第7話:仲がいいのは幼馴染だから
「おはよう、ゆりちゃん」
「おはよう」
「おはよう、2人とも」
はるちゃんと夏美ちゃんと一緒に電車に乗る。海菜も昨日と同じ時間に乗ると言っていた。昨日彼女達がいた隣の車両に目を向ける。背の高い目立つ学生は居ない。どの駅で乗り込んで来るのだろう。電車が止まる度、隣の車両を気にする。
「……まさかとは思うけど、ゆりちゃんもナイトくんのこと狙ってる?」
夏美ちゃんの一言で、私と同じく隣の車両を気にしていたはるちゃんが「んなぁ!?」と奇声を発し、不安そうな顔で私を見上げた。
「ど、どうしてそうなるのよ」
「いや、だってはると一緒になって隣の車両気にしてるから。王子達のこと待ってるんでしょ?」
「待ってるけど……別に、星野くん個人を待ってるわけじゃないわ。海菜達を待ってるだけ。……高校入って初めて出来た友達だから……一緒に学校行けたら嬉しいなって。……それだけよ」
それだけだ。本当に、それだけ。決してこの感情は恋などではない。
「えー? 何それ。ゆりちゃん、それはちょっとあざとくない? つか、友達ならあたしとはるがいるじゃんよー」
そう言いながら、夏美ちゃんは私に抱きついてくる。別に彼女に抱きつかれてもドキドキはしない。昨日のあれは、やはり気のせいだ。そう。気のせいだ。私は異性愛者なのだから、同性にドキドキしたりはしない。
「もちろん、二人も友達よ。だから、はるちゃんの恋を邪魔したりしないわ。そもそも私は別に星野くんのことは気になってないから」
「そっかぁ……じゃあゆりちゃんの好きな人は別の人か……」
「だ、だから……居ないってば……」
「はっ……元カレに未練があるとか……?」
「それは……無いわ。……彼には私から別れを告げたんだから」
「……なっちゃん」
触れてやるなよとはるちゃんが夏美ちゃんを肘で突いた。
「……ごめんなさい。変な空気にしてしまって」
「ゆりちゃんが謝ることないよ。今のはなっちゃんが悪い」
「うん……すまんかった。触れないでって昨日も言われたばかりなのに……」
「ううん。……元カレと色々あったから、しばらくは恋愛はいいかなって感じなの」
嘘だ。気になっている人がいるくせに。
もう一人の私が言う。
違うわ。これはただの、一過性の感情。
それに、誰かに相談してしまえば余計に勘違いしてしまう。誰にも打ち明けずに自分の中に仕舞い込んで、消えるのを待つ方がいい。
言い聞かせると、私は口を噤んだ。
「……あたし、結構空気読めずにズカズカ言っちゃうことあるって自覚してるから……気をつけてはいるんだけど……ほんとごめん」
「何度も謝らないで。悪いこと言っちゃったってすぐに気づけて素直に謝れるのは、人のこと気遣えてる証拠よ。だから、大丈夫」
「ゆりちゃん……優しすぎるよぉ……天使——ううん。天使通り越して女神じゃん……女神ユリエル様じゃん……」
「め、女神ユリエル……?」
「……女神ユリエル様、どうしたら身長が伸びますか? せめて160は欲しいのです。お願いします。私に身長をください」
「えっ、えぇ? えっと…」
「女神ユリエル様…どうかこの哀れなチビに身長をお恵みください…ついでに私の胸も…」
両手を合わせて拝むように私に向かって頭を下げる二人。急なノリについて行けずに困っていると、おはようと、視界の端から待ち人がひょっこり顔を出した。
「あ、う、海菜…おはよう」
「おはよう」
「おっす」
「おはよう小桜さん、菊池さん、日向さん」
「朝から愉快なことしてんな」
何してるの? と苦笑いする満ちゃん達。
「満殿、女神ユリエル様の御前ですぞ。頭が高いでおじゃるよ」
終わると思いきや、夏美ちゃんの悪ノリはまだ続く。
「なんと……失礼いたしました。女神様」
満ちゃんが悪ノリに乗っかり、頭を下げる。割と本気の演技だ。そこまでノってくるとは思っていなかったのか、夏美ちゃんも少々戸惑っていた。
「女神様……ついに地上に降臨なさったのですね」
星野くんもノってきた。こういうのにノってくるタイプだと思わなかった。意外だ。
