第52話:あなたは鈴木海菜。私の愛しい恋人

 8月4日水曜日。彼女に最後に会ってから二週間と一日。相変わらず、彼女とは会えていない。毎日電話をしているが、最近は元気が無い。疲れているらしい。

 今日は部活が休みだが、朝から夕方までバイトだと言っていた。迷惑だろうかと思ったが、どうしても我慢出来なくて一人で彼女のバイト先に来てしまった。


「いらっしゃいませ」


「一人です」


「はい。ではお好きな席へどうぞ」


 彼女に気づかれないように、彼女と目を合わせないようにしながら席に着いたが、水を持ってきた彼女に「挙動不審すぎるよ」と笑われてしまった。せっかくキャップを被って変装してきたのに、一瞬でバレてしまった。


「気付かないでよ」


「挙動不審すぎるんだよ。というか、変装しても無駄だよ。私は着ぐるみ着てたって君だって分かるから」


「流石にそれは無いでしょう」


と言うが、彼女なら本当に気付きそうで怖い。


「ふふ。ところで、お客様、ご注文はお決まりですか?私ですか?」


「…ランチセットAを一つ」


 彼女のボケはスルーして普通に注文をする。少々不満そうな顔をしてメモを取る。


「…はぁい。ランチセットの…Aですね。ちなみに、私のバイトが終わるのは三時なんですけど、その後は空いているので、よろしければ少しだけデートしますか?」


「えっ…でも…疲れてない?」


「ふふ。一人で休むより君といる方が疲れ取れるよ」


「…じゃあ…ご飯食べたらその辺で時間潰して待ってるわね」


「はい。終わったらLINKしますね」


 ちょっと顔を見るだけのつもりだったのに。嬉しいが、そうなるならもう少しちゃんとした格好で来れば良かった。

大きめの黒いTシャツ、明るめの色のデニムパンツ、黒いキャップというラフな格好。アクセサリーは彼女にもらったネックレスだけ。どんな格好でも彼女は可愛いというけれど、やはり彼女の前ではおしゃれな私でいたい。


「キャップ被ってる君、新鮮で可愛いよ。似合ってる」


 サラッとそう言い残して彼女は注文を書いたメモを持って去っていく。

 嬉しいが、なんだか恥ずかしくなり、キャップを外して横に置いたバッグに被せる。二週間ぶりの彼女は相変わらずだ。相変わらずカッコいい。仕事している彼女は特に。定期的に来ようか。いや、でもあまり頻繁に来たら邪魔だろうか。そんなことを思いながらついつい彼女を目で追ってしまう。


『はー…王子、今日もカッコいい…』


『あれで女の子ってのが信じられんよなぁ…』


『でもそこが良いよな』


『分かる』


 そんな会話が聞こえて来た方を見ると、女性客が二人。よく見ると片方はクラスメイトの百合岡ゆりおかさんだ。目が合うと手を振られてしまった。手を振り返す。すると彼女の友人が店員を捕まえて私の方を指差しながら何かを話していたかと思えば、席を立ち上がり一緒に居た百合岡さんを連れて私の元にやって来た。


「相席して良い?」


「ど、どうぞ」


「お邪魔しまーす」


 彼女は海菜と一緒に居るところをたまに見かける。クラスメイトではあるが、海菜抜きで彼女と話すのはあまり無い。恋人の友人という微妙な関係だ。


「王子抜きで小桜さんとこうやって話すのあんまりないよね」


「そうね」


「あ、ごめん。紹介するね。私の友達で一年三組の白井しらいりりえ」


 紹介された白井さんは百合岡さんがよく一緒に居る子だ。あぁ、そうだ。前に、海菜とキスをしているところを見られてしまった時も一緒に居た。そんなことをふと思い出してしまい、顔が熱くなる。


「お客様。あまり私の彼女にちょっかい出さないでくださいね」


 通りすがった海菜が二人に声をかけながら、去って行く。


だって」


 ニヤニヤする二人。


「…二人はよく一緒にいるけど、友達?」


「うん。中学の同級生。付き合ってないよ。りりえは彼氏居るし」


「あ、別れたよ」


「えっ。早っ。てか、初耳なんだけど」


「百合に混ざりたがる男だったからさぁ」


「あぁ…それは駄目だな。死刑だわ」


「ね。百合好きで意気投合したのに…解釈違いだわ…」


 百合というのは恐らく花の方ではなく、女性同士の友愛や恋愛をテーマにしたジャンルのことだろう。それは分かる。混ざるというのは言葉通りの意味だろうか。"解釈違い"というのはよく分からないが。


