第50話:長い長い夏休み

 7月24日土曜日。夏休みに入って4日。もうすぐ7月が終わるが、彼女はバイトと部活で忙しく、誕生日を最後に会っていない。しばらくは会えなくなると言っていた。次に会えるのは8月14日。花火大会の日。

 休みに入る前は、少なくとも平日は必ず会えていた。それが急に1ヶ月近く会えなくなるとなると寂しくてしかたない。

 演劇部は8月22日に大会があるらしく、その練習で忙しいようだ。来週には合宿があると言っていた。

 対して、裁縫部の夏休みの活動は何もない。


「おのれ演劇部め……私の望くんを……」


「……菊ちゃん、部活頑張ってる彼が好きなんじゃなかったのかよ」


「それはそうだけど! ……そうだけどさぁ……」


 そんなわけで今日は、暇な裁縫部三人——はるちゃん、私、森くんでぶらぶらとショッピングモールを歩き回っていた。夏美ちゃんも今日は部活。


「森くんは夏美ちゃんに会えなくて寂しくない?」


「別に。てか、昨日会った」


「はぁぁぁー……いいなぁ……私なんてもう終業式の日を最後に会ってないのに……夏休みですよ!? 休みですよ!? 長期休暇ですよ!? なんで忙しいんだよ!!」


「まぁまぁ、飴ちゃんでも食って落ち着けよ」


「うぅ……イチゴ味ある……?」


「あるよ。ほれ」


 イチゴ味の飴を鞄から取り出しながら「4日ぐらいで大袈裟だな」と苦笑いする森くん。


「4日ぐらいじゃないよ! 4日もだよ! てか、次に会えるのは三週間後なんだよ! 花火大会まで会えないんだよ!」


「そんな忙しいのか……」


 花火大会は8月14日土曜日。今日は7月24日土曜日。まだ三週間も先だ。

 その日は海菜も空けられると言っていたが、大会が終わるまでは、会えるのはそこくらいしかないとも言っていた。寂しいが、毎日決まった時間に電話をくれる。優しい声を聴くだけで十分寂しさが和らぐ。


「望くんも毎日電話くれるけど……それでもやっぱり寂しいよ」


「二人とも愛されてんなぁ」


「森くんは毎日電話しないの?」


「流石に毎日はしないな。大体向こうからかけてくる」


「森くんからかけることはないの?」


「無いというか……大体、俺からかけようと思ったタイミングでくるんだよなぁ……」


「よっぽど気が合うのね」


「そうらしいな」


 くすくす笑う森くん。こうやって見るとやっぱり美少女だ。男の子だが。


「俺ちょっとトイレ行ってくる」


「あ、じゃあ私も」


「私はその辺に座って待ってるわね」


「はーい」


 近くにあった椅子に座る。スマホをいじって待っていると「百合香ちゃん、お待たせ」と声が聞こえた。顔を上げると「やあ」と一人の男性が微笑む。海菜の兄の湊さんだ。彼と待ち合わせした覚えはないが…。


「えっと……湊さん……?」


 しーと唇の前に人差し指を立て、私の隣に詰めて座るとちらっとどこかを見る。視線の先には数人の男性が居た。


『なんだ……やっぱ彼氏いるんじゃん』


『そりゃ居るでしょあんな可愛い子』


 残念そうに去っていく男性達。それを見届けると湊さんは「海菜に怒られちゃうね」と苦笑いしながら少し横にずれて私と距離を開けた。


「一人?」


「友達と一緒です」


「そっか。僕も友達と一緒なんだけど……あ、来た」


「ちょっとみーくん、私というものがありながら誰よその女!」


 ビシッと、やって来た女性が私を指差す。湊さんはこの間会った時は恋人は居ないと言っていたが。とりあえず、誤解をされているなら解かなければ。


「あの、私と彼は今さっきたまたま会っただけで…」


「百合香ちゃん、気にしなくていいよ。揶揄われてるだから。……鈴歌さん」


 湊さんがため息を吐きながら呆れたような顔で女性を見ると、女性はごめんごめんと笑った。


「みーくんが私達以外の女の子と一緒にいるの珍しいからつい。うみちゃん繋がり?」


「そう。海菜の同級生の小桜百合香ちゃん」


「百合香……って……もしかして例の? うみちゃんの恋人?」


「なんだ。知ってるんだ」


「この間聞いた。に似てるって聞いてたからもっと男前なイメージだったわ。でも香水のイメージはぴったりだな」


 私を品定めするように爪先から頭の先まで観察する女性。香水というと、海菜に誕生日プレゼントで貰ったあれだろうか。というのは誰だろう。名前からして女性っぽいが……。海菜の初恋の人? いや、違う。それは空美さんだと言っていた。……もしや、例の……。