「百合香……」
海菜がどこか悲しそうに私の手を取る。
「……君が女神の器だなんて……嘘だと言ってよ……百合香……」
「え、えっと……」
「……王子、彼女はもう百合香さんではありません。女神ユリエル様です」
泣きそうな顔をする海菜の肩にぽんっと手を置き、首を横に振る星野くん。どういう設定なのかは分からないが、海菜が王子で、星野くんはその側近か何かだろうか。
「違う……彼女は……彼女は女神なんかじゃ……っ……」
両手で顔を覆い、泣き始める海菜。つらそうな顔で彼女と私を交互に見る星野くん。
悪ノリを始めた夏美ちゃんとはるちゃんも、もはやついて行けずにぽかんとしている。満ちゃんがパンっと軽く手を叩くと、まるでドラマの撮影でカットがかかったように一瞬で元の雰囲気に戻る。
「ガチでエチュード始めてんじゃねぇよ。引いてんじゃねぇか」
「あはは……ごめん……つい……」
「……最初に乗ったのはちるだろ」
「そうだけど」
「……何今の。三人で予め台本作ってた?」
「まさか。エチュードっていうのは即興劇のこと。私と望と満ちゃんは元演劇部なんだ」
「ふざけてるの見るとつい癖で……」
「一人がふざけると大体こうなるよな。それにしても、女神ユリエルって本当に神話に居そう」
「エルはヘブライ語で神って意味らしいよ」
「じゃあユリエルは百合の神様か」
「そうなるね」
「おぉ、やっぱ女神様じゃん。ユリエル」
「……で、なんで神様扱いされてるの?」
海菜が苦笑いする。「私にも分からない」と首を振ると夏美ちゃんが「女神様みたいに優しいから」私に抱きつく。どうやら懐かれてしまったらしい。
「確かに優しいよね。あと、頭良さそう」
海菜が笑う。なんだかその笑顔が怖いのは多分気のせいだろう。
「そうでもないわ。平均だと思う」
「ユリエルは秀才っぽいけど、王子は天才って感じがする。学年代表に選ばれるってことは頭良いんしょ?」
「まぁねー」
「否定しないんかい」
「こいつ、中学三年間学年トップキープし続けてたからな」
「三年間って……一年の一学期から?」
「そう。時にはオール満点叩き出したりして……さらに運動神経も良いし、美術音楽のセンスもそこそこある。おまけに見た目も良い。天は人に二物を与えずっていうけど、こいつは天に贔屓されまくってんだよ」
「恵まれてる自覚はあるよ。特に人間関係。君とか望とか、私は私の個性を認めてくれる人達に囲まれてる。だからありのままの私で居られる。そのことには感謝しかない。いつもありがとね。満ちゃん、望」
「……ほんと、よくもまぁそんな臭い台詞がぽんぽん出てくるなぁ……人たらしめ」
「……全くだ」
ため息を吐く満ちゃんと星野くん。満ちゃんは満更でもなさそうだが、星野くんの海菜を見据えるその横顔に、悲しみや苦しみの感情が見えた気がした。ふと、私に視線が向けられ目が合う。どうかした? と彼は首を傾げて笑うが、その瞳に、何処か冷たい印象を受ける。私は彼に何かをした記憶はない。しかしなんとなく、彼が私のことを良く思っていないことが視線から伝わる。自意識過剰だろうか。そうであるなら、そうであってほしいと思いながら彼から目を逸らす。
「そういえば、体験入部なに部から行く?」
「あぁ、とりあえず音楽部かなぁ。夏美ちゃん達も一緒に行くんだよね?」
「うん」
「ミノリさんのヴァイオリンの生音、近くで聴けるんだな」
そわそわする満ちゃん。
「満ちゃん、すっかりミノリさんのファンだねぇ」
「……うん。凄かった。……今でもちょっと、思い出すとドキドキするくらい。あんなの初めてだった」
「ヴァイオリンの音色に惚れちゃったんだね」
「……これも恋の一種か?」
「ある意味そうなんじゃないかなぁ。私もあるよ。音に惚れたこと。私の場合はその対象がそのまま、その音を奏でる人に移っていったんだけどね」
「あぁ……ピアノ弾く人だったもんな」
「うん」
「なになに? 王子の初恋の話?」
