第30話:二泊三日の野外学習へ

「じゃあお母さん、行ってきます」


「忘れ物はない?大丈夫?」


「大丈夫よ。昨日確認したでしょう」


 母の過保護は前よりは酷くはないものの、相変わらずだ。旅行前は特に。全く。荷物確認は昨日の夜散々したというのに。


「もういい?お母さん」


「……気をつけてね」


「はい。行ってきます」


 リュックを背負い、旅行用の大きなバックを持って家を出る。二泊三日分の衣類や諸々が入っているため、重くて仕方ない。


「ユリエルおはようー」


「おはよう」


「おはよう、二人とも」


 地下鉄の階段を降りるのも一苦労だ。


「ユリエル、大丈夫?持とうか?」


「だ、大丈夫よ」


「遠慮すんなよ。あたし意外と力あるからさ。よっ」


 私の荷物をひょいっと奪うとそのまますたすたと階段を降りていく。片手に自分の荷物を持っているというのに。頼もしい。


「ごめんなさい。ありがとう」


「ん。駅のホームまで持っていってやるよ」


 本当にホームまで持っていってくれた。床に置いたまま電車を待つ。乗車の際も夏美ちゃんが荷物を持ってくれた。


「ありがとう。……降りる時は自分で持つわ」


「王子が持ってくれるんじゃね?」


「そう……かもしれないわね……」


 何も言わずにすっと自然に持っていきそうだ。想像がつく。前に、私は彼女に軽々と持ち上げられたことがある。「80キロくらいまでなら余裕でお姫様抱っこできるよ」と言っていた。私の荷物なんて余裕で持ってくれるだろう。


「ところでさぁ、王子ってどこで寝泊まりするん?」


「普通に班の女子と同じテントでしょ」


「そっか。そうだよな……」


 二人の会話を聞いて、そういえば今日明日とあの子の隣で寝なきゃいけないんだったということを意識してしまう。


「あれー?もしかしてユリエル、班同じ?」


「……えぇ」


「こういう時同性同士だとちょっとドキドキしちゃうね」


「てか、そしたらお風呂も一緒なんじゃね?」


「お風呂は別だって言ってたわ」


 そういえば、女子は風呂は別で入る理由を簡単に作れるが、男子はどうなのだろう。事前指導で男子でも風呂をみんなと別にしたい生徒は申し出ろと言っていたが、そんなの実質カミングアウトするようなものではないだろうか。

 加瀬くんはこの間のLGBT講習で「LGBTの人」と聞かれて小さく手を挙げていたものの、カミングアウトはしていない。

 加瀬くんは以前『レズは良いけどホモはちょっと……』なんて声を聞いてしまったらしく、まだ公言することが怖いのだという。 元々ホモというの同性愛者を意味するホモセクシャルが語源なのだから、本来は男性の同性愛を表す言葉ではないのだが、そんなことも知らない人はまだまだ多い。

 海菜や私が堂々としていたって、私達は世間からみたら女性の同性愛者だ。

 私は全性愛者だが、同性と付き合っているから同性愛者だと結びつける人がほとんどだ。それに関して別に不快に思ったことはない。

 男性の同性愛者やトランスジェンダーの例は居ないとみんな思いがちだが、居ないのではない。見えないだけ。

 しかし、だからと言ってゲイである加瀬くんにオープンにするべきだと強制はしない。本来、セクシャリティなんてオープンにする必要ないのだ。異性愛者だって『私は異性愛者です』とわざわざ公言したりしないだろう。それなのに私達にだけ自分のセクシャリティを公言しろなんて、おかしな話だ。

 それでも海菜や私がオープンにしているのは『私達はここに居るんだ、居ないことにするな』と主張するためだ。最近は満ちゃんも恋愛感情が分からないことをオープンにしている。

『鈴木達が公言しているんだから、ほかのマイノリティの人達も公言すべきだ!』と主張する人もいるが、それについては私達は『隠すことを悪にしてはいけない』と強く反対している。海菜は彼らの居場所になるために公言しているのであって、決して『お前達も自分のセクシャリティを公言しろ』とプレッシャーをかけるために公言しているわけではないのだから。


「おはよう、百合香」


「おはよう」


 海菜は差別を無くすために、私達も同じただの人間だと主張するために自ら矢面に立っている。時には心無いことも言われる。『心が男なんでしょ』と決めつけられることも。それに対して彼女は『私の性自認はだよ』と返答している。彼女は性自認が曖昧らしく、自分でもよく分かっていないそうだ。女性扱いされるよりは男性扱いされた方がマシらしい。マシなだけであり、嬉しいわけではない。だけど、私には女性扱いされることが嬉しいらしい。

『みんなの前では王子様でいたいけど、君の前ではお姫様でもありたいし王子様でもありたいんだ』と言っていた。わかるようなわからないような感じだが、彼女の女の子らしい一面がどうしようもなく愛おしい。周りは彼女を"カッコいい"とか、"イケメン"とか、"王子"とか言うが、本当の彼女は"可愛い"のだ。みんなにはそんな可愛い彼女には気付いてほしくないのだが、最近はちょっと気付かれ始めてしまっている。


