第29話:私達は少数派なだけ
それから約2週間が経ち、6月に入った。明日から2泊3日野外学習だ。今日の午後からはその事前指導がある。
「なぁ、鈴木くんってどこで寝泊まりすんの?」
「防犯上の都合で一人にはさせられないらしいから、班の女の子と同じ場所で寝泊まりするよ」
「……つまり、小桜さんと?」
私に視線が集まる。
「満ちゃんも一緒だよ。残念ながら」
「残念ながらじゃねぇよ」
海菜はそう言うが、私は逆に二人きりじゃなくてほっとしている。
『しないよ。もうちょっと焦らしたいから。最低でも付き合って一ヶ月経つまではお預けしようかなぁ』
あれ以降、毎回毎回キスだけでギリギリまで攻めてくる。触れてはくれないし、こちらから彼女の身体に触れようとすると『駄目だよ。待て』と囁き、腕を掴んで止める。まるで調教される犬だ。
二人きりになってイチャイチャする時間が幸せだと感じると同時に、少し辛いとも感じてしまう。
今日は1日。付き合ったのは先月の7日。つい昨日『ちょうどあと一週間でお預け解禁だね。もう少しだよ』と囁かれたことを思い出してしまい、また悶々としてしまう。
気を紛らわせるために教室を出て外の空気を吸いに中庭に出ると、ベンチに女子が二人、ぴたりとくっついて座って仲良さそうに笑い合っている。恋人同士だろうか。私に気付くと、二人はパッと気まずそうに離れたが、片割れの女の子は目が合うとホッとしたように笑った。そしてちょいちょいと手招きする。
「小桜さん、おはよう」
「おはよう……えっと……」
リボンの色からして声をかけてくれた生徒は同じ学年だが、クラスメイトでも部活仲間でもない。もう一人は先輩だ。眼鏡をかけた地味だが上品そうな人だ。リボンの色は緑—学年ごとに色が決まっており、一年は赤、二年は黄色、三年生は緑—だから三年生だ。
「あ、ごめんね。私は4組の
「さ、咲ちゃん」
彼女と紹介された笹原先輩が不安そうな顔をする。
「私も彼女がいるんです」
そう伝えると先輩は目を丸くして私と松原さんを交互に見た。松原さんは知ってるよと笑い、先輩に「だから大丈夫です」と優しく笑いかける。
「学年代表の鈴木くんでしょ?」
「そう。1組の鈴木海菜と付き合ってる」
「やっぱり。有名だもん。二人」
「だから私の名前知ってたのね」
「うん。小桜さんと話すのは初めてだけど、鈴木くんとはたまに話すんだ。私、鈴木くんがレズビアンだって噂を聞いて……最初は見た目が男っぽいから勘違いされてると思ってたんだ。でも、本人がそう言ってるって知って、何で隠さないの?って聞きにいったの。そしたら彼女、なんて言ったと思う?」
「『黙っていたら異性愛者にされるから。それに、隠さなきゃいけないことだとは思いたくないし、私が女性愛者であることなんて別に大したことじゃないでしょう?』……みたいなことかしら」
「……聞いてたの?」
松原さんは苦笑いする。全く同じことを言われたのだろうか。
「あの子がいつも言ってることだもの。自分がセクシャルマイノリティであることなんて別に大したことじゃないって。私も言われたの。だから、あの子への恋心を素直に認めようと思えた」
「……そっか。私も彼女のその言葉に勇気を貰って、中学の頃から好きだった先輩に告白出来たんだ」
「その結果がこれ」と松原さんは嬉しそうに恋人繋ぎで繋いだ手をあげて指差す。先輩は恥ずかしそうに顔を逸らした。松原さんに隣に座るように促され、隣に座る。
「小桜さんって、いつから付き合ってるの?中学から?」
「出会ったのは高校入ってからよ」
「え、マジ? まだ知り合って二ヶ月くらいなの?」
「えぇ」
「付き合ったのも最近?」
「ゴールデンウィーク明けくらいから」
「マジかー。もう一ヶ月じゃん。もうちゅーした? 私はまだ。まだ付き合って一週間も経ってないんだ」
先輩が顔を赤くしながら松原さんをぽこぽこと叩く。
答えないでいると「したんだー」と松原さんはニヤニヤする。というか、初めて彼女にキスをされたのは付き合う前だったし……今はもう二人きりになるとするのが当たり前になっている。
「ねぇねぇ、今度さ、ダブルデートしようよ」
「ダブルデート……」
「うん。先輩はどう?したくない?ダブルデート」
「……わ、わたしは……咲ちゃんと……二人がいい……人見知りで…緊張しちゃうから……」