夏美ちゃんが目を輝かせる。聞きたい? とどこか複雑な顔で問う海菜。夏美ちゃんはその複雑そうな表情に気づいていないのか、聞きたいと目を輝かせたまま答えた。電車を降り、学校までの通学路を歩きながら海菜が静かに語り始める。
「……小さい頃にその人の家に遊びに行った時、帰り際に、帰りたくないって駄々を捏ねた私をあやすためにその人が即興でピアノを弾いてくれたんだ」
「即興って……オリジナルの曲ってこと?」
「うん。私のためだけに、その場で初めて作った曲。それ以来、私が落ち込むたびにその曲を弾いてくれるようになって……気付いたらその人のこと、どうしようもないくらい好きになってた」
「そりゃ惚れちゃうわなぁ……歳上?」
「うん。一つ上」
「意外と近いじゃん。今も好きなの?」
「ううん。……その人には恋人がいるんだ」
「ありゃ」
「恋心を自覚した時から、私の入る隙はないって分かってたんだ。何処からどう見ても両片想いで、お似合いの二人だったから」
「そっか…黙って身を引いたんだね」
「いや。告白はしたよ」
「えっ。二人が両片思いなのを知っていながら?」
「うん。でも、付き合いたいとは言わなかったよ。ただ、想いを告げただけ。恋を終わらせるためと……あと、煽るための告白」
「煽る?」
「……いっそのこと、さっさと付き合ってほしかったんだ。そしたら私も諦めがつくから。なのにどっちも動きださないから、ちょっと煽ってやろうと思って、ライバルさんより先に告白して……事後報告したの。『私もずっとその人が好きで、ついさっさ告白してきたけど、君はいつまでそうしてるつもりなの?』ってね」
「性格悪いでしょ私」と、彼女は自嘲するように笑う。
「全然……性格悪くなんてないじゃん……だって……好きな人のために自ら嫌われ役になったわけでしょ……? 健気すぎるってぇ…」
ぽろぽろと涙をこぼす夏美ちゃん。はるちゃんもちょっと涙目だ。そんな二人を見て海菜も少し泣きそうになっていたが、隣の幼馴染二人は海菜に対して訝しげな視線を向けている。
「……ありがとね。そう言ってもらえると私も救われる」
「でも……私だったら根に持っちゃうな。だって、海菜ちゃんは知ってたんでしょ?その子が海菜ちゃんの好きな人のこと好きだって」
「うん。その件に関してはちゃんと謝罪したよ」
「へらへらしながらな」
「めちゃくちゃキレてたな」
「でも、なんだかんだで二人とは今も仲良しだよ」
「……本当に?海菜ちゃんがそう思ってるだけじゃない?」
「お前なんか嫌いだって未だによく言われるけど、なんだかんだで誕生日はきっちり祝ってくれたし、恋人のためにクッキー作るから作り方教えてくれって来るし……好きだった人に嫉妬されちゃうくらい仲良しだよ。可愛い人でしょ」
くすくすと楽しそうに笑う海菜。その話を聞いているとなんだか、昨日会った海菜の従姉妹の恋人の藤井先輩の顔が浮かぶ。
もしかして——いやいや、まさか。海菜の恋のライバルが藤井先輩だったら、海菜の初恋の人は海菜の従姉妹ということになるではないか。従姉妹は女性だ。つまり彼女は女性を好きになる人ということになる。
だったらなんだと言うのだ。私には関係ないことだ。そもそも、相手は親戚だ。いや、従姉妹同士は結婚出来るからありえない話ではないかもしれない。しかし、従姉妹も海菜も女性で——
「…百合香!」
不意に、海菜に手首を掴まれる。驚き、足が止まる。
「へっ!? な、何?」
「何じゃないよ! 信号、赤だよ」
血相を変えた彼女の指差した方を見ると、歩行者信号が赤になっていた。足は、道路の一歩手前で止まっている。目の前を車が通過していく。あと数歩踏み出していたら今の車と衝突していたかもしれない。
「……ごめんなさい……ボーっとしてた……」
「……今日から六時間授業だし、体育あるけど……大丈夫? しんどかったらちゃんと言いなよ?」
「……ありがとう。大丈夫よ」
「……学校着くまで手繋いでいていいかな。ちょっと……あまりにも心配だから。ね? はい」
そう言って手を差し出す彼女。「手繋ぎたいだけだろお前」と満ちゃんがツッコミを入れるのが聞こえた。それに対して海菜は否定も肯定もせず笑って誤魔化した。
