第9話:自由奔放で、優しい人

 高校生になって初めての昼休み。机をくっつけて弁当箱を広げる海菜と満ちゃんのところに椅子と弁当を持ってお邪魔する。星野くんもはるちゃんも夏美ちゃんも、教室に入って来る気配はない。


「あ、そうそう。体験入部の件なんだけど、夏美ちゃんは小春ちゃんと一緒に別のところ行くって。望は帰るって言ってた。お昼もみんなこっち来ないってさ」


「だろうな」


「望に関しては、放課後は空けてくれるみたいだから大丈夫。満ちゃんも空けておいてね」


「……私、必要か?」


「私達は一心同体でしょ。君にとっても他人事じゃないよ」


「どう考えても他人事だと思うけど。……はぁ……めんどくせぇな。人間関係って」


「恋愛感情が絡むと特にね。恋愛対象として見られたくない、見たくないって願っても、恋心って簡単にコントロール出来るものじゃないから。よく言うでしょう? 恋はするものじゃなくて落ちるものだって。……好きになる人は選べないんだよ」


 選べたらきっと、私は——母が思う——正しい恋をする。元彼と付き合うことも、海菜を好きになることもなく、母の理想の男性に恋をしていた。

 ある意味、選べなくて良かったのかもしれない。母の言いなりになって愛する人を傷つけたという後悔が、母の言いなりのままではいけないと私を奮い立たせてくれた。あれが無かったらきっと私は今でも母のお人形のままで良いと思っていただろう。その方が断然楽だから。


「……選べたら、海菜は彼を選んでた?」


「そうだね。選べたらきっとそうしてる。あそこまで私を愛してくれる人はなかなかいないしね。私の想いを汲み取って、私の欲しい言葉をくれるし、私の思う通りに動いてくれる。その上、決して見返りを求めない。だけど、全肯定はしない。違うことは違うって言ってくれるし、意見が対立しても私の意見に合わせたりしない。彼はいつだって私と対等で居てくれる。だから彼の隣は居心地が良いんだ。仮に、異性の人間を生涯のパートナーにすることが義務付けられていたら、私は彼を選ぶよ。……逆に言えば、そうでもならない限り、私は彼を選ぶことは出来ない」


「選べたら楽だったんだけどね」と苦笑いしながら彼女は語る。


「……それを理解した上で好きでいられるのがわけわかんねぇんだよなぁ……もはやドMじゃん」


「あはは。彼は私の忠誠な騎士くんだからねぇ」


 へらへら笑う海菜。人によっては、人の恋心を弄んでいるだけの最低な人間に見えるかもしれない。だけど、私には彼女を最低だと罵ることは出来なかった。彼女は決して酷い人間ではないことを、私はもう知っているから。彼女の優しさに触れてしまっているから。それに、星野くんはきっと、同情してほしくないだろう。特に私には。


「彼が女の子だったら付き合ってた?」


 私の質問に彼女は意外にも「どうだろう」と苦笑いする。「うん」と即答すると思っていたのに。


「うんって言わねぇんだな?」


 満ちゃんも意外そうに首を傾げる。


「うーん……私、美人系より可愛い系が好きなんだよね……」


「見た目の問題かよ」


「大事だよ。見た目も。あと、彼が女の子だったらめちゃくちゃモテそうだから好きになる前にライバル視しちゃう」


「お前ほどじゃないけど今でもモテるしな」


「遊ぼうと思えば遊べそうなのに一途なのが余計にね。恋愛運無さそうだけど。弄ばれて捨てられる恋愛を繰り返してそう」


「……お前が言うなよ」


「弄んでる自覚はある。けど、彼はきっとこう言うよ。『君は何も悪くない。俺が勝手にやってるだけ』って。彼は私のこと大好きだから」


「……やっぱお前ってクソだわ」


「ありがとうー。満ちゃんのそういう容赦ないところ大好き」


 なんでも言い合える仲というのはこのことを言うのだろう。互いの考えは理解し合っていて、どれだけ悪態をつき、つかれても、傷つけ合っても、簡単には切れない太くて強い絆が二人の間に見える。きっと海菜は、同じくらい強い絆が自分と星野くんの間にもあると確信しているのだろう。