「あ、ごめん。百合ってのはいわゆるGLのことね。LOVEじゃなくてLIKEも含むけど」


「大丈夫よ。理解してる」


「マジか。小桜さん百合分かるんだ。あ、王子に教えてもらったのか」


「えぇ。あの子百合好きだから」


「本人が百合漫画のキャラみたいだもんね」


 白井さんの言葉に頷く百合岡さん。


「まさに女子校の王子様って感じ」


 そういえば海菜を主人公にした作品の舞台は女子校だった。二人はあの漫画のことを知っているのだろうか。


「…二人とも『王子様の王子様』って漫画知ってる?」


「あぁ、?知ってるよ。ヒロインの榊原美桜がめちゃくちゃカッコいいよね。見た目は美少女なんだけど、中身が超イケメンで」


「私、推し」


白井さんが言うそのキャラのことはよく知らない。


「ギャップがたまらんよな。小桜さんは誰推し?」


「えっと…ごめんなさい、実はまだ読んでないの。気になってはいたけれど」


「「貸すから読もう」」


 熱意がすごい。よっぽど好きなのだということが伝わる。


「だ、大丈夫よ。海菜から借りる」


 作者の知り合いだと言うことは黙っておこう。

 そういえば、海菜の幼馴染ということは星野くんや満ちゃんとも知り合いだと思うが、二人もキャラのモデルになっていたりするのだろうか。


「白井さんの…推し…?ってどんなキャラなの?」


「一言で言うなら姐さんみたいな。てか、まんま。モデルなんじゃないかってくらい似てる」


「そ、そう…」


 作者が海菜の幼馴染で、海菜がモデルのキャラが居るのだから、満ちゃんがモデルのキャラがいてもおかしくはない。ということは星野くんがモデルのキャラもいるのだろうか。


「あとさ、王子といつも一緒にいる背の高い男の子居るじゃん?あの子、あれだよね。ちょっとに似てるよね」


 その菊井のばらというキャラがそうだろうか。と、仮定すると、結城水蓮ではない方のヒロインである榊原美桜にも誰かモデルがいるのだろうか。私に似ていると海菜は言っていたらしいが、少なくとも私がモデルではないことは確かだ。作者の加藤鈴歌さんとは最近知り合ったばかりだから。漫画の話とはいえ、少しもやもやしてしまう。


「…海菜が、私は美桜に似てるって言っていたらしいのだけど、どんなキャラなの?」


「榊原美桜?小桜さんに似てる…かなぁ…あー…でも、ツンデレ要素を抜いた小桜さんって感じかも」


「ストレートだからなぁ…美桜は」


「…私、そんなツンデレかしら」


「ツン2割、デレ8割って感じ」


「二人きりの時はデレ100%だけどね」


 しれっと会話に混じってくる海菜。


「…仕事しなさいよ」


「してますよ。ランチセットAでーす」


「…ありがとう」


「ふふ。ごゆっくりどうぞ。あと2時間くらいであがるからね。行きたいところ考えておいて」


 今は1時。これを食べ終わったら恐らく2時前くらいになる。彼女の仕事が終わるのは3時。これを食べたら一旦出ようと思っていたが、お客さんも少ないし、1時間くらいならここで待っていても良いだろうか。


「…もしや、この後デート?」


「…い、一応」


「…尾行していい?」


「良いわけないでしょお馬鹿」


 百合岡さんに頭を叩かれる白井さん。


「ごめんね小桜さん」


「いえ」


 海菜と二週間ぶりのデート。どこに行こう。行きたいところは特に無い。彼女と二人ならどこでも楽しい。一緒に居るだけで。

 強いて言うなら、二人きりになれる場所がいい。漫画の件もあるし、彼女の家に行きたい。

 時計の針は1時半を指している。ランチセットのパスタはあと半分。食べ終わっても2時前。あと、1時間。


「小桜さん、ほんと王子のこと好きだね」


 時計と彼女を気にする私を見て、二人はニヤニヤする。


「…夏休み入ってからずっと会えなかったの」


「えっ、一日も?」


「ええ。…大会が近くて忙しいらしくて」


「マジか。辛いな。そりゃバイト先に押しかけちゃうわ」


「お、押しかけたわけじゃないのよ。ただ…ちょっとだけ…顔見たくて…」


 このあと彼女は、元から何も予定を入れていなかったのだろうか。何か予定があったのなら悪いことをしてしまっただろうか。予定が無かったのなら、最初から私を誘ってくれれば良かったのに。どちらにしても少しもやもやしてしまうが、そんなもやもやも、彼女とデート出来るという事実一つで簡単に吹き飛ぶ。