「さ、百合香」
「え、えぇ」
恐る恐る、彼女の手を取る。私の手が、ひと回り大きな手に包み込まれる。繋がれた手から、彼女の体温が伝わる。温かい。
全体的に白く、指先がスラッと細い綺麗な手。爪も短く手入れされている。定期的に磨いているのだろう、艶があって綺麗だ。観察すればするほど、女性の手だという印象を受ける。私は彼女を、女性として認識している。けれど、手を握られただけでこんなにもドキドキしてしまう。
願わくは、この心臓の不整脈が、彼女に伝わってしまいませんように。
「……なんか、学校の前にめちゃくちゃ高そうな車止まってんだけど」
「えっ! すげぇ! リムジンってやつじゃね?あれ」
夏美ちゃんの騒がしい声で現実に戻り、顔を上げると胴の長い白い高級車が一台止まっているのが見えた。
「ここで構いません。あまり近くまで行くと目立ってしまいますから。……出来れば、明日からは電車で通学させていただけませんか?……大丈夫ですわ。彼女もおりますから。……ええ、お父さまにお伝えください」
車から一人の女子生徒が出てきた。私達に気づくとペコリと頭を下げ、車の中に手を差し伸べる。その手を取って、もう一人の生徒が車から降りてきた。
「ありがとう。……あら。日向さんよね? ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう……財前さん……北条さん……」
「……なっちゃんのクラスメイト?」
「おう……同じクラスの財前さんと北条さん」
「
「
こちらもそれぞれ自己紹介をする。
「財前さん……お嬢様だとは聞いてたけど、ガチじゃん……」
「明日からは電車で参る予定ですわ。……お父さまの許可が下りればですけれど」
「……下りますかね」
「まぁ! 他人事みたいに! 許可が下りるかどうかはあなた次第ですのよ!」
「私は車の方が楽で良いんですけど……電車は交通費かかるし……」
「もー! 交通費くらいわたくしが出します! いくらあれば足りますの!?」
「……往復で100万くらいですかね」
「……お待ちなさい。流石のわたくしも騙されませんわよ。せいぜい片道数万円程度でしょう?」
「いやいやいや……片道数百円で済むってば……どんな高級列車乗ろうとしてんの……」
「……えっ、小銭で電車に乗れるのですか? 本当に?」
「逆にこっちがびっくりだよ……どんな生活してきたんだよ……」
「……財前さん……面白いね」
そう呟いた海菜はおもちゃを見つけた悪戯っ子のような顔をしていた。変なことを吹き込まなければ良いのだが。
「財前さん、これの言うことはあんま信用しない方がいい」
「えー……ひどーい……」
「……えぇ。気をつけますわ」
「私そんなに胡散臭いかなぁ……」
「……そうだな。あと、性格が悪い」
「えぇ!? 望ひどーい!」
「自分で言ってたくせに」
海菜を揶揄うように笑う星野くん。海菜も特に本気で怒っている様子はない。「仲良しですのね?」とニヤニヤする財前さん。「幼馴染だからね」と二人は示し合わせたように声を合わせて笑う。しかし、同じ言葉を放つ二人の表情には、微妙な差があるように見えた。
「幼馴染……ですか……」
「うん。私と、望と、満ちゃん。ここ三人は保育園から一緒なの。だから仲良し。ずっとこの関係は変わらないよ。今までも、これからも。ね? 望?」
どこか言い聞かせているようにも聞こえる海菜の言葉に、星野くんは少し遅れて「そうだな」と海菜の方を見ないまま返事をする。私の手を握る海菜の手に篭る力が少し強まった気がした。二人の間には何かある。そんな気がする。
付き合いの長い満ちゃんはどう感じているのだろう。目が合うと彼女はどうした? と首を傾げた。気づいていないのだろうか。二人と付き合いの長い彼女が何も違和感を覚えないのなら、この妙な空気は、私の思い違いだろうか。
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