『……鈴木くんと月島さんって……付き合ってるのかな……』


『あー……女の子好きって言ってたもんね』


 ふと、ひそひそと聞こえてきた噂話に、満ちゃんが「勘弁してくれよ」と顔をしかめる。海菜は女性が好きだと言っていた。けれど、満ちゃんに対するは星野くんに対すると同じ物だということはなんとなく伝わる。


「私の満ちゃんに対する好きは恋愛感情じゃないよ。女の人なら誰でも良いわけじゃないから」


 海菜は大きめの声で噂を否定し、ひそひそ話していた女子達の方を向き直す。すると彼女達は気まずそうに目を逸らした。


「……つか、こんな見た目以外クソなやつ好きになれんわ……」


「見た目がいいことは認めてくれるんだ」


「私ほどじゃないがな」


「満ちゃんも見た目が良くて中身クソじゃん。同類だね」


「うるせぇクソ王子」


「ふふ。もっと言って」


「ドM王子」


「やだなぁ。それは流石に否定するよ。私は別に君の罵倒で喜んでるわけじゃないし。ほら、私って大体、全肯定されるか全否定されるかのどっちかでしょう? 満ちゃんみたいに正しく批評してくれる人、貴重なんだ。恋人にしちゃうのは勿体ないくらいね」


「安心しろ。頼まれたって恋人にはならん」


「ふふ。知ってる。だから私は君が好き」


 海菜の満ちゃんに対する"好き"は友愛だ。星野くんに対する物と同じはずだ。それはわかっているのに、何故か胸がざわついた。その辺の恋人よりも深い絆を見せつけられているせいだろうか。私はまだ、彼女のことをほとんど知らないのに。彼女のことをもっと知りたい。幼馴染の満ちゃんが知らないようなことまで。深く。


「あ、あの。海菜のお弁当は誰が作ってるの?」


「ん。今日は私だよ。父さんと交代で作ってる」


 海菜のお弁当を改めて観察する。彩のバランスが良く、綺麗だ。生ハムを巻いて作られた薔薇の花や、煮物に入っている花形のニンジンやレンコンなど、見た目にも凝っている。煮物の野菜は彼女が飾り切りしたのだろうか。


「あなたって意外と器用なのね」


「ありがとう。何か食べてみる? おすすめはこのコロッケです。じゃがいもの代わりにおから使ってるから低カロリーだよ」


「もしかして家で揚げたの? 朝から?」


「家で揚げたのは正解だけど、残念ながら昨日の残り物。でも食べてみて。美味しくできたから」


「じゃあ、一口だけ」


 一口サイズに切られたコロッケを口に運ぶ。衣のサクサク感は失われてしまっているが、中はふわふわだ。味も程よく、美味しい。感想を伝えると彼女は嬉しそうに「他にも何か食べる?」と笑う。


「遠慮しておくわ。自分のお弁当があるから。入らなくなったら困るもの」


「ユリエルの弁当も綺麗だな。自分で作ってんの?」


「私のは母が作ってるの。せっかく作って貰ってるのだから、残すわけにはいかないわ」


 とは言っても、残すほどの量はないが。私のお弁当は二人に比べるとひと回り以上小さい。そして、二段目はフルーツで埋まっている。おかずの量はかなり少ない。ほとんどフルーツがメインだ。私がフルーツが好きだからというわけではない。"女の子のお弁当にはフルーツが入っている"という母の持つ謎すぎる固定観念に従って入れられているだけだ。

