第42話:私の愛おしい女神
今日は6月19日土曜日。
彼女の誕生日まであと約一週間。いい加減、プレゼントを考えなければいけないのだが、まだ何も決まっていない。アクセサリー、香水、服、コスメ…色々考えてはみたが、一つに絞れない。全部あげてしまいたい。しかし流石にそんなに色々あげても少々重いだろう。物理的にも、精神的にも。
私の誕生日が約一ヵ月にくるのだから、あまり高価な物をあげてしまうとプレッシャーを与えてしまうかもしれない。かといって、文房具とか日用品とか…友人にあげるようなものは避けたい。
やはり、アクセサリーだろうか。
と、ショッピングモールをふらふらと歩きながら考えていると、ふとアクセサリーケースに入った指輪が目に止まる。
ペアリングを渡すならクリスマスがいいなぁ……などと考えながらボーっと指輪を見つめていると
「よろしければケースから出してご覧になりますか?」
と、店員に話しかけられてしまった。
「いえ。…指輪は…クリスマスまでとっておきたいので」
「もしかして、彼女さんへのプレゼントですか?」
女性店員の目が輝く。
「まぁ、はい。もうすぐ誕生日なんです」
「そうなんですね。付き合ってどれくらいなんですか?」
「一ヵ月半です。……色々と考えてみてはいるんですけど……あれもこれも全部あげてしまいたいななんて思ってしまって。……やっぱり、一つに絞った方が良いですよね?」
「そうですね。色々なものをたくさん貰っても彼女さん困っちゃいますからね」
くすくすと女性店員に微笑ましそうに笑われてしまい、少し気恥ずかしい。
「ネックレスとかいかがですか?」
「ネックレスか……」
店員にネックレスのコーナーに連れて行かれる。そこでふと目に止まったのは、百合を象ったガラス細工の飾りがついたネックレス。六千円。予算は一万円に設定している。
「……これ、百合ですか?」
「そうですね。百合の花ですね。……彼女さん、百合がお好きなのですか?」
「いえ。百合が好きなのは私の方です。百合を見ると彼女が思い浮かぶんですよ」
名前にも百合が入っていて、誕生花が百合というのもあるが、そもそも彼女自身が百合のような人だと思う。名は体を表すとはよくいったものだ。
「彼女は百合みたいに上品で美しい人なんです。まさに、"立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花"という感じの人で……っと、すみません。惚気てしまって」
「い、いえ……」
店員の顔はほんのりと赤くなっていた。他人が聞いても恥ずかしいほど惚気てしまったようだ。
「ふふ。すみません。このネックレス、買います」
「あ、ありがとうございます。ではこちらでお会計させていただきますね」
「はい」
税込六千円のネックレスを購入して、予算の残高は残り四千円。せっかくだから予算ギリギリまで何か買いたい。さっきの店でついでにイヤリングでも一緒に買えば良かったかもしれない。
「あれ?うみちゃんだ。おーい」
「ん……」
聞き馴染みのある声に振り返ると、鈴歌さんがいた。伯父の幼馴染の娘という、親戚ではないが親戚のような私より10歳年上の女性で、野外学習の時に加瀬くんが話していた<僕をクズだと罵ってくれ>の原作者でもある。
「珍しいね。一人って」
「先生こそ。こんなところに居て良いの?原稿大丈夫?」
「気分転換だよ。土日祝日とか、平日の午後は人間観察が捗るからね。うみちゃん今暇? 暇だよね?」
「……いや、忙しい」
「えー!? 暇そうじゃん! ちょっと買い物付き合ってよ。
「……しょうがないなぁ……」
水蓮というのは鈴歌さんが現在連載している<王子様の王子様>という作品の主人公で、私がモデルになっているキャラクターだ。
「ついでにうみちゃん、今日一日水蓮になりきってくれ」
「……はいはい」
私は
