第12話 人生の値札



 詩絵はモバイルPCで作業していることが多い。

 慰み程度だと言っていたけれど、大衆サイトを利用して広告収入を得ているらしい。株取引の類もやっているようだ。

 舞彩は近くの洋菓子店でアルバイトをして、夕方には買い物をして帰ってくる。


 当の僕はトレーニングをして過ごした。

 食べて鍛えて、彼女らに甘えて過ごす。申し訳ない気持ちもあるが、今の僕にできることは少ない。

 詩絵と舞彩も一緒にトレーニングする時もあった。今後のことを考えれば体を鍛えておいて損はないだろう。


 公営団地の家賃は破格の一万円。光熱費や食費も必要だが、とりあえずすぐさま生活に困る状況ではない。




 詩絵は僕を連れて出ることがあった。

 軽自動車の助手席で、何かの為に僕にも道を覚えてほしいという。


 来たのは隣の市の繁華街。

 県庁所在地でもあるそこには大きく二つの繁華街があり、南の繁華街の方が人が多い。北の繁華街は寂れている。

 町の北は古い豪邸が多く、区画整理などが進まなかったらしい。

 南側に新しい住宅が増えた為に北の繁華街は寂れたのだとか。町にも歴史があるものだ。



「道、詳しいんだね」


 人目の少ない路地裏に車を停めた詩絵は、ずいぶんと慣れた様子だった。

 僕には駐停車していい場所なのかもよくわからないのに。


「そこの雑居ビルで暮らしていましたから……以前のことです」


 繁華街から出た場所の古いビル。一階は花屋の名前が書かれたシャッターが下りていて、上は賃貸の住居になっているようだ。


「こんなところに?」

干溜ひだまり埜埜しょのの店が繁華街にありますから。住居のマンションも近いですけど」

「おかあ――」

司綿つかわた


 僕の言葉を遮る。

 拒絶の意思を示して呼ぶ。



「あの女を母と呼ぶのはやめて下さい」

「……」

「私と舞彩を産んだ女ですが、あれは母ではありません。ああいうものを母と呼びません」


 母とは認めない。

 というより、人としても認めていないように。僕に刺さる鋭い瞳には冷たく固い意志がある。


「子供がいるから幸せになれないのだと。あの女に言われました」

「……」

「あなたを貶め、陥れて。あたかも悲劇の母のような外面を見せるあれに吐き気を覚えました」

「そこまで」

「挙句に、あの事件をきっかけに当時勤めていたスナック……キャバクラと言うらしいのですが、上客だった男から声がかかりそれの愛人になったような女です。自分はその男が用意したこの近くのマンションに住み、私たち姉妹を雑居ビルに捨てて……住民票は一緒にありましたけれど」



 邪魔な娘たちは放置。

 自分は経済力のある男に養われる生活を。


「埜埜がオーナーをする店だってその男が用意したものです。県議会議員の卑金餮足いやがねてつぞくですが」

「けん、ぎ……」

「埜埜の容姿は男に好かれるようです。私を十六で産み、翌年に舞彩を産みました。相手は別の男です」」


 当時の僕にとっては遠い世界の話だったが、高校生のうちに結婚出産する同世代の子がいるのだとか。

 多くの場合でパートナーと長続きせず、ただ容姿が良かったり性に奔放だったりして別の男とくっついては離れて。

 詩絵の母がそう。


 一度は僕も直接会っているはずだが、その時はまだ夜明け前だったし警察や何かがいて顔など覚えていない。

 僕を性犯罪者として変態と罵る声だけは忘れていないけれど。



「この際だから言っておきますが、司綿。県議会議員の卑金にも復讐しなければなりません」

「なぜ、県議なんて」

「あなたの取り調べや裁判が妙に早かったこと。一方的だったこと。公選弁護人があなたに協力的でなかったこと」


 詩絵の挙げた事柄は、聞いた端からすぐに繋がっていく。

 県議会議員なんて肩書の男ならば。


「卑金にとっては大したこと・・・・・ではなかったんですよ。お気に入りのホステスの為に便宜を図るくらい」

「それじゃあ、僕の……僕の冤罪は」

「冤罪について主導したのは卑金餮足で間違いありません」



 警察や検察、裁判官。そして公選弁護人。

 きっと報道機関にも影響力があるのだろう。そうやって僕の逃げ道を塞いだから、何もかもが敵になった世界で僕は諦めた。諦めさせられた。


「あなたの親から巻き上げたお金を手切れに娥孟萬嗣がもうばんじは県外に。あなたを踏み台に埜埜は自分の店とパトロンを得た」

「……」

「許すことはできません」

「……あぁ」


 僕の人生と家族をめちゃくちゃにしたのは、詩絵の母……干溜ひだまり埜埜しょのと娥孟萬嗣だとばかり考えていたけれど、違う。

 裏で糸を引いていたのが卑金餮足。

 その理由が酒場のお嬢の為にだなんて。どうしようもないほど低劣なことで。


 都合は良かったのだろう。

 僕のようなクズニートに罪を被せるのは簡単だっただろうし、公選弁護人の差詰作論さづめさくのりだって最初から乗り気ではなかった。性犯罪者の弁護なんて。

 取り調べの刑事も、小児性愛の犯罪者として僕への当たりはひどいものだった。


 既に外道として報道されているクズニートを一匹刑務所に送るだけで気に入った美女に恩を売ることになる。

 なるほど、言われる通り大した手間でもなさそうだ。



 許せない。

 人の人生をなんだと思っているのか。

 そう問いただしたところで、県議会議員様の人生とクズニートの人生ではまるで価値が違うと考えるのだろう。

 僕だってこんなになる前は、凶悪犯罪者の人権なんていらないと思っていた。


 今でも、小児への性犯罪なんてやる人間は即刻死刑でもいいと思う。

 だけど僕は違う。僕はただの冤罪……ただの、ではない。


「こいつらのせいで僕たちは」

「私はずっと調べてきました。あなたに会えた時に少しでもお役に立てるように」


 僕の腹を焦がす怒りと同じものをずっと抱えてきたのが詩絵。

 十三年間、ただ諦めの底にいた僕とは違い、本当の敵を探してきた詩絵がいる。とても頼もしい。



  ◆   ◇   ◆


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