第51話:君に会えるまであと三週間
部活、部活、バイト、部活、バイト、部活、合宿——
スマホのカレンダーで予定を確認するとため息しか出ない。
次に彼女に会えるのは8月14日土曜日。今日からちょうど三週間後。三週間。24時間×21日=504時間。
「おはよう」
「おう」
「おはよう、二人とも」
学校に行く途中で偶然会えたりしないだろうか。そんな期待も虚しく、今日も彼女に会えないまま学校に着き、練習が始まる。
外周、筋トレ、発声練習を終えて通し稽古。
「いくぞー」
「よーい、アクション!」と、部長がパンっと手を叩けば、私はもう青山商業の生徒ではなくなる。ここではないどこかで生きる別の人間に身体を明け渡して、舞台の上で物語を紡ぐ。
今回私たちが舞台の上で紡ぐ物語は、事故で記憶喪失になってしまった女性、ナナが主人公。目を覚ました彼女の目の前に居たのは一人の男性。カナタと名乗った彼は自分の恋人だという。ナナはそれを信じたが、カナタと入れ替わりで慌ててやってきたユウキという女性も彼女の恋人だと主張する。
果たして嘘をついているのはどちらなのかという話。
私が演じるのは後からやってきた方の恋人のユウキ。
「私と…貴女が…付き合っていたんですか?」
「そうだよ。信じ難いかもしれないけど、ナナと私は恋人同士だったんだ」
「でも…あの…さっきの…男性が…私の恋人だと…」
「…えっ…?男性?」
ナナは記憶を失う前、ストーカーに悩まされていた。二人の恋人は、お互いを彼女のストーカーだと主張する。
ナナはお見舞いにやって来た友人達や家族に恋人のことを聞いてまわるが…
「彼氏の話は聞いたことあるよ。頑なに会わせてくれないから、本当に居るのか疑ってたけど」
「彼氏…ですか…」
「ん?何?」
「…いえ。ありがとうございます」
「元気になったら、今度こそ彼氏紹介してね」
「…はい」
記憶を失う前のナナ達は周りに恋人の話をほとんどしなかった。実際にナナの恋人に会った人は居なかった。しかし、みんな口を揃えて彼氏と言う。やはり男性であるカナタが恋人だったのだろうか。
「ユウキさんもカナタさんも優しそうだったけど…どちらかが嘘をついているんだよね…。…私はどっちを信じたら良いの…?」
ナナの本当の恋人はユウキだ。ナナ達は周りに自分達の関係を話さなかった。言えば好奇の目で見られたり、色々聞かれたりして面倒だから。恋人という言葉で性別を誤魔化していた。
味方がいない状況で、ユウキはそのことを後悔する。こうなる前に誰か一人にでも打ち明けておくべきだったと。
「…だけど誰が…恋人が記憶喪失になるとか…誰が想像すんだよ…クソ…っ…」
悔しそうに壁を蹴るユウキ。そこにカナタが現れる。
「やあ、ストーカー」
「…ストーカーはそっちだろ」
「ナナも、ナナの周りも、誰もがナナの恋人は男性だと信じて疑わない。恋愛は男女でするのが当たり前なんだ。同性同士の恋愛なんて恋愛ごっこでしかない。だから僕が彼女の目を覚まさせてやるんだ。道を踏み外した彼女を正しい道に導いてやるんだ。神様はきっと、彼女にチャンスをくれたんだよ。間違えた人生をやり直すチャンスを。だから死ぬはずだった彼女の記憶だけを消して、生かしてくれたんだ」
「死ぬはずだった?お前が殺そうとしたんだろ。お前が彼女を階段から突き落としたんだろ」
ナナが記憶を失った原因は階段から足を踏み外して頭を打ったせい。ユウキは、カナタが彼女を殺そうとして後ろから押したのだと考えていた。しかし、残念ながら証拠はない。ならば作れば良いだけだ。
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。僕は彼女の背中を押しただけだ。荒療治ではあったが、それしかなかった。彼女に僕の言葉は届かなかったから。彼女が悪いんだ。僕は、彼女のためを思って、君と別れろと説得してあげていたのに。僕の方が彼女を愛しているのに。彼女はそれを分かってくれないから。だから、お仕置きしてあげたんだ。そうだ。彼女が悪いんだ」
