第37話 軽骨
※軽骨:きょうこつ または けいこつ
軽はずみなさま。
◆ ◇ ◆
漁港の新年会から二日経つ。
忙しいとかそんな事情なのだろうと。
新聞を読むことはなかったし、地元ニュースなどもあまり細かに気にしていなかった。もしかしたらブラウザのトップページに『議員秘書、海で事故死か』という見出しくらいは目にしていたのかもしれない。
個人の事故など小事に過ぎず、首都圏の積雪に関する話題の方が圧倒的に扱いは大きい。
楽口だけでなくよほど近しい人間でなければ、背背の事故死など知る機会はほとんどなかった。
三日後に背背の携帯から折り返しの電話があった時には少し苛立ちを覚えた。
用事がある時は急に色々と言うのに、そうでないと放置か。
仕事を回してもらう身ではあるがあまり面白くない。そんな気持ちが湧いてしまうこともある。
やや攻撃的な気持ちに傾いていたかもしれない。
「はいはい、楽口でぇす」
『背背の代理だ』
「はぁ?」
唐突に、知らない男の声。
背背の携帯番号から。なんなのだろうか。
「代理って……」
『少し問題があった』
「問題?」
『君には関係ない』
つっけんどんな態度。
興味を持たせるようなことを言っておいてなんなのか。
一瞬忘れかけた楽口の苛立ちがさらに量を増して積もってくる。
「関係ないっすかねぇ」
『……』
「まあいいですよ。それで、なんですかぁ?」
『何度か連絡をもらっていたようだが、とりあえず不要だと伝えておこうと思っただけだが』
この電話番号は背背の業務用携帯になる。同僚の誰かが数度の着信を確認して連絡してきてくれたらしい。
それなら最初からそう言えばいいのに。
「背背さんからは色々と頼みごとを受けていたんですけど」
『色々とは?』
「そりゃまあ色々ですよ。あんまり言いにくいやつもあるでしょ」
苛立ちと、仕事が減ることへの焦燥もあった。不要などと言われて。
少し会話しただけの相手に、自分への関心を引こうと明らかに余計な挑発をしてしまう。
口は災いの元。これまでの人生でも不用意な発言でトラブルを起こしたこともあった楽口だが、だからと性格が変わるわけではない。
直接会って話すのと違い、電話口というのもつい気を大きくさせた。
クレーマーなどでも、電話では異様に強気なのに直に対面すると妙に素直になるタイプがいるように。
『……なら、また頼むことがあるかもしれない』
「そうですか? もちろん、喜んでやりますよ。なんだってね」
『楽口秋基君だったな。また連絡する』
「うぃす、よろしくお願いしまぁす」
そこで通話は切れた。
そういえば名乗りもされていない。背背の代理というだけ。
背背は県議会議員の事務所で働いていたから、その関係者だとは思うが。
好感を持たれる対応だったかどうかと振り返ればそうではない。そんなことは自分でもわかっている。
しかしこういうのはまず相手に自分を覚えてもらうのが大事。
背背関係の仕事は割りのいいものが多かった。背背に何か問題があったにしても、他の誰かから同じように仕事を回してもらえばいい。
今の印象の悪さについては、直接会った時にへりくだって見せればいいのだ。
議員の事務所で働く者。楽口のような人間を下に見るのは自然なことで、それをわきまえた顔を見せれば気をよくする。
電話での印象は初顔合わせで上塗りできる。とにかく、楽口の存在を不要と切り捨てられないように。
思わせぶりなことを言った。実際に合法とは言い切れない仕事も請け負ってきた事実もある。
「ま、なんとかなるっしょ」
この世の中、不都合はあっても死ぬほどのことはない。
うまく金を稼げればいいだけ。今のやりとりがうまく転ぶかどうかはわからないが、とりあえず名前は印象付けた。
失敗したとしても大した問題にはなるまい。
「……問題、ねぇ?」
背背に何か問題があった、とか。
何なのだろうか。今の電話の相手と会うことがあればもう一度聞いてみよう。
病気か何かで倒れたのかもしれない。見舞いに行くなど普段なら考えないのだが、背背との繋がりを考えれば行っておいた方がいいか。
「前に連れてってもらったスナックがあったっけ」
表で話しにくい仕事の話で、背背の知り合いのスナックに行ったことがあった。
そこのママには背背でも遠慮している素振りだったと思う。彼女なら何か知っているのかもしれない。足を伸ばして話を聞いてみるか。
教えてもらえなかった『問題』というのが何なのか、楽口が知っておいた方が都合がいいことかもしれないのだから。
あまり土地勘のない飲み屋街の地図をスマートフォンで検索する楽口秋基。
その知り合いの名前をネット検索したら答えが出てくるなど想像することもなく。美人ママだったなと思い出して頬を緩めて。
◆ ◇ ◆
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