 パスタの皿が空っぽになった。時刻は2時過ぎ。あと1時間を切った。


「…ねぇ小桜さん、野暮なこと聞いていい?」


「何?」


「…噂で聞いたんだけど…」


 と前置きして、白井さんは海菜を気にしながら小声で私に問う。「男と付き合ってたって本当?」と。百合岡さんが「それ聞くの?」と顔を顰めるが、私は別に気にしない。やましいことをしていたわけではないから堂々と認めればいいだけだ。


「それは本当の話よ。海菜も知ってる」


「えっ、マジなんだ…」


「えぇ。私は彼女と違って、女の子が好きなわけじゃないの。…多分、性別は関係なく恋をするのだと思う。だから私はあの子が男の子でも、好きになっていた」


 という話をすると、大体みんな固まってしまう。案の定、二人も。そして決まって


「究極の愛じゃん…」


「やば…」


 予想通りの反応に苦笑いしてしまう。私にとっては別に特別なことでは無い。究極の愛なんて、大袈裟で恥ずかしいし、性別関係無く愛していることがだと言ってしまうのは、それはなんだか違う気がする。女性もしくは男性じゃなかったら愛せないことも、それはそれで間違いではない筈だ。それが間違いだと言ってしまえば、女性しか愛せない海菜を否定してしまうことにもなってしまう。

 性別と結びつく愛、結びつかない愛、性愛と結びつかない愛、恋を介さない愛——愛には色々な形があるけれど、そこに優劣はないと思う。

 それを二人に伝えると、二人は黙り込んでしまった。少々くさかっただろうか。


「…小桜さんって凄いこと言うね」


「名言じゃん。額縁に飾ろうぜ」


「や、やめて…恥ずかしいから…」


 昔の私ならこんなこと言わなかっただろう。確実に海菜の影響だ。





「じゃ、私達は行くね。今日はありがとう」


「こちらこそ」


 時刻は3時前。少し早めに会計を済ませて、二人と別れて外で彼女を待つ。


、お待たせ」


やってきた彼女に聞きなれない名前で呼ばれ、きょとんとしてしまう。


「…ナナ?」


「あ…ごめん…百合香」


「…誰よナナって。誰よその女」


 と、不機嫌になるフリをしてお決まりの台詞を言ってみるが、浮気しているとは一切疑わない。彼女がどれだけ私を愛してくれているかは分かっているから。彼女は「私が演じる役の恋人の名前だよ」と苦笑いしながら答える。


「そう。浮気じゃないのね?」


「疑ってないくせに」


「…ふふ。疑わないわ。大丈夫よ」


「知ってるよ。さ、どうぞ」


 彼女が家の玄関の鍵を開け、ドアを開ける。二週間ぶりの彼女の家にお邪魔する。


「お母様は?」


「今日は友達と出かけてる。夕方まで帰らないよ。…なぁに?エッチなこと期待してる?」


「してないわよ。というか…今日は…駄目な日…だから…」


「…あぁ。そっか。はい。分かった」


 露骨に残念そうな顔をする彼女。


「…期待してたのはそっちじゃない。…すけべ」


「そりゃするよ。…私はいつだって君に触れたいと思ってるよ」


 そう言って彼女は私の腕をぐいっと引いて抱き寄せる。


「…ナナ、好きだよ」


「…またナナって言ってる。私は百合香よ」


「う…ごめん…百合香…」


「私は鈴木海菜16歳…」と私の肩でぶつぶつと呟き始める彼女。こんな彼女は初めて見た。ちょっと心配だ。


「…部屋行きましょう」


 彼女を連れて部屋に入り、彼女をベッドに転がして上に乗る。


「…えっと…百合香さん?」


「…触れてもいい?」


「…結局エッチなことしたいんじゃん…」


「…不安なの。…あなたがあなたでなくなってしまいそうで。だから少しだけ、触れさせて」


 彼女はふっと、いつものように笑い「大丈夫だよ」と私を抱きしめた。


「…大丈夫。私は鈴木海菜だよ。君…小桜百合香の恋人だよ」


「…そうよ。あなたは海菜よ。そして私は百合香。ナナじゃないわ」


「…うん。大丈夫。…今回演じる役はね、私に似てるんだ。重なる部分が多いから演じやすいんだけど…同時に、入り込みすぎてしまう。…でも大丈夫だよ。彼女とは舞台が終わるまでの付き合いだから。それが終わったらちゃんとお別れするから。…怖がらせちゃってごめんね」