「…狂ってんな」
「狂っているのはどっちだ!ナナを惑わした悪魔め!とっととナナの前から消えろ!」
「…なら消せば良いだろう?お前の手で」
ユウキはポケットからカッターナイフを取り出し、カナタの足元に投げる。
「…まぁ、今私が殺されれば真っ先に疑われるのはお前だろうがな」
挑発をすると、彼は舌打ちをしてカッターナイフを蹴り返した。
「…まぁ良い。強気で居られるのは今のうちだ。どうせナナは僕を選ぶ。ナナを悩ませていたストーカーはお前になるんだよ」
高笑いしながらカナタが去っていったところで、彼を睨んでいたユウキは意味深にふっと笑った。
暗転して場面が変わり、公園に三人が集まっていた。
「…私、色々な人に話を聞いてまわりました。…みんな、口を揃えて恋人のことを彼氏と言っていました。彼女という人は居なかった」
「これでもう分かっただろ。恋人は僕だ。ストーカーは彼女。そもそも、疑うまでもないだろう。だって、同性が恋人なんておかしな話だろ?」
「…」
俯くユウキを見てカナタは勝ち誇ったように笑う。しかし…
「…私はユウキさんを信じます」
ナナが出した答えを聞いて、今度はユウキが俯いたままふっと笑う。
「は…?」
「…私は、ユウキさんが、私の恋人だと思います」
「ちょ、ちょっと待てよ…なに?何言ってるの?」
「…これ、聞いたんです」
そう言ってナナが取り出したのはスマホ。少し操作すると
『ナナも、ナナの周りも、誰もがナナの恋人は男性だと信じて疑わない。恋愛は男女でするのが当たり前なんだ。同性同士の恋愛なんて恋愛ごっこでしかない。だから僕が彼女の目を覚まさせてやるんだ。道を踏み外した彼女を正しい道に導いてやるんだ。神様はきっと、彼女にチャンスをくれたんだよ。間違えた人生をやり直すチャンスを。だから死ぬはずだった彼女の記憶だけを消して、生かしてくれたんだ』
『死ぬはずだった?お前が殺そうとしたんだろ。お前が彼女を階段から突き落としたんだろ』
『人聞きの悪いことを言わないでくれ。僕は彼女の背中を押しただけだ。荒療治ではあったが、それしかなかった。彼女に僕の言葉は届かなかったから。彼女が悪いんだ。僕は、彼女のためを思って、君と別れろと説得してあげていたのに。僕の方が彼女を愛しているのに。彼女はそれを分かってくれないから。だから、お仕置きしてあげたんだ。そうだ。彼女が悪いんだ』
ユウキとカナタの会話が流れた。弁解を求められ、わなわなとカナタが震える。
「そんなものは捏造に決まっているだろう!ナナ!騙されるな!ストーカーはこいつだ!」
「いや、ストーカーはお前だ。自白しただろう?」
「うるさい!うるさいうるさい!あんなもの!作ろうと思えば作れる!もっとちゃんとした証拠を出せ!」
「…あ、あの!」
言い争う二人をナナが止める。
「…私、事故があった現場に行ってみたんです」
「一人で行ったのか!?」
心配するように叫ぶユウキ。「余計なことを…」と呟くカナタ。
「ご、ごめんなさい…何か…思い出せたら良いなと思って…」
「…何か思い出せた?」
「無理に思い出さなくていいよ。ナナ」
カナタの声が震える。それもそうだ。思い出せばカナタが犯人であることが明らかになるのだから。
「…現場に行ったのは嘘です」
「「は?」」
「…二人の反応を見たくて。…犯人なら、私に記憶を取り戻してほしくないでしょうから。やっぱり、この音声は本物だと思います。…私は、ユウキさんを信じます」
「ふざけるな…ふざけるなよ!!僕がせっかく!道を正そうとしてあげたのに!」
逆上し、ポケットからナイフを取り出してナナに襲い掛かろうとするカナタ。
「ナナ!!」
咄嗟にユウキがナナの前に出て、カナタの腕を掴んでねじ伏せる。カランと音を立てて落ちたナイフをユウキが蹴り飛ばす。
