第52話 幸運の女神



 事故ではないのなら?

 わざと、故意に、殺意があって。

 目的があって娥孟に車をぶつけてきたのかもしれない。


 その直感の閃きが生死を分けた。

 再び突っ込んできた車に、頭をぶつけながら前転でどうにか受け流す。

 今度は振り落とされる前にミラーにしがみつき、がむしゃらにドアを開けた。


「ひぃぃぃっ!」

「この野郎、誰の指図だてめぇ!」


 ぶつけた顔も擦った手も痛むが関係ない。

 悲鳴をあげる運転手の胸倉を掴み、強引に引きずり出した。

 ベルトに引っかかってしまい、上半身だけが車外に。下半身は車の中に。


「ごめんなさいごめんなさい! 慌ててた――」

「うるせぇ!」


 ゴタゴタと喋る運転手の顔に一発ぶち込んだ。


「ぶべ!」

「わかってんだよ卑金の野郎だ!」

「び、ちがひまず、ぼんとおにただ」

「うるせぇってんだよ!」


 もう一発、腹にぶち込む。

 割れたガラスがあったのか、殴った拳に鋭い痛みが走った。その痛みが少しだけ冷静さを取り戻させた。


「くそっ」


 毒づきながら周りを見回す。

 目撃者がいるのではないか。交通事故という意味なら完全に娥孟が被害者だが、この状況で誰がそう見るか。

 先日もすぐ近くで暴力事件を起こした。捕まればそれも引っかかるだろう。


 娥孟にとって暴力は暮らしの手段のひとつだった。

 それで捕まったこともあるし、やっても捕まらなかったこともある。

 過去の経験から言えば捕まらなかった回数の方が多いと思う。ちゃんと数えているわけではないが。


 しかしこれはダメだ。

 絶対に捕まるパターンで、先日の件も合わせれば年単位で刑務所に行くことになるだろう。


 それもこれも卑金のせい。

 推理などといった筋道を立てた考えではない。ただの直感だがそうに決まっている。

 この町でこんな風に誰かを使って娥孟を害するような人間が何人もいるはずがなく、決して良好な間柄とも言えない。先日殴った男も卑金の小間使いのようだったし。



 見回した娥孟の視界に、慌てたように走り去る高級車が映った。

 白いセダンタイプ。平日の昼間にこんな場所にいるのは不釣り合いな印象の。

 あれだ。あれが動かぬ証拠……いや、動いているし証拠でもなんでもないが、娥孟の中での確証となるもの。


 今ほど殴りつけた男が卑金の指図だったと訴えたところで、娥孟の発言など聞き入れられるわけもないだろう。

 被害妄想。そんな風に片付けられるだけ。

 向こうだって尻尾には切り目を入れているはず。すぐに切れるように。


 くそ面白くない。

 こんな事故で逮捕されてしまうなんて、くそ。


 とにかくここを離れよう。

 痛む体を無視して走り去った。



 何か考えていたわけでもない。ぶつかった衝撃でぼうっとしていたせいもある。

 だが足が向いたのは歓楽街。埜埜とセックスをした店。

 店の奥には休憩スペースと浴室も用意されていた。お大臣様が飲んだ勢いのまま遊べるようにしているのだろう。


 埜埜の店で、パトロンは卑金。

 そう言えば言われたのだった。町を出ていかないならセンセイがどうするだのなんだのと。

 まさか本気でこんなことをしてくるとは思わなかった。くそ。




 ――と、そこで。


 なぜだかこんな時間に、まさに埜埜の店の扉を開けようとしている女がいた。

 後ろ姿だが若く見え、大して肉付きもよくないのに妙に色気を感じる。

 惹きつけられるようにその後を追った。

 ビルの階段を少し上がった中二階の一室。建物はおそらく卑金関係の所有なのだと思うが。



「おい」


 ドアを閉められる前に手をかけた。

 傷が痛むが無視して。

 ちょうどいい。ここで警察やらなんやらをやり過ごすこともできそうだ。



「埜埜の奴はどこだ? あぁ?」


 見知らぬ女との会話術など娥孟は知らない。

 とりあえずこの女が知っていそうで、今娥孟が知りたいことを尋ねる。


「が、も……」


 明らかに怯えた顔で娥孟を見上げて後ずさる女。

 怪我だらけのひどい有様だからかと考え、しかし口から洩れた娥孟の名前からして違う。

 知っている。娥孟のことを。


 どういうことだ。会ったこともない小娘が。

 疑問の答えを探せば、やはり卑金に関わることなのだろうと結論になる。

 今の反応からみると娥孟がここに現れるなど想像もしていない様子だった。



 この女は知っている。

 娥孟のことも、誰かが娥孟を殺すよう指示したことも知っている。

 埜埜の居場所も知っているだろうし、何なら卑金をここに呼び出すことだってできるかもしれない。


 娥孟に必要な女だ。

 やはりこの町はいい。娥孟に幸運をもたらしてくれる。



「俺を知ってるってことは、お前もセンセイの関係者ってわけだ。だろぉ?」


 逃げ場のない薄暗い店内。

 若い女と、血の滾る男が二人。

 見てわかるほど足が震えているからチビっているのかもしれない。


「俺に舐めたことしやがって……ちぃと話を聞かせてもらわねえとな。埜埜の居場所も、センセイを呼んでもらうのもいいぜ」


 怯える女の表情があまりにも気持ちよくて、傷口からあふれ出した血を舐めて見せた。

 この女にも舐めさせてやろう。お前のセンセイのせいでこんな傷を負ったのだから。



 あらためてよく見ればかなりの上物。

 清楚系の小娘で、娥孟の人生では関わり合いになるタイプではないのに、どこか見覚えがあるような気がした。


「お前……どっかで見たような……」


 少なくともこの町には十数年いなかったのだから、会ったことなどないはず。

 しかし誰かと似ているような気がした。

 まあ誰と似ていようが似ていまいが関係ない。こうなればもう当分はシャバで生きていくのは難しいのだから、好きにできるだけは好きにする。



「どうせムショに行くことになんだ。かわいそうな俺のために、お前の声で慰めてくれよ。なぁ」


 卑金に飼われているのならそれなりに仕込まれているはずだ。

 男を悦ばせる手管を。


 娥孟を見上げたまま震える唇は可愛い。

 舐め回してやろう。

 その口の中にも突っ込もう。乱暴に、奥まで。


 傷ひとつなさそうな白い肌。

 噛み痕をつけてねぶりまわす。

 こういう色の薄い女は後ろから引っ叩いてやれば手形が残る。


 痛いのが嫌ならサービスしろと言えば、恐怖で言う通りにする。従順に。

 娥孟の傷も、筋肉質な胸板にも舌を這わせて奉仕させてやろう。

 シャバの思い出に。


 怖がらせた後にセックスしながら急に甘いことを言ってやったりすると、安心感から緩んで失禁してしまう女もいた。この女もそういう感じがある。

 泣かせて、犯しながら好きだと言わせる。

 娥孟様の女になりますと言わせて、小さな肉体の奥の奥に娥孟の臭いを染みつかせてやろう。

 埜埜の居場所や卑金のことはその後でいい。


 ヤっているうちに思い出すかもしれない。

 この小娘が誰に似ていたのか。


 思い出したらまた楽しいことになるような気がした。

 あの見知らぬアカウントのメッセージは、もしかしたらこの為に娥孟に送られてきたのかもしれない。きっとそうだ。



  ◆   ◇   ◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る