周りからは王子様と呼ばれちやほやされているが、周りからの期待に応えるために王子様を演じているだけで、本当は気弱な性格。
一人称は私。可愛いものが好き。あと、本当は女の子扱いされたい願望がある。王子様ではなく、お姫様と呼ばれるような人になりたい。
「……はぁ……なんで私、こんなに背が高いんだろう。せめて百合香くらいの身長だったらなぁ」
「……ユリカ?」
「私——海菜の彼女。ちょっと
美桜ちゃんというのは私——結城水蓮の後輩の女の子。凛としていてカッコいい女の子だ。私を普通の女の子扱いしてくれる唯一の人。だからなのか、私は彼女のことが少し気になっている。彼女の前では王子様を演じなくてもよくて、ありのままの私でいられる。凄く居心地が良い。
「……美桜ちゃん、今何してるかな」
最近の私は、気付けば彼女のことばかり考えている。これは恋によく似ているが憧れか恋か、判断はまだつかない。
「……実写化する時はうみちゃんに演じてほしいな」
「あははー。ごめんね。役者になる気はないんだ」
「だよなぁ。ごめん、素に戻しちゃって。水蓮に戻って」
「はいはい」
と、そんな感じで水蓮になりきって鈴歌さんの買い物に付き合っていると、ふとどこからか視線を感じた。視線を感じる方に目を向けると、一人の少年と目が合う。彼は確か……あぁ、そうだ。百合香の元カレだ。彼はどこかいらついた様子で私に近づいてきた。
「お前……百合香はどうしたんだよ」
質問の意味が分からずに首を傾げてしまうと、彼は鈴歌さんをチラッと見た。なるほど、おそらく私——鈴木海菜は今、浮気を疑われているのだろう。心外だ。
水蓮に身体を返してもらい、彼の対応をする。
「あのお姉さんは私の友達。10歳年上の幼馴染。彼女の誕生日プレゼントを買いに来たらたまたま会ったんだ。君とっては残念かもしれないけど、浮気相手じゃないよ」
「……そうかよ」
「なになに? 修羅場?」
鈴歌さんはどこか楽しそうにそう言う。話題の当事者だというのに他人事だ。
彼は不機嫌そうに私を睨んだまま固まっている。まだ何か言いたいことがあるのだろうか。
「……百合香は……なんであんたを……なんで……俺が駄目であんたが……」
俯き、泣きそうな声でぽつりと呟く彼。別れた理由は聞いている。母親から反対されたからだと。そんな理由で自分を捨てたのに、次は同性と付き合っている。簡単に納得は出来ないだろう。
私が彼の立場だったらと考えると、狂ってしまいそうになる。
「……百合香のこと、まだ好きなんだね」
「未練がましいとか思ってんだろ」
「うん」
「どうせお前も近いうちにフラれる。百合香はお母さんに逆らえないから」
「……あー……その件に関しては残念というか、良かったというか……実は私はね、彼女のお母さん公認の元で付き合ってるんだよ」
「は……?」
あげられた彼の顔は引き攣っていた。
「んだよそれ……あれだけお母さんが怖いとか言っておきながら……なんなんだよ……なんで……そこまで出来てしまうほどあんたのことが好きだとでも言うのかよ……」
「元々、向き合わなきゃいけないって思ってたみたいだよ。このままだとまた愛した人を傷つけてしまうから。……君にとっては皮肉かもしれないけど、君との件も母親と向き合うきっかけの一つになったんだ」
「っ……俺は彼女の人生の踏み台だったって言いたいのかよ!」
彼が私の胸ぐらを掴む。鈴歌さんは止めようとしてくれず、何やら必死にメモを取っていた。苦笑してしまうが、彼女はこういう人だし、私は別に心配してもらわなくても大丈夫だ。
「女の子の胸ぐらを掴むのはどうかと思うなぁ」
「……女ってのは嘘だろ」
「本当。百合香はそのことを知ってるよ。私が女だって理解した上で付き合ってくれている」
「……百合香に何をした」
「何って何さ」
「お前が彼女を洗脳したんだろ」
なるほど。そうくるか。
「好きって先に言ったのは彼女だよ」
「お前が言わせたんだろ。彼女の弱った心につけ込んで」