 正直私は、これだけでは足りない。だけど食べ過ぎて太ってしまったら母に叱られてしまう。だからこの少量を、ゆっくりと味わって食べることで自分の胃をごまかしている。


「……入らなくなるって……めちゃくちゃ小食だな」


 そういう満ちゃんのお弁当は大きめで三段重ね、しかもご飯は別だ。海菜のお弁当箱も同じタイプ。恐らく、男性が使うことを想定されている物だろう。


「……逆に二人はよくそんなに食べられるわね」


「私も満ちゃんも体育会系だからねぇ」


「? 演劇部なのに?」


「よく言われるけど、実は演劇部って意外とハードだよ。肺活量鍛えなきゃいけないから運動部並みに走るし、筋トレもする」


「満ちゃんは部活に加えて空手もやってるしね」


「空手?」


「おう。強くなりたくて小学生くらいからずっとやってる」


「……強くなりたくて?」


 私も昔、同じ理由で何か格闘技を習いたいと母に言ったことがある。しかし却下された。『女の子は男の人に守ってもらうんだから強くなる必要はない』と。

『男性より強い女性は女性として見られない』と母は口癖のように言う。女性は男性を立てるために生きているのだから、彼らより強くなってはいけないと。


「どうして強くなりたいって思ったの?」


「弟をいじめていた男子に喧嘩で負けたのが悔しくて」


 実に血の気の多い理由だ。気の強い彼女らしい。


「弟は私と違って気が弱くて優しいから、意地悪されても強く言い返せなくて。私がそのいじめっ子に代わりに言い返してやったんだ。けど、力で負けた。そしてそいつは私に『女が男に勝てるわけないだろ』って言ったんだ。それを母さんに話したら『絶対そいつより強くなって黙らせろ』って空手を勧めてくれたの」


 どうやら血の気が多いのは母親譲りなようだ。


「結果、そのいじめっ子に余裕で勝てるくらい強くなれたわけだけど、そのことで弟は『姉に守られて情けない』っていじられるようになってしまって、ある日弟に『姉ちゃんが強くなると俺が惨めだから大人しくしてて』って言われたんだ」


「……それで、どうしたの?」


「その時は私もなんか申し訳なくなって、謝ろうとしたんだけど、母さんが、私が弟に謝るより先に弟を殴って」


「殴……!?」


「『悔しかったらお前が強くなれば良いだけの話だろ!満のせいにして逃げてんじゃねぇ!それでも私の息子か!』って弟を叱ってくれたんだ。それで、今は弟も一緒に空手やってる」


「……満ちゃんのお母さん……カッコいい」


 思わず呟いてしまいハッとする。母に叱られる……!そんなことを思ってしまった自分をなんとか奮い立たせる。怯えるな。母と戦うと決めたのだろう。彼女に対する想いに、元彼に対する後悔に、自分自身に向き合うために。


「自慢の母さんだよ」


 満ちゃんが笑う。私の母は、そうやって自慢出来る人ではない。羨ましい。

『だけど悪い人でもない』ともう一人の私が母を庇う。そうね。それは否定しない。母は完全な悪ではない。だけど、私の味方ではない。向こうは味方だと思っているけれど。『あなたのためを思って言っているのよ』という母の言葉は本心なのだ。本気でそう思って言っているからタチが悪い。根からの悪人だったら嫌いになれたのに。


「……私も強くなりたい」


 母に堂々と意見出来るようになりたい。


「一緒に空手習うか?」


「た、確かに物理的な強さも欲しいけど……欲しいのは、精神的な強さの方。二人みたいに、自分の意見をはっきり言えるようになりたいの」


「……私は元々そんなに強くないよ。私を認めてくれる人達に囲まれてるから、何しても大丈夫って思えるだけ。ほら、望とかどれだけボロクソ言っても、八つ当たりしても、全部受け止めてくれるし」


「だからっていじめすぎんなよ?」


「うん。……今日でもうおしまいにするよ。……君も、今までありがとう」


「あー……だから私も一緒に……」


「そういうことだよ。……ふふ。寂しいの?」


 妖艶な笑みを浮かべ、満ちゃんの髪にそっと触れる海菜。やめろと彼女の手を跳ね除ける満ちゃんはどこか複雑な顔をしていた。そういうことがどういうことかは分からないが、二人の間にも何かあるのだろう。二人だけの秘密が。また、心がざわつく。


「……二人は、本当に付き合ってないのよね?」


 思わず、再確認してしまった。二人は間髪入れず「ないよ」と答える。


「言ったでしょう? 満ちゃんを恋人にするのは勿体ないって。ある意味、"恋人より深い関係"ではあるかもしれないけど、付き合ってはいないよ」


「……恋人より深い関係……」


「ふふ。大人な関係だよ」


 語尾にハートが付くような可愛らしい言い方で海菜は言う。「変な言い方すんな気持ち悪い」と満ちゃんが顔をしかめた。

 意味深な言い方をしているが、くすくすと可笑しそうに笑う彼女を見れば、また揶揄われているだけだと分かる。

 もしかしたら彼女は私の気持ちに気づいているのかもしれない。

 だとしても、どうか今はまだ、そのことには触れないでほしい。『私のこと好きなんでしょう?』と聞かれても、今の私には肯定することはできないから。どうか、今はまだ、秘めた片想いでいさせてほしい。


