第47話 小言と大事



楽口たのぐち秋基あきもと君、だったね」

「ぶぁ……」



 病院で目を覚ましたのは夜中のこと。事件性がある為に一人部屋だったが、楽口は自分の状況がよくわからなかった。

 顔も頭も後ろ首もズキズキ痛むし、呼吸をすると胸から腹も引き攣って苦しい。鼻が潰れているせいで言葉も怪しい。

 最悪な気分の中、翌朝には警察が来た。


 何か覚えているか。

 犯人との面識は。

 なぜあの場所にいたのか。


 色々と訊かれたが何も答えられなかった。

 警察の方も意識を取り戻したからとりあえずということだったらしく、今日のところはこれでと帰っていった。


 警察が帰ってから質問を頭の中で繰り返して、だんだんと記憶がはっきりとしてくる。

 女に誘われてあの場所に行って、知らない大男に金を取られてぶん殴られたのだと。

 痛み止めのせいで余計にぼんやりしていたのかもしれない。



 あの大男、許さない。絶対に。

 パンジーちゃんの方もそうだ。最初は気づかなかったが、男とグルに決まっている。

 あれの本名など知らないにしても、埜埜しょのの店のスタッフだというのはわかっている。鍵も持っていたのだから。

 次に警察が来たら話そう。

 だけど今は動こうとすると耐えがたい痛みが襲ってくるので、自分からは動けない。


 両親が見舞いに来た。

 父はとりあえず治療に専念しろと言うが、母親の方は鬱陶しい小言を並べる。

 昼間からあんな場所で事件に巻き込まれるなんて、何をしていたのか。だいたい普段から軽はずみなことばかりするからなどなど。


 実際にその通りだから腹が立った。

 こんな時くらい余計なことを言わずにいられないのかと嫌悪を示す。元気だったら手近なものを投げつけたかもしれない。

 元気ならこんな状態になっていないわけだが。

 とりあえず父が宥めて帰っていった。



 その後、しばらくしてから訪れた客。

 かなりの重傷の楽口の病床に、警察や肉親でもないのに。


「楽口秋基君、だったね」


 どこか記憶に引っかかる高そうなスーツを着た男。

 見覚えはないのに、楽口の頭の中に何か残っているような。


「こんな場所でなんだが、初めまして。背背はいせから君のことは聞いていた。包銭つつぜにという。電話で話したのを覚えているかな」

「あ……ばぃ……」


 楽口のベッドの隣の椅子に座り、穏やかな笑みを浮かべて語り掛ける。

 返事をするだけで痛みで顔が歪む。そんな楽口を見て満足そうに頷いた。


「ひどい目に遭ったようだ」

「……」


 卑金議員の秘書。包銭つつぜに

 なぜこの男が楽口の見舞いに訪れるのか、理由がわからない。

 わからないから考える。なんだ、なんだ。



「背背とは色々と親しく・・・していたと言っていたが、どうも本当らしい」

「あ……」


 前に電話で挑発的なことを言ってしまった相手。

 あれは違う。わざと気になるようなことを言って気を引こうとしただけ。


「あの辺りは私もよく行く歓楽街なんだが。ずいぶんと物騒なこともあるものだね」

「……い、びや……」


 卑金がやらせたのか。

 まるで卑金の裏の仕事を知っているかのような言い方をした楽口に対して、暴力的な手段で。

 パンジーちゃんもあの大男も。もしかしたら最初に入った別のスナックも卑金の手が回っていたのかもしれない。


 手の平の上で踊らされたのか。

 はったりのつもりで言った楽口の言葉が、踏んではいけないものを踏んだ。とか。



「警察はまだ掴んでいないが、君は知っているのかな?」

「な、ば……」

「君を殴った男は娥孟という。十年以上前にこの町を離れたはずが最近戻ったのだと。見かけた知り合いがこちらに教えてくれたよ」


 知らない。知らない。

 楽口は何も知らない。卑金が困るようなことは何も知らない。


「そんなに怯えなくてもいい」


 ぶるぶると小刻みに首を振る楽口に、穏やかに語り掛ける包銭。

 とても楽しそうに見えた。


「なぜ君はあんな場所で娥孟と会っていたのか、私に教えてもらえないだろうか?」

「ひ、ひがう……ちが、う……」


 楽口は娥孟なんて男と会いたくてあそこにいたわけではない。

 騙されたのだ。

 はめられただけ。

 罠にはめたのはこの包銭も関わっているはずなのに。どうしてそんな質問を。


「……」


 違う、これは質問ではない。

 脅しなのだ。

 何を知っているにしろ知らないにしても、楽口が余計なことを警察に喋らないように。


「な、なひも……なんも、じりま、せん……すんまぜん、おれ……」

「……」

「ばいせざんのこども……なんも、しら、なび……なんぼ言いまぜん、からっ……」


 穏やかだった包銭の表情が、まるで温度が消えるように感情が消えていく。

 つまらなそうに。

 ゴミでも見るかのような顔で深く溜息を吐いた。



「そうか」


 椅子から立ち上がり、もう一度短く息を吐いてから。


「退院したら連絡しろ。前の背背の番号でいい」

「は――ぶぁっ」


 ガーゼの上から鼻面に指を弾かれた。

 涙目だった楽口の目から本当に涙が零れる。


「警察には」

「い、いいません……ぜっだい」

「言っても無駄だが、それがいい」


 警察にも話が通っているのだろう。

 楽口ごときが騒いだところで何もならない。次は命がないかもしれない。



 包銭が出ていった後、一人の病室でズキズキと疼く鼻を抱えて泣いた。

 惨めな気分で泣いた。


 ――軽はずみなことばかりするから。


 母に言われた小言。まさにそのまま。

 昔から調子に乗るとペラペラと止まれず、つい余計なことを言ってはトラブルになったりしていた。

 今度は過去にないレベルの失敗。

 世の中にはルールの通用しない相手がいるのはわかっていたはずなのに。

 理不尽な暴力を使う人間と、道理を捻じ曲げる権力を持った人間。前者には関わらない。後者には逆らわない。


 もう誰も見舞いにこない病室で、体を小さくして耐えがたい痛みに震えるだけだった。



  ◆   ◇   ◆

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