 頭を撫でる優しい手付きも、声も、心臓の音も、雰囲気も、紛れもなく彼女だ。私をナナと呼ぶ声も、雰囲気も、ほとんど普段と変わらなかった。だけどその時彼女の瞳には、私ではない誰かが映っていた。ナナという架空の人が。


「…もうナナって呼ばないでね」


「ごめんって。…百合香。君は百合香だ」


「…うん」


「…ナナもちょっと、君に似ているんだ。真っ直ぐに私…私が演じるユウキを愛してくれるところが」


「…どういうお話なの?」


「記憶を失ったナナの元に、恋人を名乗る二人の人間が現れるんだ。私が演じるのはそのナナの本物の恋人のユウキ」


「もう一人の恋人は?」


「ナナの元恋人のカナタっていう男性。ナナが自分と別れて女性であるユウキと付き合っていることが気に入らなくて、ナナを殺そうとして階段から突き落としたんだ。その結果、彼女は一命は取り留めたけど記憶を失ってしまう。彼はそれを利用して、彼女をユウキから取り返そうとしたってわけ」


「…あなたは同性愛者の役なの?」


「同性愛者かどうかは作中では明言されていないけど、同性と付き合っている役。部長が書いた脚本で、ユウキは私に当て書きれたキャラなんだ」


 彼女の返事でハッとする。私は今、同性と付き合っていると聞いて、当たり前のように同性愛者だと判断してしまっていた。私も同性と付き合っているが同性愛者ではないというのに。

 彼女は当たり前のように『作中で明言されていないから同性愛者かどうかはわからない』と答えた。そうサラッと言える人は、世の中にどのくらいいるのだろうか。私も自然にそう言えるように見習わなければ。


「ごめんなさい、私、同性と付き合ってるって聞いて同性愛者だと…」


「ん?…あぁ、なるほど。そうやってすぐに気づけるところ凄いね。私今、君の質問になんの違和感も持たずに答えてたよ」


偉いねと私を褒める海菜。なんだか恥ずかしくなる。


「え、えっと…つまり、あなたが演じること前提で生まれたキャラってわけね?」


「そう。…カナタから罵声を浴びせられるシーンがあるんだけど、演技と分かっていてもつらくてさ…でも…私はあの脚本で全国行きたい。私の…ユウキの…苦しみを全国にぶち撒けたいんだ。だから…応援してほしいな」


「もちろん応援するわ。でも、無理しないでね」


「…うん。大丈夫だよ。ありがとね。ナ—百合香」


「…次ナナって言ったらお仕置きね」


「ごめん、ナナ…あー…」


 わざとらしい。


「…今のはわざとでしょ」


「わざとじゃないよ。、お仕置きって何してくれるの?」


「…あなたねぇ…」


 期待するような顔をして私を見つめる彼女。軽く頬をつねってから目を閉じさせ、唇を重ねる。離れると「もっと」と甘えるように両手を広げた。


「…駄目よ。あなたの要望に応えたらお仕置きにならないわ」


「あはは。じゃあ、キスしないで。百合香」


「…もー…」


 もう一度だけ唇を重ね、彼女の上から降りて横に並んで抱き寄せる。彼女は私に甘えるように背中に腕を回して、ふふふと嬉しそうに笑った。


「…頑張ってね」


「ん。頑張る。…終わったらご褒美くれる?」


「…全国行けたらね」


「えぇ!?」


「何よ。行くんでしょう?」


「…分かったよ。頑張る」


「ん。頑張って。…応援してる」


「うん。…ありがとう」


 そのまましばらくすると、彼女は私の腕の中で寝息を立て始めてしまった。ベッドを抜け出して、彼女が起きるまで漫画を読み漁ろうと思ったが離してもらえなかった。

 …まぁ、漫画はまた今度でもいいか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る