第10話:私はあなたとは違う
放課後。約束通り、音楽部の部室へ向かう。
「望、また後でね」
「……ん。また後で」
海菜とすれ違った星野くんは返事はしたものの、目も合わさずに去って行った。見ていた夏美ちゃんが不安そうな顔で駆け寄ってくる。
「ちゃんと仲直りするよね?」
「うん。大丈夫。あっ、はるちゃんとも体育の時間にちょっと話したからもう大丈夫だよ」
「……恋敵だと早とちりしたのはすまんかった」
「あれ、違ったん?」
「私、男性は恋愛対象外だから。女性が好きなの」
「あー……なるほど……って、あぁ!? えっ!?」
「望も知ってるし、隠してないよ。やましいことじゃないから」
「おぉ……そ、そう……だよな……女の人が好きってだけだもんな……今はもうそんなに珍しくないし。……身近には居なかったけど……」
困惑しているのか、しどろもどろに話す夏美ちゃん。
「居ないんじゃなくて、知らないだけかもよ。こういうのは見た目じゃ分からないから」という海菜の言葉でハッとして「ごめん」と謝る。
「そう……だな……王子のこともそうだと思わんかったし……すまんかった」
「ふふ。いいよ。君もはるちゃんも百合香も、素直で優しいね。否定しないでくれてありがとう」
「否定はできんよ。あたし、GLとかBLとか好きだし。まぁ……同じジャンルを好む人の中には『ファンタジーだから楽しめるけどリアルな同性愛は無理』なんて言う人も少なくないんだけどね……」
BLがボーイズラブの略であることは知っているが、"GL"というのは初めて聞いた。BLが男性同士の恋愛ならGLは女性同士の恋愛…つまり、"ガールズラブ"の略だろうか。本屋に行くとBLはコーナー化されているが、GLコーナーはまだ見たことがない。BLに比べるとマイナーなのだろうか。
「……なっちゃん、星野くんと海菜ちゃん見て『ほぼBLじゃん』とか言ってたもんな」
「はる、やめろ。ナマモノは本人の前ではタブーだから」
「あははっ、大丈夫だよ。よく言われるし、漫画の参考にしたいからってモデルにされたこともあるから」
「……星野くんと?」
「うん。BLのモデル」
「……めちゃくちゃ見てぇな。それ」
「残念ながら写真は無いよ。ところで、二人ともどうするの? このまま予定通り分かれて見学に行く?」
「……はるが良いなら一緒が良いな」
「……まぁ、構わんよ。……一応、仲直りしたし」
「ふふ。ありがとう。じゃあ音楽部の部室行こう」
「明日はなっちゃんとダンス部行くから」
どうなることかと心配していたが、あっさりと仲直り出来てしまった。海菜の纏う柔らかい雰囲気のおかげだろうか。
「お待ちになって。音楽部の見学に行くのならわたくしもご一緒しますわ」
特徴的なお嬢様言葉で呼び止められる。振り返ると財前さんと北条さんがいた。
「いいけど、お嬢、バンド興味あるん? 茶道とか華道とか弓道部のイメージなんだけど」
「でも楽器は弾けそうだよね」
「えぇ。ヴァイオリンとピアノを習っております」
「やっぱり。っぽいわ。てか、二つもできるってすげぇな」
「なっちゃん、歌は上手いけど楽器は才能ないもんな」
「うるせぇな。お前もだろ」
「ところで……星野くんはいらっしゃらないのですね」
「あぁ、うん。望は今日は帰ったよ。用事があるって」
「そうですの。残念ですが仕方ありませんね。では参りましょうか」
財前さんと北条さんも加わり、渡り廊下を渡って二階建ての部室棟へ向かう。音楽部という札がかけられた部室の近くまで来ると、微かにヴァイオリンの音が漏れてきた。その音に合わせ、綺麗な女性の歌声。確信は持てないが、昨日部活紹介で聞いた歌声だ。そしてピアノの音と、別の女性の歌声。思わず聞き惚れてしまい、立ち止まってしまう。
「ドラムとかギターの音は聴こえないね。部紹介の時とは別のバンドかなぁ」
「ですが……このヴァイオリンの音は