「……はぁ……。……鈴歌さんごめんね。修羅場に巻き込んで」
と、鈴歌さんの方を見るが、彼女は必死にメモを取っていて私の話なんてきいていない。私の視線に気付くと、続けてと手で促した。分かってはいたが呆れてしまう。
「……で? 君はどうしたいの? 私を悪者にして、百合香と別れさせたい?」
彼に視線を戻して問いかける。彼は答えず手を離した。そして再び俯いてしまう。
「……俺は百合香が好きだ。今でも」
「うん。それは分かるよ。だから私が気に入らないんでしょ。現恋人で、同性だから。異性の自分が親の反対を理由にフラれたのに同性のお前がなんでって、納得いかないんでしょ」
「っ……お前に何がわ「わかるよ」」
恋というのはわがままだ。個人差はあるが、例え自分以外の人を選んでもそれで相手が幸せになってくれるなら身を引けるなんて、そんな綺麗事を言えなくなるくらい、強い独占欲が混じった、決して綺麗とは言えない感情だと思う。
それが冷めるには時間がかかる。どれほどの時間が必要かは個人差がある。けれど、彼の恋心はきっと時間だけでは収まらないだろう。このままではいずれ私か百合香—あるいは私達二人に対する憎しみに変わる気がしてならない。
これ以上彼には百合香を傷つけてほしくない。そのためには、彼を閉じ込めている恋という名の檻を壊さなければ。百合香に対する執着心を断ち切らなければ。
「私だって百合香が好きだから。立場が逆なら君が死ぬほど憎いし、百合香のことも恨んでる。お母さんに反対されたからって理由で別れたのに、またお母さんに反対されるような人と付き合ってるんだもん。納得いかないの分かるよ」
「……」
「……私、君を見てるとイライラするんだ。君が嫌い。百合香と付き合っていた君が嫌い。君が私を嫌いなのと同じようにね。……分かるだろ。それくらい私は彼女が好きなんだよ。変えられない過去に嫉妬してしまうほどに」
「……百合香は……なんでお前を……」
「それは本人に聞きな。まぁ、彼女に会うなら私も同席するけど。電話なら良いけど、直接会うなら私も同席する。君には、嫌がってる彼女を無理矢理抱きしめたっていう前科があるから」
「……あれは……反省してる」
「そう」
「……どうやって親から認めてもらったんだよ。女だろ……お前は……」
「私は何もしてないよ。強いて言うなら、お母さんとちゃんと向き合いたいっていう彼女のサポートをしてあげただけ」
彼女の父親と知り合ったのは偶然だ。利用出来ると思って近づいたのは事実だが。
「俺の時は彼女はそこまでしてくれなかったのに……なんで」
それほどまでに好きだというのなら、なぜ大人しく別れたのか。なぜ彼女のことを信じてやらなかったのか。なぜ、一緒に戦うと言ってやらなかったのか。
一方的に被害者面をする彼に苛立ってしまう。しかし、皮肉にも彼が彼女を信じなかったおかげで今私は彼女の恋人で居られる。その皮肉な事実さえも腹立たしい。
苛立ちを抑えて彼に問う。「逆に君は彼女に何をしてあげたの?」と。見返りを求めるならそれ相応のものを与えるべきだろう。
「……俺は……」
彼はまた俯いてしまった。ため息が漏れてしまう。
「同情はする。けど、彼女を君に渡す気はない。私から奪い返したいなら、私以上に彼女から求められる人になりなよ。私と居るより君と居た方が幸せだって思われる人になりなよ」
「……」
「やってやるよと即答出来るほど自信も覚悟も無いなら、二度と彼女に愛されたいなんて望むんじゃねぇよ。どれだけ君が私のことを彼女に相応しくないと否定しようとも、私は彼女の手を離したりしない。ましてや、君なんかに渡したりはしない」
「っ……」
俯いたまま、彼は悔しそうに拳を握りしめた。そして私に背を向けると「彼女を不幸にしたらお前を殺す」と捨て台詞を吐いて逃げて行った。
「いやぁー……カッコ良かったなぁ……」
メモをとりながら一部始終を見ていた鈴歌さんは拍手をしながら、スマホ軽く弄る。すると