「ふふ」


 きっと、私の手を握ってふりふりと前後に振りながら幸せそうに浮かべられるこの笑顔のせいだ。


「えっ、なんでムッとしてんの?」


「……知らない」


「えぇ……?……あっ、もしかして……緊張してる? 今日明日と私と同じ空間で寝なきゃいけないもんね?」


「私もいるけど」と親指で自分を指して主張する満ちゃんのことは海菜には見えていないらしい。


「……変なことしないでね」


「ふふ。それ、私の台詞」


「心外だわ」


「だって百合香」


されて飢えてるでしょ?」と、彼女は私の耳元で囁く。


「……ふふ。あと五日だよ」


 と、彼女は5本の指を立てて楽しそうに笑う。本当、彼女は意地悪だ。こういうところが憎たらしくて仕方ない。


「あと五日? 何が?」


「あと五日で丁度付き合って一ヶ月なんだ」


 それは間違いではない。


「マジ? まだ一ヶ月経ってないの?」


「なんかもう2〜3年くらいの雰囲気だよね」


「てか、そもそも出会って二ヶ月ってのも信じられないよな……元々幼馴染ですって言われても信じちゃうよ」


 そう。私達は入学式に出会った。そういえば入学式も7日だったな。そこから数日でコロッと落とされてしまった自分のちょろさに苦笑いする。

 母の理想の人以外を愛することは許されないと思っているあの頃の私に『高校に入学したら女の子に落とされて、母公認で付き合うことになるよ』なんて言ったって、何言ってんだという顔をされるに違いない。人生とは何があるかわからないものだ。私には母の理想の男性と結婚する未来しか見えていなかったというのに、そんな未来はもう見えない。例え彼女ではない誰かが隣を歩むとしても、その人はきっと、私が私の意思で選んだ人なのだろう。今はその隣の人は彼女以外考えられないが。


『私達はもうなんだよ』


 ふと、いつか見た夢が蘇る。

 という字には当たり前のようにという漢字が当てられる。今はまだと書かれることはない。。今はまだだ。いつかはくる。私と彼女がこの国で、法の元でになれる日が。

 と、信じたい。信じたいのだ。私達が大人になる頃には、相手の性別を気にすることなく愛する人と家族になれる権利が確立されていると。

 仮に——仮にだが、私と彼女が結婚する日が来たとしよう。仮定だ。仮定の話だ。家庭——じゃない、仮定の話。

 そんな日が来たと仮定して、結婚式を挙げるとしたら彼女は何を着るのだろう。やはり白いタキシードなのだろうか。

 …似合う。絶対似合う。でも多分、ウェディングドレスも似合うと思う。マーメイドラインの真っ白なドレスを着て、白いブーケを持って……『やっぱりこういう格好、ちょっと落ち着かないなぁ』なんて、しおらしくはにかむ彼女を『いつもの憎たらしい顔よりそっちの方が私は好きよ』と揶揄ってやりたい。だけど、彼女は女性らしい格好で人前に晒されることを嫌がるかもしれない。あ、パンツドレスという選択肢もあるか。


「……海菜は……」


「ん?」


「……」


「……えっ、何?」


「……なんでもないわ」


 危ない。『結婚式挙げるならタキシードかドレスかどっちが良い?』なんて、何聞こうとしてるんだ私は。婚約したわけでもないのに。まだ付き合って一ヶ月弱なのに。飛躍しすぎだ。


「……何妄想してたの?百合香のエッチ」


「うるさいわよ馬鹿」


「あはは」


 結婚式で揶揄われるのはきっと彼女ではなく、結局私の方なのだろう。この憎たらしい悪戯っ子のような笑顔で、いつものように。






「荷物預けた人から乗って行ってねー」


 担任と何人かの生徒と一緒に、バスの中にクラスメイトの荷物をぽいぽいと放り込んでいく海菜。加瀬くんも手伝っているが、彼女より手際が悪い。手伝いたいが、体力のない私は足手まといでしかないだろう。大人しくバスに乗り込み、席に座る。

 しばらく座っていると、加瀬くんが疲れ果てた様子で乗り込んできて久我くんの隣の窓際に座った。


「仕事は?」


「戦力外通告されてきた」


「加瀬くん体力ないからなぁ。お疲れ」


「疲れた……」


 こてんと窓に頭を預ける加瀬くん。続々とクラスメイト達が乗り込んで来るが、海菜と満ちゃんはまだ来ない。海菜はともかく、満ちゃんも最後まで残る気なのだろうか。


「……鈴木くんと月島さん、体力半端ない……」


「あの二人なぁ……体育の時めちゃくちゃ走り回ってるもんな。泉くんは逆に体力も力も無さすぎじゃね?」


「俺は元々文系だから…」


 疲れきっている。大丈夫だろうか。1日はまだ始まったばかりなのに。


「加瀬くんお疲れだねぇ」


「ちょっと体力つけた方がいいんじゃね?」


 戻ってきた二人は、加瀬くんとは対照的に全く息を切らしていないし汗もほとんどかいていない。


「お待たせ、ハニー。良い子にしてた?」


「……はいはい」


 隣に座る彼女のテンションはいつも通りだ。いや、いつもよりむしろ高い。


「鈴木くん、疲れてないの?」


「んー? ふふ。疲れてるよー」


「癒して」と私にもたれかかってくる海菜。押し返すと不満そうに唇を尖らせながら私の指に指を絡めてきた。


「これなら良いよね?」


「……まぁ」


 握り返すと彼女は「ふふ」と可愛らしい笑顔を浮かべた。今日はやけにテンションが高い。野外学習で浮かれているのだろうか。


「全員乗ったかー? 点呼取るぞー! 藍川ー!」


「はい」


「飯田ー!」


「はい」


 一人一人点呼を取り、クラス全員乗っていることを確認し終わるとバスが動き始めた。

 これから二泊三日の野外学習が始まる。

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