「……ヴァイオリンの人、財前さんのお姉さんなの?」
「いえ。お嬢——美麗さんが勝手にそう呼んでるだけです」
「……百合漫画でよくあるやつやん」
「……ピアノは多分、空美さんだろうな。開けるけどいい?うみちゃん」
「……うん。大丈夫」
「……そうか」
満ちゃんが率先して部室のドアを開く。ヴァイオリンを弾いていた女子生徒が私達に気づき、演奏を止めた。歌とピアノもピタリと止まる。
「おっ。ちるちゃんだ。うみちゃんも。いらっしゃい。……あれ? 望くんは?」
「望は残念ながら来ないよ」
「そっか。珍しいな。君達三人はいつも一緒なのに」
「今日は用事があるんだって。ところで、ギターとベースの二人は?」
「今日は二人ともお休み。バイトとか習い事でなかなか揃わないんだ。……
「週一で揃えば良い方だよなぁ……一人の時もあるし。あっ、一応音楽部ってなってるけど、実際、部員はあたし達五人しか居ないんだ。この学校って何かしら部活入らなきゃなんないっしょ? 高校入ったらバンドやりてぇって思ってたけど、部活と両立とか面倒だから作ったの。部活として認められたら部室貰えるし、部費使えるし。というわけで、あたしが部長の
「ん? ベースの静さんって女性ですか?」
「いや、男の子だよ。ちゃん付けで呼んでるだけ。男二人、女三人で組んでる。何か質問ある? バンドについてでも、部活についてでも、なんでも聞いていいよ」
「例えば、一年生が一人しか入らなかったらどうなるんですか? 先輩達のところ入れてもらえるんですか?」
夏美ちゃんが手を挙げて質問する。
「そうねー……出来るならメンバー固定して別々で組みたいけど、新入部員が一人だけとかだったらそうなるだろうね」
「うわっ、気まずっ……。あっ、もう一つ良いですか?」
「うん」
「バンド内恋愛ってやっぱ禁止なんですか?」
「あー……特にルール決めてないけど……そうだねぇ……男女関係のもつれで解散になるって話はよく聞くよ。うちらはまぁ、メンバー同士で付き合うことは無いと思う。みぃちゃんは彼氏いるし、ゆずは『恋人とかめんどくさいだけでしょ』が口癖の遊び人だし……静ちゃんもみのりんも恋愛にはあまり興味ないらしいし、あたしは……恋人募集中だけど、静ちゃんはともかく、ゆずは無いなって思ってる。恋人要らない宣言してるし。なのにあたし以外みんなモテるんだよなぁ……特に男子二人……」
「カッコいいっすもんね。二人とも」
「……なっちゃんさん、静さんはともかく、柚樹さんはおやめになった方がよろしいですわよ」
財前さんが苦笑いする。先輩三人もうんうんと頷いた。
「恋人作らない理由も『遊べなくなるから』だから」
「お、おぉ……なるほど……そういう感じなんすね……」
「まぁでも、無差別に手を出しているわけではないみたいだよ。特定の恋人を作らずに割り切った関係を楽しんでるだけだから、恋人を作って浮気するよりは全然誠実だと思うな」
空美さんが庇うように言う。財前さんと夏美ちゃんは『そうですかね』と理解出来ないという顔をしていたが、私は彼女の意見もごもっともだと思う。
「……みぃちゃん、浮気されてんの?」
「まさか。まこちゃんは浮気しないよ。私にベタ惚れだから」
きららさんの質問に、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる空美さんの姿が海菜と重なる。雰囲気は全然違うように感じたが、意外と似ているのかもしれない。
「ところで、今日来てくれた子達の中で今のところ音楽部入りたいって子は?」
海菜の従姉妹の空美さんの質問に対して財前さんがビシッと手を上げた。夏美ちゃんも控えめに手を挙げる。
「わたくしはお姉様と一緒に演奏がしたいです!」
「……わたしは遠慮しておきます」
「そんなことおっしゃらず!」
「あはは。懐かれてるねぇ実ちゃん」