『同情はする。けど、彼女を君に渡す気はないよ。私から奪い返したいなら、私以上に彼女から求められる人になりなよ。私と居るより君と居た方が幸せだって思われる人になりなよ』
と、私の声がスマホから流れた。
「それ、メモ取り終わったらちゃんと消してね?」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと消すって。貴重な資料、ありがとね」
「私はちょっと……というかかなり疲れたけどね。はぁ…」
「愛しの彼女とは今日は会わないの?」
「今日は夕方までバイト。その後うちに来てくれることになってる」
「お『誕生日プレゼントはわ・た・し♡』ってやるの?」
「いや、誕生日今日じゃないよ。来週。あと、プレゼントはもう買った。もう一つ何かつけようかなって思ってたけど……今日は疲れたから帰ろうかな……」
「予算は残りいくら?」
「四千円」
「ふむ……香水とかどう?」
「香水か……」
「私、丁度香水見にいこうと思ってたから一緒に行こう」
と、鈴歌さんに無理矢理手を引かれて香水の専門店に連れて行かれる。ただ単に彼女が行きたかっただけだと思うが、ついでなので見ることにした。
「……あー……これ、百合香っぽい」
「どれ? これ?……あぁ、なるほど。うみちゃん好きそう」
試しに色々と嗅いで選んだのは、甘くて上品でフローラルな花の香りの香水。結局、百合香はそんな上品な女性のイメージだ。
「私はどういう香りのイメージ?」
「うーん……やっぱ男性向けの香水かなぁ……」
「あー、やっぱそうなるんだ」
「爽やかだけどちょっと甘めで……官能的な感じ。エッチなお姉さん(♂)みたいな」
「……分かるような分からないような」
「ちなみに海さんは落としたい女の子に合わせて香りを使い分けてたらしいよ」
「母親のそういう話聞きたくないなぁ……」
「ははっ。すまん。というわけで君にはこの香水をプレゼントしよう」
そう言って鈴歌さんが選んだのはシトラス系の爽やかさがあるが、どこか甘くて官能的な香り。私が彼女のために選んだ香水より数千円高い。
「今日のお礼。付き合ってくれてありがとね」
「こちらこそ。こんな高価なものをありがとう」
「彼女さんと仲良くね。私は君の味方だよ」
「……うん。大丈夫。私の周りは味方が多いから。敵はほとんど、私達の外にしかいない」
私達の最大の敵はこの国——いや、この世界だ。敵は巨大すぎて私一人では立ち向かえない。
だから私は身近にいる小さな敵から潰して、味方に引き入れている。殺意に似た強い憎しみや苛立ちを必死に抑えながら。この真っ黒な感情を抑えられているのは、両親、望や満ちゃん…私を同じ人間だと認めてくれる味方がいるからだ。孤独だったら私は、この世界を呪いながら死んで、呪いを振り撒く悪霊としてこの世を彷徨っていただろう。
「ただいま」
家に帰ると、玄関に百合香の靴があった。今日来るとは聞いているが、思ったより早い。しかし、私のただいまという声に応えてくれたのは両親だけだった。
「百合香は?」
「お前の部屋に居るよ」
「そっか」
階段を上がって部屋に入る。彼女の姿は無く、ベッドがこんもりと膨らんでいた。めくると、私の抱き枕を抱きしめて眠る女神がいた。その安らかな寝顔を見た瞬間、苛立ちが一瞬で吹き飛んだ。
「……海菜……」
愛おしい女神は目を閉じたまま、私の名前を呼ぶ。荷物を部屋の隅に置いて、抱き枕を退かそうとすると「嫌。行かないで……」と抱き枕に縋り付く。少々強引に奪いとって退かし、ベッドに入って彼女を抱きしめる。
目を閉じると、彼女の温もりで冷えた心が温まり、心の疲れがやわらいでいく。
誰かから否定されたくらいでこの幸せを手放すなんて、私にはもう出来ない。
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