恥ずかしそうにぽそっと呟かれた先輩の言葉を聞いて「というわけだからごめん。無かったことにして」と真顔で言う松原さん。私はちょっと興味があったのだが、残念だ。
「残念です。私はちょっと興味あったので」
私が素直にそういうと先輩はごめんねと俯いてしまった。
「大丈夫ですよ。私達知り合ったばかりですし、無理もないです」
「……あ、あのね……わたしも……みは……んだ……だからその……もうちょっと……く……から……」
先輩は私と目を合わせず、ぼそぼそと喋る。聞き取りづらいが、松原さんが「本当!?やったー!」と喜んだため、何を言っているかはなんとなく伝わった。
「小桜さん聞こえた?『興味はあるから、もうちょっと仲良くなってからなら』だって。あ、じゃあさ、今日お昼一緒に食べない?ここで。未来さん、いい?」
松原さんが先輩に確認すると、先輩はこくこくと頷いた。
「ふふ。約束だよ。先輩。お弁当持ってここ来てね」
「うん。4時間目体育だからちょっと遅れちゃうかもしれないけど……」
「うん。分かった。小桜さんも鈴木くんに伝えておいてね」
「えぇ、分かった」
と、噂をすれば向こうから海菜が手を振りながら走ってくるのが見えた。
「やっぱりここに居た。君、中庭好きだね」
「来ると思った」
「ふふ。見つけてくれるの待ってたの?」
「別にそんなんじゃないわ。……座る?」
「ううん。私はその辺で」
そう言って彼女は近くの花壇のレンガに腰掛けた。
「私、重いから四人も座ったらベンチが悲鳴あげちゃう」
四人も座れるスペースはない。席を譲るつもりだったのだが、彼女は私の上に座る気だったのだろうか。
「膝の上に座れって意味じゃないわよ。譲ってあげるって意味よ」
「じゃあ百合香ここおいでよ。松原さん、彼女さんと二人がいいでしょ?」
そう言って海菜は自分の膝をぽんぽんと叩く。ベンチを立ち上がり隣に座ると彼女は不満そうに唇を尖らせた。
「……海菜の上、空いてますよ」
「結構です」
「君だけの特等席だよ?」
「座らない」
「えー……なんでー?」
そう言いながら彼女は私の腰に腕を回した。
「ちょ、ちょっと……」
「今日はつれないね。ハニー」
「誰がハニーよ」
「ダーリンって呼んで良いよ」
「呼ばない。ちょっと離れて……」
「良いではないか良いではないか」
「良くない」
ふと松原さんの方を見ると、先輩の目を隠しながら、自身も目を逸らしていた。それを見て海菜は苦笑いしながら私を離す。
「松原さん、彼女とはいつから付き合ってるの?」
「…大体一週間くらい前から」
「へぇ。まだ最近だ」
「……2人とも、本当に付き合って一ヶ月?」
「ふふ。一ヶ月だよ。本当はまだ半年くらい待たされる予定だったんだけど、私が強引に早めちゃったから」
「なんで半年?」
「家庭の事情で。ね?百合香」
「……親を説得するのに最低でもそれくらいの期間が必要だと思ったの」
しかし実際はたった一ヶ月で変わってしまった。母の偏見を強めたのは、母に怯えて向き合おうとせずに楽な道を選んだ自分のせいだったのだ。母をモンスターにしていたのは私だった。元カレには本当に悪いことをした。
「えっ、2人とも親公認なの!?」
「この人私のお父さんとLINK交換してる」
「えぇ!?」
「たまたま、母さんの店の常連さんだったんだ」
「鈴木くんはサラッとカミングアウトしてそうだけど……小桜さんは?」
「一度は否定されたわ。そんなのは憧れを勘違いしているだけだって。私は前に男の子と付き合ってたの。だから同性愛者じゃないでしょうって。実際、同性が好きなわけじゃないの。同性である必要はない。だけど、海菜じゃなきゃだめなの」
「そういうことサラッと言えるってかっこいいね。ちょっと……聞いてるこっちまで汗かいてきちゃったけど」
「……ね」
先輩が何かをぽそっ呟く。何?と松原さんが耳を寄せ、彼女の言葉を聞きとって伝えてくれた。「強いね」と言ったらしい。
「……し……たら……って……くて……」
「『私は否定されたらどうしようって怖くて』うん。何?」
「……に……に……たから……って……って……」
「…『前に友達が言ってたから。レズとかホモとか気持ち悪いって』…うん」
「……も……の……りの……」