「ヴァイオリン教室の後輩なんだっけ」
「えぇ。……他の皆さんはもう部活を決めてしまっているの?」
「はい。私と満ちゃんが演劇部、小春ちゃんと百合香が裁縫部、夏美ちゃんが……ダンス部だっけ?」
一人一人指差して確認していく海菜。
「うん。なんだけど、音楽部との間で悩んでる」
「北条さんは?」
「私は
「おぉ……かっけぇ……」
どことなく騎士や武士のようなクールな雰囲気を持つ北条さんには、竹刀や薙刀などの武器がよく似合いそうだ。
「そっかぁ……実質確定してるのは一人なんだね」
「あたしはバンド組めるくらい人がいたら入りたいっす。先輩達のところにお邪魔するのちょっと気まずいっつーか……なんか……レベル高そうだし……」
「そんなことないよ。実ちゃんと私以外は音楽未経験だったし、私もドラムは初めてだったから。高校生になって初めて触ったよ」
「そうなんですか?」
「うん。まぁでも、私の場合は弟がドラム習ってたから、そこから教わることが出来たんだけどね。……さて、いい加減ちょっと見学らしいことしようか。どうする? せっかくだし、一年生巻き込んで演奏する?」
「えっ、あたし楽器出来ないっすけど……」
「歌えばいいじゃん。あたしと一緒に。みのりんの"妹"ちゃんは?なんか出来る?」
『妹じゃないけど』と苦笑いする実さん。
「ヴァイオリンとピアノくらいですが……」
「ピアノ弾けるならキーボードいけるっしょ」
「うみちゃん、ベース弾けるよねー?」
「いや、弾けるのは私じゃなくて父さんなんだけど……」
「昔おじさんに教えてもらってやってたじゃん。いけるいける。静くんのベース貸してあげる」
「えー……人の楽器借りるの緊張しちゃうんだけどなぁ……」
と、苦笑いしつつも押し付けられたベースを肩にかける海菜。なかなか様になっている。
「あと余ってんのはギターだけど……誰か弾ける?」
残されたのは私、満ちゃん、はるちゃん、北条さん。誰一人として手を挙げない。
「……じゃああたしが」
「えっ、弾けるんですか?」
「うーん……一応ね。これ楽譜ね」
ボーカルのきららさんがそれぞれに楽譜を配る。
「楽譜読めない人いないね? じゃあちょっと軽く鳴らしてみて。ベース」
海菜がベースを鳴らす。父親から教わっていたと言っていただけあって、手慣れているように見えた。
「……うわっ、なんか海菜ちゃん、楽器できるのずるくない?」
「……多才なんだよ。あいつ」
「……似合いますね。ベース」
ひそひそ話す声を聞いて、ふふんと誇らしげな顔をする海菜。その顔を見て満ちゃんが舌打ちをした。
「従姉妹くん、様になってんじゃん。次」
「ありがとうございまーす」
各自、次々と音の確認をしていく。最後はヴァイオリン。実さんがヴァイオリンを軽く鳴らしたその瞬間、空気が震えた。「生音やばいな」と満ちゃんが小さく呟くのが聞こえた。はるちゃんも「すげぇ」と呟く。
それを聞いて何故か財前さんが誇らしげな顔をした。
「じゃあいくよー」
タン、タン、タンタン。というドラムスティック同士をぶつける音を合図に、それぞれの音が入る。
『一応弾ける』と言っていたボーカルのきららさんだが、ギターのせいで歌に集中出来ないのか、ほとんどところどころ夏美ちゃんの歌声しか聞こえてこない。やがて歌うのをやめ、夏美ちゃんにスタンドマイクを譲るように横にズレた。『嘘でしょ』と言わんばかりにギョッとした顔をして自分を見る夏美ちゃんに『頑張って』と苦笑いをする。
素人目の評価だが、それぞれの演奏技術は悪くない。夏美ちゃんの歌声も、堂々としていてカッコいい。
しかし、一つの曲を演奏しているはずなのに、ヴァイオリンとキーボード、ベースとドラム、そしてギターとボーカルでそれぞれ別の音楽を演奏してるみたいだ。
「ごめんねーなっちゃん。歌いながら弾くの思った以上にむずかったわ」
