルミネーションを灯したわけでもないのに淡く輝いて見えるのは、どうしてだろう。


「そっか、今夜は七夕だぁ」


 夜空に架かった、銀色のミルキーウェイ。

 ダメだなぁ。足元ばっかり見て生きてるから、空がどんな色をしているのかもわからなくなってた。

 自然と足を踏み出していて、右手を伸ばす。

 若葉が揺れて、枝とのすきまに黒い玉がおさまった。


「七夕っていうより、クリスマス?」


 ツリーを彩る宝石にしては、素朴な色合いだけど。

 あぁでも、目線の位置で煌めく漆黒は、星のまたたく夜空のように綺麗だ。


 ──神様、あのね。


 こつん。

 夜空を包み込んで、おでこにふれあわせる。

 それからのことは、覚えてない。



  *  *  *



「…………はっ?」


 頭が痛い。きっと、花金だからと調子に乗ったせいだけじゃない。


「誰が、誰の、何ですって……?」


 ワンチャン空耳かも。

 すべての希望を託して声を絞り出せば、目の前の少年が、シャイニングスマイルを炸裂させた。


「あなたが、オレの、お母さんです」


 ……どっかに、バナナの皮落ちてたりしない?

 それで運悪く足を滑らせた上に頭を強く打ちつけて、気づいたらベッド上。

 なぁんだ、夢かぁ! ってオチなんだきっと。そうだ、そうに違いない、そうだと言ってくれ。

 そんなわけ、なかった。


「夢じゃないのぉおおお!!?」


 たしかにベッド上。けれども見知らぬ部屋ときた。

 セルフで壁に打ちつけたおでこが、痛くて痛くてしょうがなかった。



  *  *  *



 あたしは笹舟ささふね 星凛せり

 きわめて高確率で読みを聞かれ、地味に画数の多い名前をそこそこ気にしてる、何の変哲もない22歳のOLだ。


 心身ともに疲れ果てながらも、やっとの思いで残業という名の魔物を討ち取り、祝杯をあげた翌日。目を覚ましたら。


「あなたはオレの母さんで、この世界を救う、『マザー』なんだよ」


 なんか突然、世界を託された。

 これ、なんてテレビ番組のドッキリだろう。あたしみたいな一般人パンピーに仕掛ける意味がわからない。

 天蓋つきのベッドで、宇宙をかいま見る。


 ここはエデン。神の加護をいただく楽園。

 緑豊かな大地には、世界樹セフィロトと呼ばれる大樹がある。

 そして世界樹に宿った聖なる力を唯一操ることのできる女性を、聖母マザーと呼ぶのだそうだ。


「マザーがセフィロトに祈りを捧げる。このエデンで、オレたちはそうやって生まれるんだ」


「え……人間が、樹から生まれるの……?」


「そう。そしてこどもを生むことができるのは、セフィロトに選ばれたマザーだけ」


 ベッド脇の椅子から立ち上がり、カーテンを広げて朝陽を迎え入れた少年が、振り返りざまにはにかむ。


「だからあなたは、オレの母さんなんだよ、セリ」


 鮮やかな青藍の髪。中性的で端正な顔立ち。

 目にするもの、耳にするものすべてが、おとぎ話みたい。

 それなのに、オニキスをはめ込んだような瞳に映し出されたことで、無性に感情を駆り立てられる。


「あ……」


 あたし知ってる。星のまたたく夜空のような、この漆黒を。


「──『ジュリ』」


 うわ言のようにつぶやいたのは、あたし?


「こどもに名前を授けることができるのは、そのマザーだけ。──最高の贈りものを、ありがとう!」


 そんなあたしの手を握ったのは、弾けるような笑顔を見せた、少年だったろうか。


「マジで?」

 

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