「てかさ、ユリエル、自分の意見をはっきり言えるようになりたいって言ってたけど、充分言えてると思うよ」


「それはあなた達だから。……私は……」


 私は変わりたい。母の言いなりになりたくない、ずっと苦しかった、私を私として認めてほしい、本当の私を認めてほしい。だけど私はあなたの敵ではない。嫌いではない。それも、分かってほしい。

 母にそう、本音をぶつけたい。そのために強くなりたい。


「……自分の意見をはっきりと言えるようになりたいのは、母に対してなの。私はずっと…母の言いなりになって、母の前では自分を押し殺して、理想の娘を演じてきたから……それをもう……やめにしたいの。私はあなたのお人形じゃないわって、はっきり言えるようになりたい。母に、本当の私を認めてもらいたい」


「だから二人には力を貸してほしい」私がそう締めると少しの沈黙の後、満ちゃんがため息をついた。「力を貸してほしいって言われても」とめんどくさそうに頭をかく。そうだ。彼女達とはもう長い付き合いのような気がしていたが、実際はまだ出会ったばかりだ。入学式で出会って、今日で3日目。少し、話すのが早すぎただろうか。重かっただろうか。


「……私らは赤の他人だからさ、家庭の事情なんて口を出すべきじゃない。そもそも私、まだユリエルのことほとんど知らないし」


 彼女の言う通りだ。やはり早すぎたかもしれない。謝ろうとすると彼女は私の謝罪を遮り「でも」と続けた。


「『私の代わりに過保護な母親にガツンと言ってくれ』って言うなら却下するけど、相談にならのってやるし、愚痴も聞いてやるよ。私が友達として出来るのはそのくらい」


 それはつまり、味方になってくれると言うことだろうか。問うと彼女は「当たり前だろ」と、ふっと笑った。


「あ、具体的なアドバイスがほしいならこっちに相談しなよ。私が出来るのは、話を聞くことだけ」


「……満ちゃんにアドバイスなんて求めたら絶対『話が通じねぇなら拳で語れ』とか言い出すから。やめた方がいい」


「分かってんじゃん。流石幼馴染」


 流石に母と殴り合うのは避けたい。私から暴力を振るったっておそらく母はやり返さない。私がただの加害者になってしまう。余計に話が通じなくなりそうだ。


「まぁ……私も具体的なアドバイスなんてあげられないんだけどね。友達とのトラブルなら代わりに言ってあげることも出来るだろうけど、家庭の事情だからなぁ……君がなんとかするしかない。少しずつ出来ることからやっていこう。例えば、何かを押し付けられたらやんわり断るとか」


「相手を不快にさせずにやんわり断るのはうみちゃん得意だよな」


「私というか、母さんがね。接客のプロとして、お客さんの無茶な要望に波風立てず断る方法を熟知してるから」


「まぁでも、味方を増やすのは良いことだよ。けど、あんま簡単に人を信じすぎんなよ。特にこいつは」


「えー? 私は信用に値する人間ですけどー?」


「人の心につけ込むのが上手いだけだろ腹黒教祖」


 やはり、二人に近づいたのは間違いではなかったようだ。ホッとすると同時に涙が溢れた。頑張ったねと笑い、海菜が私にハンカチを差し出す。


「……ありがとう」


「こちらこそ、私たちを信じてくれてありがとう。ハンカチはいっぱい持ってるから今日一日それ使っていいよ」


 そう言って彼女はカバンからもう一枚ハンカチを取り出してポケットにしまった。


「……何故そんなに?」


「一応予備で何枚か持ってるんだ。忘れた時用に」


「なるほど」


 手を洗った後は服で拭くタイプだと思ってたが、意外としっかりしているようだ。いや、服で拭いてそうなのは海菜より満ちゃんの方か。


「言っておくけど、私もハンカチくらい持ってるからな?」


 心の声が顔に出ていたのか、ポケットから綺麗に折り畳まれたシワの無いハンカチを取り出して見せる満ちゃん。スマホケースと同じポメラニアン柄のハンカチだ。可愛い顔に似合わず気が強くて男勝りな性格だが、持ち物は意外と可愛い。例えば、今彼女が取り出したポメラニアン柄のハンカチ、スマホケース、お弁当箱を包んでいた犬柄の風呂敷、机の横にかけられた鞄の上に乗っかっているダックスフンドのぬいぐるみペンケース、カバンのポケットから手を引っ掛けて顔を覗かせる黒柴——恐らくこれは定期入れ——など。