「ナナ!警察呼んで!」
「は、はい!」
こうして、カナタとユウキの会話を録音した音声が証拠として認められ、カナタは逮捕された。
「…信じてくれてありがとう。ナナ」
「最初は迷いました。でも、カナタさんは貴女をやたらと悪く言ったけど、貴女は私の心配しかしなかった。彼のことは眼中には無いって感じで…。…あ、この人私のことしか見てないなって感じがしたんです。だから、少し話せばどっちが私の恋人かなんてすぐにわかりましたよ」
「…同性だから違うかなとは思わなかった?」
「思いました。…家族も周りもみんな"彼氏"って言うし…。でも…誰も私の恋人には会ってないって言うんですよね。顔も名前も知らないって。…だから…私が女だから、当たり前のように相手が男だと思って"彼氏"って言っちゃうのかなって思ったんです。中には"恋人"っていう子もいました。なんで彼氏って言わないのかって聞いたら『ナナが彼氏じゃなくて恋人だって言ってたからだよ』って言ったんです。誤魔化しながらも、地味に相手が男性ではないことを主張してたみたいですね。…それに気付いてくれていた人もいたみたいです」
「…そっか」
「…はい。…ねぇ、ユウキさん。記憶が戻ったら、貴女を両親に紹介したいです。私の恋人だって。同性だけど、恋人だって」
「…でも…」
「…大丈夫です。きっと受けてくれます。仮に受け入れてくれなかったとしても、私は貴女のそばに居たいです」
「…ナナ…」
「…まだ何も思い出せないけど…ユウキさんが私の恋人だってことはもうわかります。頑張って、思い出します。だから…」
ナナはユウキの手を取り「記憶を失う前の私達の話、たくさん聞かせてください」と微笑む。ここでユウキが「うん」と笑い返して物語が終了する。というのが台本だったのだが…
「…うん。…うん…」
上手く笑えず、涙が溢れてしまう。ナナが「大丈夫ですよ」とユウキの頭を抱きよせたところで、部長からカットがかかった。ナナを演じていた先輩が私を離し、その場に座らせる。
「…すみません…」
「いや、でも俺的には今のラストの方がいいかもしれないと思ったよ。王子、どんどんユウキに近づいていくね」
「…当て書きされてますからね…そりゃ演じやすいですよ」
そう。この脚本は部長が描いたもので、ユウキは私をイメージして作られたキャラクターだ。故に演じやすいのだが、入り込みすぎてしまう。まだ涙が止まらない。ユウキの感情が抜けきらない。
「とりあえず全員休憩しよう」
私は鈴木海菜16歳。青山商業一年一組の生徒。演劇部に所属していて、クラスメイトの小桜百合香と付き合っている。家族構成は両親、兄。それから——。
「ほら、戻ってこい。うみちゃん」
パンっ!と私の目の前で手を叩いたのは幼馴染の満ちゃんだ。その隣で心配そうな顔をしているのはナナの兄——を演じていた望。
「しんどそうだねぇ。王子ちゃん」
カナタが話しかけてくる。思わず睨んでしまうと「今の俺は酒井先輩だよ」と、カナタ役の酒井先輩は苦笑いした。
「…俺、下手に近寄ると殺される?」
「梅子先輩にも近寄らない方がいいかも」
「咄嗟に手出そうになったら止めてね…満ちゃん…私を止められるの君くらいだから」
「いや、私でも止められるかどうか…。つか、舞台上で暴走したら無理だからな?」
「…王子ちゃん、本番、腕折らないでね?」
「…善処します」
「そこは大丈夫って言って!」
あぁ…百合香に会いたい。癒されたい。次に会えるのは三週間後。遠い。
「…王子、この後の練習どうする?ひたすら読み合わせして細かく詰めていくけど」
「…大丈夫です」
「本当に?カナタからかけられる言葉は、台詞とはいえ、お前にとっては辛いものばかりだろう。無理する必要はないからな?」
「ははっ。…あんなの、もう言われ慣れましたよ」
一瞬にして、部室の空気が冷える。やってしまったとすぐに察した。苛立ちを隠しきれなかった。