「『今も怖いの。周りの目が。ごめんね、咲ちゃん』謝らなくていいですよ。私もそうだったもん。『お前ホモなの?』『そんなわけないじゃん気持ち悪いこと言うなよ』って……そういう冗談聞くたびに辛かった。怖いのに私と付き合うこと決めてくれてありがとう。逃げずに私の想いに向き合ってくれてありがとね……未来さん……」
感極まって先輩を抱きしめる松原さん。先輩はあわあわと両手をバタバタさせてから、周りを気にしながらも彼女を抱きしめ返した。
「2人とも、兄弟はいる?」
「私は一人っ子だけど、先輩は妹が一人いるよ。私の同級生」
「仲良いなら、まずは妹さんからカミングアウトしてみたらどうですか?親世代より同世代の方が理解はして貰いやすいと思うし。あとは……先輩、何部ですか?」
「……文学部……」
「三年生ですよね。竹本さんって仲良いですか? 同じ三年生で文学部の」
「えっ……う、うん……」
「なら、彼女にもカミングアウトしてみてください。私のこと知ってるので味方になってくれるはずです。あとは……演劇部の三年生は大体話しても大丈夫です。それから……あ、松原さん同じ中学だって言ってたよね?」
「うん。
「お。泉くんと同じ中学じゃん。泉くんわかるでしょ? バンドメンバーだもんね?」
「あぁ、加瀬くんね。うん。分かるよ」
「あら、ということはあなた、あまなつの……」
「ベース担当です」
「メンバーにはカミングアウトした?全員味方にできるよ。あと、泉くんの元カノとは知り合い?」
「うん。先輩の妹」
こくこくと先輩も頷く。加瀬くんはゲイだと言っていた。"元カノ"ということは女の子だ。ゲイだということを隠して付き合っていたのだろうか。
「へぇ。ならやっぱり先輩、妹にカミングアウトして大丈夫ですよ。味方になってくれるはずです。妹さんと知り合いではないですけど、泉くんからどんな人かは聞いてますから」
海菜が大丈夫ということは、彼はその元カノにカミングアウトして円満に別れたということだろうか。少なくとも、恋人が同性愛者だと知って、裏切られたことのショックで同性愛者そのものを恨んでしまうような状態ではないことは確かだから言っているのだろう。海菜のことだから、ちゃんと確信を持って『味方になってくれる』と言っているはずだ。
「あとは……音楽部繋がりでクロッカスのメンバーも全員大丈夫だよ。みぃちゃん——ドラムの子は私の従姉妹だし。みぃちゃんは私がまだオープンにしてなかった頃から受け入れてくれてたし、女の子から告白されたことがあるって聞いてる。その子とは今でも仲良しだって」
「……ちゃんは………に……」
「『空美ちゃんはよく図書室に来るから知ってる』って。普通に会話できるくらい仲良いみたい」
「あはは。じゃあ勇気を出してカミングアウトしましょう。と、まぁ…私が紹介できるカミングアウト先はこれくらいですかね。強制はしないですけど……出来ることなら話した方が楽だと思います」
「流石鈴木くん。交友関係がエグいくらい広い」
「ふふ。先輩も松原さんもさ、怖いならまずは確実に味方になってくれる人を味方につけてしまえばいいんだよ。そうやって少しずつ、少しずつ味方を増やしていけばきっと、知らない人に何言われても私には味方がいてくれるから大丈夫って自信を持てるようになると思うよ。分かってると思うけど、私は味方です。二人には既に、私と百合香っていう二人の味方が居るんだよ。しかも当事者同士。だから大丈夫。誰に何言われたって、二人の居場所はここにあるから。私達は少数派なだけで、なにも特殊じゃないただの人間なんだって、胸張って生きよう。一緒に」
海菜がそう優しく笑うと、先輩は涙をぽろぽろと零しながらこくこくと頷いた。彼女を優しく抱き寄せた松原さんも泣いていた。私ももらい泣きしてしまうと、不意に頭を引き寄せられ、彼女の腕の中に隠されてしまう。
「……君の涙は私以外には見せちゃ駄目だよ」
「……抱きしめたい口実でしょう。それ」
「ふふ。バレた?」
そういつものようにくすくす笑う彼女も、少し涙声だった。彼女の体温が、優しさが、この陽だまりのような温かさが好きだ。…好きだ。彼女と付き合えて幸せだ。この幸せは、この先誰になんと言われようと手放したりはしない。
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