 それにしても、犬ばかりだ。対して私の小物は猫柄が多い。これも母の趣味ではあるが、なんだかんだで猫は嫌いではない。むしろ好きだ。同じくらい犬も好き。

 しかし、それより好きなのが、爬虫類や両生類。蛇とか、トカゲとか、カエルとか。

 しかし、母はそれらを好きでいることを許してはくれない。例の如く"女の子らしくない"から。女の子は可愛いものが好きという母の謎理論でいけば、私はトカゲやカエルを可愛いと思っているから好きでいても否定されるいわれはないのだが、残念ながら"可愛い"の基準を決めるのは私ではない。母だ。


「…満ちゃんは犬が好きなのね」


「犬派猫派かで聞かれたら犬派だな」


「望が猫派で、私は中立。百合香は、二択ならどっち?」


「……私も中立かしら」


「あれ、猫派じゃないんだ」


 私のカバンの上に居座る黒猫のぬいぐるみペンケースの肉球を弄りながら海菜が首を傾げる。


「猫も好きよ。けど犬も好き。……あと……これはあまり人に言えないのだけど、爬虫類とか、両生類が好き」


「の、割には爬虫類系の小物は無いね」


「……母が苦手なの」


「あぁー……なるほど。苦手なものは人それぞれだからねぇ……私も満ちゃんも爬虫類両生類平気だけど、望は苦手だしね」


「目が怖いらしいな」


「私はセキセイインコの目が苦手」


「インコ?」


「うん。普段は可愛いんだけど、発情すると黒目が小さくなるんだ。あの目で見られるとなんかこう……視姦されてるみたいで気持ち悪いんだよね……」


「視姦って」


「だってぇ……」


「……?」


「簡単に言えばエロい目で見られてるって感じ。ギラついた目っていえばわかるかな」


「あぁ……」


 鳥からそういう視線を受ける感覚はちょっとよく分からないが、人間の男性からは何度も向けられたことがある。正直、心地よいものではない。


「昔飼ってたけどあの目がトラウマで……」


「今は何も飼ってないの?」


「今は従順なワンちゃんとツンデレなネコちゃんを一匹ずつ」


「あ? 犬も猫も飼ってないだろ。嘘つくなよ」


「望と君のことだけど」


「……ちっ……私よりお前の方が猫っぽいと思うけどな。自由奔放だし、あざといし」


 確かに海菜も猫っぽいが、満ちゃんも人のことは言えない。


「君だって人のこと言えないじゃない。可愛いの自覚してるでしょ?あとほら、でもあるし。にゃん」


「……殺すぞてめぇ」


「……動物じゃない方?」


 何かの比喩だろうか。首を傾げると満ちゃんに「知らない方が良い」と苦笑いされてしまった。「教えてあげようか」とニヤニヤする海菜を止めるほど知られたくないとなると少し気になってしまうが、なんだか聞くのが怖い。


「……まぁでも、私が可愛いのは誰が見ても間違いないな」


「私と自分、どっちが可愛い?」


 海菜の問いに聞くまでもないだろと言う顔で「私」と自分を指差す満ちゃん。「だよねー」と笑う海菜。やはり二人はちょっと変わっている。だけど、この変わっている二人の側は凄く居心地が良い。こんなに居心地の良い場所は初めてかもしれない。家にいるよりよっぽど落ち着ける。