「……あの……その……ミオさん……というのは…」


「ん。ああ、漫画のキャラクターだよ。『王子様の王子様』っていう漫画のヒロインの榊原美桜さかきばらみおのこと」


 そういえば、海菜の部屋にそんなようなタイトルの漫画があったな。タイトルからしてBLだと思っていたが、ヒロインが登場するということは違うのだろうか。


「ちなみにそんなタイトルだけどジャンルはGLで、もう一人のヒロインの結城水蓮ゆうきすいれんはうみちゃんをモデルにしてるんだ」


「海菜を…モデルに…?…作者の方が海菜の知り合いなのですか?」


「私だよ」


「…はい?」


「作者は私」と女性は自分を指差した。突然のことに頭が追いつかずにいると、カバンから財布のような二つ折りの黒い入れ物を取り出し、そこから一枚の紙を取り出して私に渡した。その手のひらサイズの小さな紙には、職業、ペンネーム、本名、SNSのID、そして、なんとなく女性に似たミニキャラのイラストが印刷されていた。ペンネームは鈴音すずね。本名は加藤鈴歌かとうりんかというらしい。職業の欄にははっきりとと書いてある。裏には代表作。その中に確かに『王子様の王子様』というタイトルも含まれていた。流石に、嘘をつくのにここまで凝ったことはしないだろう。

 それにしても、海菜がモデルの女の子がヒロインのガールズラブ漫画と聞くと一気に気になってきた。今度海菜の家に行ったら借りるとしよう。


「ゆりちゃんお待たせー。って、あれ、海菜ちゃんのお兄さんだ」


「こんにちは菊池さん。そっちの"お嬢さん"は初めましてだね。鈴木湊です。こっちは僕の幼馴染の加藤鈴歌さん」


「森雨音です」


 森くんの声を聞いてきょとんとしてしまう湊さんと加藤さん。


「森くんは男の子です。可愛いですよね。リアル男のなんですよ」


「なるほど……ちょっとびっくりした……なんか……声とのギャップが凄いな……」


「よく言われます。けど、このギャップが俺のチャームポイントなんで」


「「うわっ。その台詞、凄いデジャブ」」


 湊さんと加藤さんの声が重なる。二人が思い浮かべた人物は恐らく私の想像と同じ人だろう。


「ちなみに勘違いされがちなんで先に言っておきますけど、性自認は男で、異性愛者です」


「あぁ、その辺は心得てるよ。私はセクシャルマイノリティを扱った作品を何作も描いてきてるからね」


「描く……作家さんっすか?」


「漫画家でーす」


 そう答えると加藤さんは私に渡した名刺と同じ物を森くんとはるちゃんにも渡した。


「ペンネーム鈴音——鈴音……?鈴音って……えっ、待って、この絵……鈴音先生? あの? 鈴音先生? は? え?」


 マジで? と名刺と加藤さんを交互に見るはるちゃん。


「……代表作……『初恋は実らない』『僕をクズだと罵ってくれ』……なんか聞いたことあるな……」


「両方とも実写化されてる有名な作品だよ! はちょっと昔の作品だけど。月曜九時にやってた恋愛ドラマ! ほら、"広瀬ひろせりん"ちゃん主演の!」


「……あー……父親の幼馴染に恋をする女子高生の……」


「そう! それ! 私あのドラマがきっかけで鈴音先生のファンになったんです!」


「ありがとー」


「鈴木のお兄さんの幼馴染ってことは、妹の方とも知り合いっすか?」


「うん。うみちゃんのことも生まれた時から知ってるよ」


「……生まれた時から」


 改めて、私は高校生の彼女しか知らないということを突き付けられる。それは羨んでも仕方ないことなのだが、やはり羨ましくてしかたない。写真では見たことあるが。


「いやぁ……やんちゃで大変だったよ。鬼ごっこすると木の上まで登って逃げやがるし」


「猿かよ」


 そういえばよく木登りしていたと言っていたな。


「……望くんのことも小さい頃から知ってます?」


「あぁ、うん。知ってるよ」


「いいなぁ」とはるちゃんが羨ましそうに呟く。その気持ちはよくわかる。痛いほどわかる。


「ははは。恋する乙女は可愛いのう。……はー……学生に戻りたいね、みーくん」


「そうだねぇ……」


「社会人に夏休みなんてないもんね」と呟いた湊さんの顔は死んでいた。


「みんなは就職するの? 進学するの? つっても一年生だったらまだそこまで考えてないか」


「あ、私は専門校通おうと思ってます。ウェディングプランナーになりたくて」


「へぇ。初めて聞いた」


「初めて話したからね。なっちゃんには昔から話してるけど。森くんは?」


「んー……美容関係の仕事したいなぁってことくらいしか決まってないわ。小桜さんは?」


「私は……まだ何も」


 高校生になって3ヶ月。進路なんてまだ先の話だと思っていた。そもそも私は何か目的があってあの学校を選んだわけではない。ただ、母に言われるがままに進んできた。あの学校を選んだのは私の意思ではなかった。