悪気なさそうにへらへら笑うきららさん。『だと思った』と先輩二人も苦笑いだ。
「びっくりっすよ……ほんとに……ギターボーカル慣れてるのかと……」
「いや、両方同時にやったのは初めて」
「先に言ってくださいよ……」
「すまんすまん。結構みんな簡単にギタボやるからさー。いけるって思っちゃって。けど、練習すればいけそうだよね?」
ドラムとヴァイオリンの二人に確認するが、二人とも首を横に振った。
「……両方中途半端になるからやめた方がいいわ」
「きららちゃんはボーカルに集中してくださーい」
「……はーい。にしても、従姉妹くんすごいね。普通に上手いじゃん。しかも似合ってるし。背高いし、イケメンだし、モテるっしょ。つか、身長何センチ?」
「182です」
「でっかー! やばー! "彼女"居んの?」
「残念ながら居ないです」
「……彼女ではなく"彼氏"では?」
財前さんの指摘に『彼女であってるよ』と海菜は笑う。
「私、男の人好きになれないから」
「なるほど、そうなのですね……ん?」
「ん? 何? 私、おかしなこと言った?」
「鈴木さんは女性ですわよね?」
「うん」
「えっ! 女の子だったん!? 男の子だと思った! すまん!」
「あはは。初対面の人は大体間違えますから気にしてませんよ」
「そっかぁ……。でもそうだよねぇ……みのりんも男の子だと思ったっしょ?」
「知らなかったらそう思ってたかもしれないけれど、空美が前に女の子だって言っていましたよ」
「……あー、言ってたような気もしてきた」
「人の話聞きなさいよ」
『男の人を好きになれない』という点には誰も突っ込まない。先輩達と財前さん達は知らない筈だが、引っかかっているのは財前さんだけなようだ。
「……あ、あの、皆様知っていましたの? 鈴木さんがその……女性が好きだということ……」
「あいつは隠してないから」
「あたしも最初は『えっ』って思ったけど、考えてみたら今は別に同性愛とか普通じゃんね」
「サラッと言われてしまうと驚いてしまいますけどね」
真顔で言う北条さん。とても驚いているようには見えない。
「舞華は表情が乏しいですから。……でも……そうですわね。考えてみたら普通のことなのですよね……」
「ふふ。そうだよ。私達は"普通の人"だよ」
大人になったら異性と結婚をして子供を作り、親になる。それが"普通"だと思っていた。同性を愛する人達の存在は知っていたが、普通から外れた世界で生きていると思っていた。けれど違う。彼らも私と同じ人間だ。ただ、恋愛対象が同性なだけ。そして私は、恋をした相手が女性だっただけ。何もおかしくなんてない。だから、堂々としていればいい。彼女のように。
「……ん?……女性で男の人は好きにならないって……あれ? ちょっとまって、もしかして今の、カミングアウトってやつ?」
きららさんが遅れて首を傾げる。「ほんと鈍いわね、貴女」と実さんが呆れたようにため息をつき、空美さんも苦笑いした。
「だって、こういうのってもっとこう……深刻な空気になるもんだと思ってたから……」
「……そうね。普通は言いづらいと思う」
「そうですね。私も初めて人に打ち明けた時は凄く緊張しましたけど……初めてカミングアウトした人が『それは大したことじゃないよ』って、気付かせてくれたので。そもそも恋愛観って人それぞれで、他人が口出しするものじゃないですし。未成年に手を出したとなると犯罪になってしまいますけど……」
「……そう。……人に恵まれてるのね、貴女」
「『私が私を否定したら私を愛してくれる人が悲しんでしまう』と思えるくらいには恵まれまくってますよ」
にこやかに返す海菜に対して実さんは「嫌味が通じないわね。この子」と呆れたようにため息をつき、空美さんの方を見た。
「ふふ。いい性格してるでしょ? 私の従姉妹」
「そうね。親戚だけあって貴女そっくり」