「……さて、そろそろ私は着替えてこようかな。みんなが着替え始めたら入りづらくなるし」


「ん……あぁ、もうそんな時間か」


 次の時間は体育だ。体育の時間は二クラス合同で、男子は更衣室、女子は奇数のクラスの教室で着替えることになっている。海菜はトイレで着替えると言っていた。


「……事情話して女子は二組で着替えるように変えたほうが良いんじゃね? めんどくせぇだろ。そしたらうみちゃんはここで着替えればいいし」


「うーん。そうだねぇ……後で三崎先生と話してみるよ」


「おう」


「じゃあ、また後でね」


「後で」


 海菜が教室を出て行く。それを見てクラスメイトの男子達も時間を気にして続々と体操着を持って教室を出て行く。


「別に鈴木くんはここで着替えても良いと思うけどなぁ」


 一人の女子生徒が呟く。それに対してクラスメイト達も頷く。


「……みんながそう言っても、あいつ自身が人前で脱ぐことに抵抗あんだよ。服を脱ぐと『本当に女の子なんだ』って言われがちだから。顔にも口にも出さないから分かりづらいかもしれないけど、意外と繊細でめんどくせぇ奴なんだよ」


 満ちゃんが彼女の気持ちを代弁する。幼馴染だけあって、説得力は強い。


「月島さんってなんだかんだで鈴木くんのこと大好きだよね」


「付き合ってないとか嘘でしょ」


「仲良いからってなんでも恋愛に繋げんじゃねぇよ。めんどくせぇな。死んでもあのわがまま王子だけは恋人にしたくないね」


 そう言いながらさっさと着替え、教室を出て行ったかと思えば、二組の女子に紛れて、畳まれた制服を持って戻ってきた。そして海菜の机の上に無造作に置いて自分の席に着いた。満ちゃんの後をついてやって来たはるちゃんはまだ気まずそうだ。


「……ゆりちゃん、机半分借りていい?」


「えぇ、どうぞ」


「……ありがとう。……海菜ちゃんはここで着替えないんだね」


「人前で着替えんの苦手なんだよ。あいつ」


「そう……なんだ……。……私が居るから気まずいとかじゃない?」


「自意識過剰だな。別にあいつはそこまで気にしてないよ」


「……そうかな。……そうだと良いな……」


「…めんどくせぇなぁ。直接話してこいよ」


「う……出来たらそうしたいけど……恋敵ですし……」


「望はうみちゃんにベタ惚れだけど、うみちゃんはあいつのこと忠犬としか思ってないから安心しろ」


「やっぱ惚れてんじゃんか……」


「見れば分かるだろ」


「ですよねー……海菜ちゃん気付いてないとか嘘でしょ! ただの幼馴染って言われてあんなにわかりやすく落ち込んでるのに! 『知り合ったばかりの君より、私の方がよっぽど彼のことを分かってる』とか、嫌味じゃなかったらなんなんですか! マウント以外のなんでもないでしょあれ!」


 もー! とこの場にいない海菜に対して怒りを爆発させるはるちゃん。散々怒ったあと、複雑そうな顔で続ける。


「マウント取られて、めちゃくちゃムカついたのに……嫌な人だと思うのに……健気な初恋の話聞いちゃってるから嫌いになろうにもなれないじゃん……なんなんだよ……そのために初恋の話したわけ……?策士かよ……クソ……」


「……まぁ、人の心操るの得意だからな。あいつ。けど、はるちゃんの恋路を応援してるってのは事実だよ。うみちゃんは望に対して恋愛感情は抱いていないし抱かない」


「……どうして言い切れるんですか。幼馴染だから分かるの?」


「うみちゃんの恋愛対象、女だから」


「……ホワッツ?」


「女の人しか好きになんないんだとよ。望は男だから、恋愛対象外」


 口を開けてぽかんとするはるちゃん。知ってたの? と言いたげな顔で私を指差す。頷くと頭を抱えた。


「私も今朝聞いたばかりよ」


「ですよね……け、けどちるちゃん、それ、アウティングってやつじゃないですか? そういうのは本人の口から言うべきことなのでは」


「本人が言って良いって言ったから問題ない。隠してないし」


「隠してないなら最初から言ってくれれば良かったのに……」


「はるちゃんを煽って遊んでたんじゃね?」


「……だとしたら性格悪くないですか?」


「元からクズだよ。あいつは。顔が良いから誤魔化されてるけど」


「でも、好きな人の恋が叶わないって知ってホッとしてる私も人のこと言えんよな……」


「……恋って、そういうものじゃないかしら」


 私もそうだ。きっと、彼女が私以外の誰かに恋をしていると知ったら『叶わないでほしい』と願ってしまう。彼の時だってそうだった。ちょっとしたことで嫉妬していた。


「……めんどくせぇな。恋って。……私には一生分からんままでいいわ」


「でも、悪いことばかりじゃないよ。ね?百合香ちゃん?」


「……そうね」


 始めての恋愛は良いものだったとは言えない。けれど、あれがあったから、変わらなくてはと思えた。"変わりたい"ではなく、"変わらなくてはいけない"と。もう二度と、愛する人を傷つけてしまわないように。


