第9話 手を取り合う初めての
「次は司綿さんの着るものと、足りない生活用品だね。カーテンも売ってるかな?」
二人に連れられていくつかの服を買う。それと伊達メガネを。
他人と顔を合わせたくない僕としてはメガネをかけるだけでも少し気が楽になった。
既に近場の中古ショップで目星をつけていた詩絵が、小さな冷蔵庫と洗濯機など必需品を買い、軽バンの後部に僕が積んだ。
買い物の際に、詩絵の妙なこだわりを見た。
「八千円のそれ、でもいいんじゃ……」
「いけません、司綿」
中古の電化製品の中、炊飯器。
一人暮らし用の電化製品は中古で出回ることが多いらしく、新品より割安だと。
最新式のデジタル製品なら新品と大差ないとか。出所も怪しいとも言う。よく調べている。
「炊飯は毎日のことです。高級なお米を買えない以上、炊飯器はある程度上質なものがいいんです」
「上質?」
「これは」
展示されている安い炊飯器の内釜を取り出して僕に渡した。
軽い。詩絵が軽く指先で叩くと、ちんちんとアルミ板のような音が響く。
「こちらは二万ですが」
次に渡された内釜は、持った瞬間に重量に驚いた。さっきの倍どころではない。
今度は自分で叩いてみると、ごんと重い音が響く。
「より熱をよく伝え芯まで火を通せば、安いお米でもそれなりに炊けます」
「そう、か」
「そうなんです」
言っているうちに自分でも納得したのか、二万の炊飯器の購入を決めた。
店員から新生活ですかと聞かれて、そんなものですとつっけんどんに答えていたが、その背中は少しだけ年相応の女性に見えた気がした。
荷物を積む為に後部座席を倒してしまった為、舞彩は食品を買うついでに歩いて帰るという。
「僕が歩く、から……」
「いいの、夕飯の買い物もしていくし。司綿さん、人が多いの苦手でしょ?」
「……」
反論できない。車の運転は詩絵なのだから消去法でそうなってしまう。
情けない僕に向けた舞彩の笑顔は、これまでの印象より大人びた雰囲気を感じさせた。
「なんかいいね。こういうの」
「?」
「本当の家族みたい……ううん、本物の夫婦になったんだもん。ね」
書類上の手続きだけ。
僕は
戸籍の上の表記が変わるだけなのは、役場や赤の他人の目から見てのこと。
舞彩は僕との距離が近くなったと喜ぶ。
本物の夫婦。
自分の為にこの少女を利用するだけになっていた自分に気づいて、邪気のない言葉がゆっくりと僕の心臓に刺さってきた。
「行きますよ」
スーパーの方角に歩いていった背中に言葉をかけられなかった僕に、後ろから詩絵が促した。
何もできない。世の中のことを何も知らない僕の背中を押してくれる姉妹にただ頼り、すがるだけ。
本当に情けないけれど、今更彼女らの手を離れるなんて考えられない。
真っ暗な海に泳ぎだすような恐怖。すぐ溺れるか、もがいて力尽きるか。あるいはうまく生きられず捕食者に食い千切られる末路。
「うん……」
行きは舞彩が乗っていた助手席に乗ると、詩絵はゆっくりと走り出した。
「ごめんなさい。あの子は浮かれているんです」
「……」
「家族なんて言われて気を悪くされたでしょう」
「違う」
即座に否定が口から出た。舞彩に対して気分を害したのではない。絶対に。
彼女らに手を引かれておいて、ただ利用する形になってしまった自分に嫌気が差しただけ。
「やっぱり男の人なんですね」
「?」
「洗濯機、一人で持ち上げてしまうんですから」
一人暮らし用の小型の物だった。
健康くらいしか取り柄のない成人男なのだから、持とうと思えば持てる。
「運び込む時は階段もありますから私も手伝います」
「うん」
気遣われたのだろう。僕が自分の無力をうじうじと悩んでいるのを察して。
本当に情けない限りだ。
自宅に着いて、舞彩が帰る前に荷物を部屋に運び込む。
詩絵と僕とで一緒に、小型の洗濯機と冷蔵庫。他の物も。
初めての共同作業。
ふとそんな言葉が浮かんだ。
楚嘉司綿と楚嘉詩絵が、初めて手を取り合って新しい生活のスタートに協力する。
ただの荷物運びにそんなことを考える馬鹿は僕くらいだろう。
どうかしている。書類上の婚姻届けを書いただけで舞い上がり浮かれているのは僕の方だ。
一緒に冷蔵庫を運んだ時に手が重なった。
僕の手の熱を吸いあげるように、ぴたりと止まる詩絵の手。
じっと僕を見つめる詩絵の瞳から目を逸らせず、けれど何も言葉は出てこなくて。そのまま動けなかった。
◆ ◇ ◆
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