「おっ、良かったねうみちゃん。実ちゃん、うみちゃんのこと気に入ったって」
「あははー。ありがとうございますー」
「……どう解釈したらそうなるのよ」
「ふふ。だって実ちゃん、私のこと気に入ってるじゃん」
「おめでたい頭してるわね。ほんと」
呆れたように笑いながらも、どこか柔らかい表情を見せる実さん。なんだか、海菜と満ちゃんを見ているみたいだ。
「さて、せっかく一年生ちゃん達が見学しに来てくれてるんだし、何曲かやらない? 今度は私たち三人で」
「さっきのは聴けたものじゃなかったものね」
「即席だもんねー……合わないのは仕方ないよ。聴けたものじゃないはちょっと言い過ぎだけど」
そう言いながらせっせと準備を始める三人。空美さんはドラムではなく、先程財前さんが使っていたキーボードを引っ張ってきた。
「何やる?」
「んー……じゃあ……"ローダンセ"」
「あぁ、みぃちゃんの曲?」
「うん」
スタンドマイクを外し、軽くマイクチェックをしてから曲紹介に移るきららさん。
「この曲は、想いを伝えてしまえば友情が終わってしまうかもしれない。そんな不安を抱えながら、勇気を出して幼馴染に想いを伝える女の子の歌です。ローダンセというタイトルは花の名前からきています。花言葉は"変わらない想い"、"終わりのない友情"。ずっと秘めていた"幼い頃から変わらず抱き続けていた恋心"を打ち明けて"終わりのない友情"に終止符を打って前に進む……そんなイメージでこのタイトルをつけたそうです。それではお聞きください。——ローダンセ」
君は私を友達として好きだと言う。
私も同じ気持ちだと笑って答える。
だけど本当は違うの。
私の好きはそうじゃない。君の特別になりたい。
ただの友達のままではいたくない。
一番の親友と言ってくれるのは嬉しいけれど
親友は恋人には勝てないでしょう?
好きだと言ってくれるのは嬉しいけれど
友達としてなんて言わないで
今の関係も悪くはないけれど
いつかは盗られてしまう君の隣
親友では座れない君の隣
終わりのない友情を終わらせてよ
友達の先に進ませておくれよ
君の隣に私を置いてよ
ヴァイオリンとキーボードで紡がれる切ない旋律に合わせて、きららさんの、期待と不安が入り混じったような複雑な感情を乗せた歌声が響く。
そういえば、空美さんの恋人は藤井先輩だ。幼馴染だと聞いている。"勇気を出して幼馴染に想いを伝える女の子"というのは、空美先輩本人のことだろう。しかし、私にはなんだか星野くんの歌に聞こえる。
「……"終わりのない友情"と"変わらない想い"ね」
「……皮肉だな」
海菜と満ちゃんが苦笑いして呟く。きっと、同じ感想を抱いているのだろう。
曲の中の女の子は終わりのない友情を終わらせて、親友の先へと進んだ。だけど彼は一生、先には進めない。終わりのない友情を終わらせた先にあるのは下手すればきっと、別れだ。
だから星野くんは黙って彼女の言いなりになっているのかもしれない。隣に座りたいと望む権利すらなくとも、それでも近くにはいたいから。私も彼と同じ立場ならきっとそうしている。想いを打ち明けず、隣に座りたいと望まず、ただ近くにいることを選ぶ。しかし私には彼女の隣に座りたいと望む権利がある。その権利を放棄したくはない。
「聞いてくれてありがとうー。時間的にもう一曲はちょっと厳しそうだから、今日はここでお開きにします。一年生ちゃん達、今日は来てくれてありがとう。お疲れさまでした!」
「お先に失礼します」
「あぁ! お姉様! お待ちになって! 一緒に帰りましょう!」
さっさと部室を出て行く実さんを財前さんが慌てて追いかける。ため息をついてから、私達に頭を下げて北条さんも出て行った。
「んじゃ、一年生ちゃん達、またね。入部待ってるから」
そう言ってきららさんも出て行く。
「うみちゃん、私、まこちゃん待つけどどうする?一緒に待つ?」