脚本を描いたのは部長だ。あの台詞を考えたのも。だけど部長本人がそう思っているわけではない。部長も部員達も、私の敵ではない。味方だ。大丈夫。
「…すみません」
「…いや、俺の方こそ…すまない。…辛い役を当ててしまって」
「…大丈夫です。本当に。もう…過去のことです」
「過去のことだとしても…「私にとってはそうやって哀れまれる方がしんどいです」」
部長の言葉を遮ってしまった。…あぁ…だめだ。今はちょっと一人になりたい。
「…すみません。ちょっと、頭冷やしてきます」
「…分かった。…部活終わるまでには帰ってこいよ」
「流石にそんな長くはサボりませんよ」
部室を出る。溜息と共に、涙が溢れた。カナタのあの言葉は私に向けられているわけではない。…いや、私に向けられているも同然だろう。あの言葉はナナとユウキだけでなく、同性を愛した人全員を否定している。
大丈夫。現実は、そんな人ばかりではない。百合香の母親のように、みんな、時間をかければ分かってくれる。最初は否定的でも、時間をかければ。学校の生徒達や先生達もそうだ。考えは変わる。変わるんだ。
私達は何も間違っていないと、あなた達と同じ人間だから安心してくれと訴え続ければ、ちゃんと伝わる。
大丈夫。大丈夫だ。私は、私は人間だ。私は何も間違っていない。部長は味方だ。部員達も。みんな味方だ。怯えるな。大丈夫だ。大丈夫。
「…私はもう…大丈夫…大丈夫…」
日陰になっている位置にある中庭のベンチに座り、膝に頭を埋めて唱える。だけど苛立ちは簡単にはおさまらない。
「どこが大丈夫なんだよバーカ。声震えてんじゃねぇかよ」
ふと、誰かがそう言って私の手を握った。顔を上げるとそこに居たのは満ちゃんだった。
「…満ちゃん、部活は?」
「お前を口実にしてサボってきた。…ほら、飲め。私の奢りだ。いつか百倍にして返せ」
そう言って彼女は冷たい緑茶が入ったペットボトルの底を私の頭に押し付ける。
「百円の百倍だから…一万円だな」
「うわっ。とんでもない押しつけ詐欺だ…」
「冗談だよ。返さなくていいから貰っとけ」
「…ありがとう」
冷たい緑茶が頭を冷やしてくれる。ようやく心が落ち着いてきた。
「…ユウキはお前にしか演じられないんだから、無理しすぎて舞台立てなくなったりすんなよ」
「…大丈夫」
「…お前の『大丈夫』とそのヘラヘラした笑顔は信用ならん」
「…大丈夫だよ。もう、あの頃の私とは違うから」
「…そうかよ」
「…うん。…今みたいに辛い時はあるけど、もう死にたいなんて思わないよ。死んだら百合香に会えなくなっちゃうし…あの頃の私を支えてくれた君に、望に…一生かけて恩返しと償いをしなきゃいけないからね」
「恩返しねぇ…。何してくれんの?」
「…ごめん、私の身体は百合香のものなのでちょっと…」
「生々しい冗談やめろ。もう要らねぇよそれは」
「あははっ。ごめんごめん。こんな冗談ばかり言ってたら実さんに殺されちゃうね」
「私がな」
などと冗談を言い合っているうちに、気づけば心のモヤは晴れていた。
「…ありがとう。練習に戻ろうか」
「もう良いのか?」
「うん。…今回は頑張りたいんだ。ユウキの…私の声を全国に届けたいから」
「…あんま役に入り込み過ぎんなよ」
「大丈夫だよ。私は鈴木海菜16歳。青山商業高校演劇部の一年生。趣味は人間観察。得意な教科は数学」
「辛いことがあると笑って誤魔化す癖がある。腹黒。割とクズ。女好き。人の心を操るのが上手い。信者製造機。教祖様。ドM」
「…せめてドMだけは否定させて」
「それ以外も否定しろよ」
今も一時的な不安は時々ある。けれど、大丈夫だ。私は一人じゃないから。私は何も間違っていないから。私は普通とは違うかもしれない。だけど普通なんて、多数決で勝手に決められた基準でしかない。普通じゃなくていい。私は私で良い。
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