 私はこの先どうしたいのか改めて考えてみると、何も思いつかない。思考を放棄して敷かれたレールの上を歩くことがいかに楽なことだったか改めて思い知る。だけど、思考を放棄していたあの頃に戻りたいとは思わない。私は人間として生きたい。最後まで。


「ウェディングプランナーは昔から憧れてたの?」


「うん。親戚がウェディングプランナーでね。話を聞いているうちにいいなぁって」


「……そう」


 海菜はバーテンダー、星野くんは役者、はるちゃんはウェディングプランナー。森くんも具体的な職業は決まっていないものの、なんとなく未来を見据えている。

 私は——母の人形ではなくなった私は一体、何になりたいのだろう。


「鈴木のお兄さんは、高卒で社会人になったんですよね?」


「うん」


「どうして大学に行かなかったんですか?」


「勉強嫌いだから」


「……それだけ?」


「うん。それだけで僕は就職を決めた。企業の決め方も適当だったよ。休みが多いところならどこでもいいやって感じで。まぁ、就職したら一生そこで働かなきゃいけないわけじゃないしさ。やりたいこと見つかったら辞めればいいかなって思って」


 湊さんはそう言ってから「だから君も焦らなくていいんじゃない?」と私の方を見て続けた。


「……そうですね」


 私はまだ高校一年生。進路を考えるのはまだ先で良い。先で。……いいのだろうか。





 その日の夜。いつも通り八時過ぎに海菜から電話がかかってきた。


「百合香。今日は何してた?」


「……はるちゃんと森くんとショッピングモールをうろついてた」


「そうなんだ。……元気無いね。どうした?」


「……将来の話をしたの。……はるちゃんも森くんも未来を見据えてる。それを改めて知って……ちょっと、焦ってしまって」


「……そっか。……なるほど……将来か……」


「私はずっと、自分で考えることを放棄していたから……それがいかに楽だったか、改めて思い知ったの」


「そっかぁ……焦らなくていいんじゃないかな。……なんて、ありきたりなことしか言えなくてごめんね」


「……ううん。……ありがとう」


 焦らずに、ゆっくり考えるしか無いのだろうか。


「私も一緒に考えるからね」


「うん。ありがとう」


「うん。……ところで、寂しくない?また私の声録音して送ってあげようか?」


「要らない」


「えー。私はほしい」


「送りません」


「ふふ。ごめんごめん」


「冗談だよ」といつものように私を揶揄ってくすくすと笑うが、なんだかいつもより元気がない。


「……部活で何かあった?」


「ん? ううん。大丈夫だよ。部活では何もないよ。ただ、君に会えないのが寂しくて。最後に会ってまだ一週間も経ってないのにね」


「……寂しいのは私も同じよ」


 せっかくの長期休みなのに、彼女に会えないだけで、早く終わればいいのにと思ってしまうほどに。それほどに彼女が恋しくて仕方ない。


「ふふ。そっか。……次会ったら抱くからね」


「だ……! もう! そういうのやめて!」


「あはは。ごめんごめん。会えるまであと三週間だね」


「意識しちゃうからやめて……」


「ふふ。意識してほしいから言ってるんだよ。366日、24時間、毎分毎秒私のこと考えていてほしい。私で、頭一杯にしてほしい」


 真面目な声で囁かれる。言われなくても、もうなっている。もう十分、彼女で頭一杯になっている。


「もうなってるわよ……」


「ふふ。そう?」


「囁くのやめてってば……」


「エッチな気分になってきた?」


「……切るわね」


「あー! 待って待って、まだ切らないで。もう寝るから。私が寝落ちするまで付き合ってよ」


 時間を確認する。もうそろそろ十時を回る。まだ寝るには少し早いが、私はともかく、海菜は明日も早いだろう。

 そこから彼女に付き合って電話を繋げていたが、意外にも早く、十時を過ぎたあたりで会話が途切れてしまった。寝落ちたようだ。いつもは十一時過ぎくらいまでは起きているのに。疲れているのだろうか。


「……おやすみなさい。明日もがんばってね。……大好きよ」


 スマホに囁きかけ、通話を終了する。

 彼女に会えるまであと三週間。先はまだまだ長い。

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