「いや、帰るよ。……望と約束してるから」
「そっか。じゃあ、またね」
「うん。また。……帰ろう」
部室を出ると、明るかった空はすっかり薄暗くなっていた。そして、海菜の雰囲気も空と同じく、どこか暗い。
「海菜ちゃん達、明日も同じ時間の電車乗る?」
「後で連絡するよ」
「分かった」
会話はそこで完全に終了し、海菜達とは言葉を交わさないまま別れた。本当に大丈夫だろうか。
「……マジで大丈夫かな。あたしらが思ってるより根深そうじゃね?」
「私達が心配したってしょうがないよ」
「そうだけどさぁ……やっぱ心配じゃん? 気まずくなってる理由もよくわかんないし」
「そうだね。……私も海菜ちゃんが分からない。優しいのか、優しくないのか」
「王子? 王子は良い人だと思うよ。まだ知り合ったばかりだから分からんけど。はるは王子のこと嫌いなん?」
「嫌いになれないから困ってるんだよ……」
「嫌いになりたいん?」
「……分かんない」
「王子とは仲直りしたんだろ?」
「したっていうか……無理矢理丸め込まれたっていうか……」
しどろもどろに話すはるちゃん。
はるちゃんの好きな人の恋心を弄んで、それを自覚しておきながら悪い気のない顔をして『彼が勝手にやってる』とニコニコしながら言い張る。最低なことをしているように見えるが、彼女の優しい言葉や態度に絆されて憎めないのだろう。
「……なっちゃん、今日、泊まってもいい? 話聞いてほしい」
「ん。いいよ。お布団出しておく。ユリエルも来る?」
「……ううん。行きたいけど、家に誰も居なくなっちゃうから」
「えっ、一人なの?」
「母、夜勤だから。夜中だけね」
「はぁ……大変だね……シングルマザーなんだっけ」
「えぇ。一応ね。離婚はしてないけど」
離婚もしていないし、養育費も毎月貰っているらしいが、父とはあれ以来会っていない。連絡も取っていない。会いたいと言えばきっと会ってくれる。けれど、気まずくて会いたいと言えない。会って、今更何を話せばいいのだろう。顔を見たら悪態をついてしまいそうだ。
「夜家に一人って、寂しくない?」
「もう慣れちゃったから平気。母が出て行くのは10時からだから後ほとんど寝るだけだもの。朝起きたら帰ってきているし」
「そっか……寂しくなったらいつでも電話してな」
「ありがとう。じゃあ、また明日」
「また明日」
「明日ね」
家のドアを開けて「ただいま」と中に向かって叫ぶ。どたどたと騒がしい足音が近づいて来て、母が私を力強く抱きしめた。
「お帰り。ゆりちゃん。今日は部活の見学?」
「えぇ。今日は音楽部。明日と明後日も見学だから遅くなるわ」
いつものように、1日の報告をする。
「お母さん、あのね……」
「ん? なぁに?」
母と向き合うという決意をしたはいいが、どう向き合えばいいのだろう。何から話せばいいのだろう。分からない。『好きな女の子が出来た』なんて、急に言ったって『変な冗談やめて』と苦笑いされてしまうだけだ。
「……どうしたの? 学校で何かあった?」
母は心配そうに、黙ってしまう私の顔を覗き込む。
言いたいことは山ほどある。
私はあなたのお人形ではない。私の意志を尊重してほしい。好きなものを、否定しないでほしい。女らしく生きろと強制しないでほしい。そもそも、女らしさがなんなのか具体的に説明してほしい。女の子を好きになってしまったけど、否定しないでほしい。
山ほどありすぎて、どう話せばいいか分からない。
「……気になる人が……出来たの」
絞り出した言葉で、母はパッと顔を輝かせた。どんな人かと質問責めをする母に彼女の特徴を話す。やはり、思った通り、彼女は母の理想に近い。たった一つの要素を除けば。
「……でもその子……女の子なの」
その瞬間、母の顔からスッと表情が消えた。空気が一気に冷え、背筋が凍る。
「……なぁんだ。お母さん、好きな男の子が出来たって勘違いしちゃった。気になるって、人としてって意味ね」