「……ところで、はるちゃんは望の何処が好きなの?知り合ったばかりじゃん」


「一目惚れですよ。見た目と声が好きなの。あと、同級生の割には落ち着いた雰囲気が好き。喋り方も好き」


「……ふーん。まぁ、応援してるよ。はるちゃんなら私が望と遊んでも嫉妬しなさそうだし。あいつに彼女出来ると気軽に遊びに誘えなくなるからさぁ……」


「今まで星野くんに彼女がいたことは?」


「無いよ。けど、あいつのことを好きな女から『星野くんと付き合ってるの?』とか『私が星野くんのこと好きなの知ってて二人きりで遊ぶなんてひどい』って言われることはしょっちゅうあったから。三人とも女だったらただの友達にしか見られないのに、男が一人入るだけで片方が男の恋人にされる。で、それが大体私」


「海菜ちゃんの方が恋人っぽいけど……あぁ、海菜ちゃんはレズビアンだから?」


「いや、噂が流れるまでは公言してなかったよ。前々から噂されてはいたからけど、それは、あいつにフラれた男子が腹いせに流した噂で、誰も本気で信じてはいなかったんだ。半信半疑だった。『そんなわけないじゃん』って庇う子もいた。それが辛かったから、自ら公言し始めたんだろうな。言わなかったら勝手に異性愛者にされるから」


「……私も当たり前のようにそう思ってた。……そういう人がいることは頭では分かっていたはずなのに」


「そんな気に病むなって。本人はそうやって気付いてくれるだけで十分だと思ってるよ。ほら、そろそろ体育館行くぞ」


 気付けば教室には私達三人がぽつんと残されていた。教室を出る際に満ちゃんが黒板の横の鍵を持ち出す。彼女は戸締りのために残っていたようだ。海菜から頼まれていたのだろう。


「ちるちゃん、学級委員?」


「いや、うみちゃんが学級委員だから代わりにやってる」


「なんだかんだで海菜ちゃんに優しいよね。クズだクズだ言ってたくせに」


「クズだとは思ってるけど、なんだかんだで嫌いになれないからな。……お前もそうだろ」


「あんな健気な初恋の話されて嫌いになれるわけ——はっ……まって? 海菜ちゃんまさか、私に星野くんを押し付けようとしてる?」


 まさかという顔をして自分の方を見るはるちゃんに対して、満ちゃんは否定も肯定もせずに苦笑いした。それが肯定の意味なら、星野くんが私にしようとしていることを、海菜ははるちゃんにしようとしているということだろう。海菜も彼の恋を終わらせたがっているのだろうか。都合良く利用しているようにしか見えないが、なんだかんだで罪悪感があるのかもしれない。


 彼女が良い人なのか、人の恋心を弄ぶ悪い人なのか、人によって意見が分かれるかもしれない。星野くんの件だけを聞けば私もきっと、軽蔑している。だけど


『女の人が好きだよって認めた時の『冗談だろ』って空気も辛い。……でも……違うよって、自分を否定する方が辛い。自分だけでなく、相談に乗ってくれた彼女や、昔の私みたいに誰にも打ち明けられずに悩んでることも否定してしまうから。だから私は堂々と、何が悪いんだって笑いとばすの。自分に、否定されるのが怖くて隠れているみんなに、何も間違いじゃないよと言い聞かせるために』


 今朝の彼女の言葉は、優しくなかったらきっと出てこない。彼女の優しさは人に好かれるための偽善だとは思えない。彼女からは人に好かれたいという欲を感じなかった。

 他人の評価を気にせず、自分らしく自由に生きている。それがすごく羨ましい。だからこそ私は彼女に強く惹かれてしまうのだろう。

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