第13話 悪人と腐肉漁り



「あの路地を見ていて下さい。夾竹桃きょうちくとうの植え込みの向かいです」


 詩絵が言う通りに視界の悪そうな路地を見てみる。夾竹桃という名前はわからないが、白い花がほとんど散っている街路樹だろう。

 すると程なく何かの音が僕の耳に届いた。


「?」


 キュウッっとゴムの鳴る音は強めのブレーキだろうか。

 その直後に勢いよく白いスポーツタイプの車が飛び出してきた。

 ぐわんっと急加速をしながら曲がって、そのまま走り去っていく。止まった状態からの急加速とコーナーリングはさすがのスポーツカーだけれど。



「危ない、よね? あれ」

「警察もよく見ているんですけどね。反対の角で」


 詩絵の視線が差す方向を見るが、物陰で見えない。


「一時不停止が多いのでよく見ているんです。あの路地から出てくると右側は死角。左は少し開けていますが、植え込みのところにカーブミラーがあります」

「だからって」

「あの車は昔からですよ。何度か捕まったみたいで一時停止線の前で静止するようになりました」


 昔から、というのは雑居ビルに住んでいた頃だろうか。少なくとも数年前からという話しぶり。

 繁華街の内側の方にも雑居ビルはある。そこの住民が仕事に出ていったのだと思う。


「道路交通法違反にはなりませんから。逆に、あそこをゆっくりと注意しながら出てきたとしても、一時停止をしなければ警察が止めますよ」

「その方が危なくないと思うんだけど」

「でも道路交通法違反ですから。朝方まで飲んでいた酒が残っていると酒気帯びもつくみたいです」


 繁華街の路地から出てくる車だ。不思議はない。

 交通警察の仕組みはわからないけれど、一時停止違反や酒気帯びで罰点を獲得すると給料に影響などあるのだろうか。

 死角になりやすい交差点は彼らの良い狩場というところなのだと思う。



「荒っぽい運転を見逃してそんなの捕まえるなんて」

「形だけの一時停止と、とりあえずミラーは見ていますから。あれでも」


 車の運転をしない僕にはよくわからないが、ミラーだけで全部が見えるわけでもないだろうに。


「午前十時台の繁華街ですから人通りもほとんどない、ということもあるんでしょう。それよりも」

「?」

「出てきましたよ」



 詩絵が再び促す。路地を見るように。

 目的はさっきの車のことではなかったのか。


 路地から歩いて姿を見せた男女。

 片方は中年……を過ぎて、もう初老といった雰囲気の男。

 グレーに染めた頭は綺麗に整えられ、腹の丸さは豊かな食生活を窺わせる。


「ああ、そうか」


 詩絵のモバイルPCのファイルでちらりと見た男の顔写真。どこかで見覚えがあると思ったのだ。

 なんのことはない。選挙のポスターなどで目にしていたのだろう。当時から。


 県議会議員卑金餮足いやがねてつぞく

 僕の怨敵が女と共に出てくるところだった。




 呼びつけていたのだろう黒い乗用車が卑金を拾っていくのを見送る。

 今ここで何をできるわけでもない。襲い掛かって殺したとしてもそれだけでは意味がない。

 詩絵がそんなことの為に僕を連れてきたとは思えなかった。


「月曜の夜はこの辺りの店はお休みです。邪魔をされずに愛人と酒を飲んで遊んだ翌日。火曜の朝はここで見ることが多いんです」

「行動パターンってことか」

「ええ、働いている人間なら曜日時間である程度行動を絞ることが出来ますから」

「調べてくれていたんだな。僕の為に」


 何年もかけて情報を集めてくれた。

 誰が何曜日のどの時間に、どこへ出入りすることが多いのか。知っておいて損はない。


「私の為でもあります。あなたの役に立てるように」

「詩絵……」

「……ここでは人目が」


 詩絵の横顔を見つめる僕の視線に対して、平日午前の繁華街なんて人目なんてほとんどないと言ったのに。

 ほんの少しだけ周りを気にしてから、詩絵の薄っすらと色づく唇が――



「……?」


 運転席と助手席の間で触れる前に、詩絵の目が後部座席に走った。

 かすかに触れてから、後部座席の鞄に手を伸ばす。

 傍から車内を見ていれば、キスをしたのではなくて後ろの荷物を取ろうとしただけに見えたかもしれない。


 モバイルノートを取り出して中を確認してから、そっと首を振った。



「行きます、司綿」


 おそらく何か通知があって光ったのだろう。

 僕の場所からは見えなかったけれど。


「何かあった?」

「近くに腐肉漁りハイエナがいるみたいですから」

「ハイエナ?」



 車を発進させながら頷く詩絵は、それほど焦った様子ではない。

 急発進などさせれば不審で目立つのだからそれが正解なのはわかる。


「おそらくブン屋か密偵といった類の。後で説明します」


 進行方向に集中する詩絵の様子は、本当に誰かの視線を不安に感じているようで、僕は伊達メガネをかけ直しながら顔を隠した。



  ◆   ◇   ◆

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