『もー紛らわしい言い方しないでよ』と母はへらへら笑う。『女の子を好きになった』とは言わせない雰囲気を作りだされてしまった。こうなることくらい分かっていた。勇気を出して、母の言葉を否定し『恋愛対象として気になっている』と打ち明ける。再び母から表情が消えた。しかし一変して、優しく微笑み、私を抱きしめた。
「……打ち明けてくれてありがとう」
優しくそう囁かれ、困惑する。否定すると思っていたのに。急になんだ。気味悪さを感じていると、母は私の頭を優しく撫でながらこう続けた。
「不安よね。でも大丈夫よ。思春期に憧れを恋と勘違いするなんてよくあることだから」
『同性愛なんて、一過性の感情よ。すぐに"治る"』そう囁かれた瞬間、思わず反射的に母を突き飛ばしてしまった。
「そんな……こと……っ……!」
そんなこと言わないで? 自分だって自分でそう言い聞かせてたくせに。一度は一過性であってほしいと望んだくせに。もう一人の私が囁く。
だけど海菜は『異性に恋をすることが正解じゃない』と、知り合いの同性愛者から教えてもらったと言っていた。
「……今の貴女にはお母さんが酷いこと言っているように聞こえるかもしれないけれど、すぐに気付くわ。ただの憧れだったって。……私もそうだったから」
「……えっ……」
意外な言葉に驚いてしまう。
中学生の頃、バスケ部の背の高い女子の先輩に恋をしてしまったと、苦い顔をして母は語り始める。
「二つ歳上のお姉さんでね、その辺の男子より背が高くて、カッコいい人で……女の子のファンがたくさん居るような人だった。私もその一人だったわ。……今となっては痛い思い出だけど、あの頃は本気で恋だと思ってた」
「……どうして違うって気づいたの?」
「どうしてって……ファン仲間のみんな、誰一人彼女と付き合いたいなんて言わなかったし、みんな彼氏が居たから。先輩にはしばらく居なかったけど……やがて先輩も、男の人と付き合い始めた。そのことに関して特にショックは受けなかったから、あぁ、私は先輩に憧れていただけなんだって気付いたの。恋だったら、好きな人が誰かと付き合ったらショックでしょう?」
私は海菜が誰かと付き合うことを想像したくもない。皮肉にもその話を聞かされたことで、この想いは母の先輩に対する想いとは違うことが証明された。
「それ以来女の人に惹かれたことはないし、大学に入って、お父さんと出会って、貴女と
母は幸せそうに笑い、わしゃわしゃと私の頭を撫でる。母が思春期に同性への憧れを恋と勘違いしたことは否定しない。だけど、母がそうだったからといって私もそうであるとは決めつけないでほしい。
「……私は……」
『私の彼女に対する想いはお母さんのとは違う』その一言は喉につっかえ、戻っていく。
「心配しなくても大丈夫よ。それにゆりちゃん、中学生の頃に男の子と付き合っていたじゃない。私に隠れて」
「そう……だけど……」
「大丈夫。貴女は同性を好きになる人じゃないわ」
母は優しく笑って、善意で出来た言葉のナイフを私の胸に突き立てる。
『初めて好きになった人が男の人だったからって、今好きな人への想いを否定する必要はないんだよ』海菜の優しい声が、そのナイフを跳ね返してくれた。
初めて付き合った彼への想いと、今抱いている彼女への想いは同じだ。ただの憧れなら、彼女が誰かと付き合うのが嫌だなんて思わない。『恋だったら、好きな人が誰かと付き合ったらショックでしょう?』と、母がそう言ったんだ。私は彼女が誰かと付き合ったらショックだ。だからこれはただの憧れとは違うことはもう証明された。大丈夫。私は間違っていない。いつか、この想いを彼女本人に打ち明ける。今ここで、そう決心をした。
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