第6話:この恋を一過性とは言わせない
入学式で目の前に座る髪の綺麗な女の子に、一目惚れをした。
自己紹介で初めて声を聞いて、ますます興味を惹かれた。どんな子なのだろう。話してみたい。入学式の終わり、帰ろうとする彼女を呼び止めたのは無意識だった。『私もあなたと話して見たかった』と微笑まれ、心臓が飛び跳ねた瞬間、私は人生で二度目の恋をしたのだと確信した。
思春期の同性への恋愛感情は一過性のものだとか、憧れを恋と勘違いしてるだけだとか、昔はそんなことを言われていたらしい。大人に相談して『やがて異性を好きになるから大丈夫』とアドバイスをされた中高生も居たのだとか。
自分は同性愛者かもしれないと気づいた時、真っ先に相談したのは母だった。どういう反応をするのだろう。困らせてしまうだろうか。否定されるだろうか。様々な不安を抱えながら、勇気を出して『好きな女の子がいる』と母に打ち明けた。すると母の反応は意外なものだった。
『僕も初恋は女の子だったよ』と特に重要なことではないと言うように、サラッとカミングアウトしたのだ。
母は父と結婚して、私と兄の二人の子供が居る。やはり母も『いつかは異性を好きになれる』と言うのだろうかと一瞬身構えた。しかし、母はそうは言わなかった。『大人になった今でも恋愛的な魅力を感じるのは女性だよ』とはっきりそう言った。では、何故父と結婚したのか。私と兄は本当に父と血が繋がっているのか。その疑問にも母は包み隠さず答えてくれた。曰く、母の恋愛対象は女性だが、父は例外らしい。そこからの父との甘ったるい惚気話は割愛するが、私と兄は正真正銘、父の子で間違いないようだ。『不安なら親子鑑定でもするか?』と聞かれたが、流石にそれは断った。そこまでする必要はない。
現役のバーテンダーとして酒の席で様々な人間の本音を聞き出してきた母曰く、世の中には、そもそも恋愛感情を持ち合わせていない人も居るらしい。母も実際に当事者に会うまでは当たり前のように誰もが誰かと恋をするものだと思っていたようだ。
恋愛感情を持たない人達のことは"アロマンティック"といい、他者に対して性的欲求を抱かない人を"アセクシャル"というらしい。
アセクシャルかつアロマンティックという人もいれば、アセクシャルだけどアロマンティックではないという人も居る。前者はアロマンティック・アセクシャル、後者はロマンティック・アセクシャルあるいはノンセクシャルというらしい。他にも、アロマンティックやアセクシャルだと思ってたけど例外に出会った人…と、アセクシャルやアロマンティックだけでも様々だ。
セクシャリティは人の数だけあるなんて言われるくらい複雑らしい。
LGBT——レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの4つはあくまでも代表に過ぎないのだと母に教わってから、セクシャルマイノリティについて自分で調べるようになったが、調べれば調べれるほど奥が深い。
調べる内に、同性愛者の同性というのは身体の性ではなく性自認から見て同性だということを知った。そして、性自認というのは男性女性の二択でなくともいいそうだ。戸籍に女性と書かれていたり、アンケートの性別欄の女性に丸をつけなきゃいけないことがなんとなく嫌で、その他がある時はその他にしていた。身体が女性だという自覚はあるものの、自分を女だと自称することはなんとなく違和感を覚えていた。男女以外の性を自認してもいいという発想が今までなかっただけで、私は男女以外の性を自認する人間——Xジェンダーに当てはまるかも知れないことに気づいた。
それに気付いてからは同性愛者ではなく
LGBTという言葉が広く知られており、中学でもそう習ったが、最近ではLGBTQやLGBTsなんて表記されることも多い。 Qはセクシャリティを決められない、もしくは分からないでいるというクェスチョニング、あるいは、セクシャルマイノリティの総称であるクィアの略で、sは複数形のsだ。個人的には
私は、初めて恋を知った時から今までずっと、同性にしか興味を惹かれなかった。この先もそうであるとは、母の事例もあるため一概には言えない。けれど、自分がセクシャルマイノリティの当事者であることは確かだ。
初めて恋をした相手は、一つ年上の従姉妹だった。
ずっと髪を伸ばしていたのは、彼女に可愛いと褒められたかったから。母に彼女の名前を出さずに相談をして、自分の感情を素直に認めた後は、彼女本人に伝えた。彼女は驚いていたが否定するようなことは一言も言わなかった。言葉を選ぶように詰まってから最終的に出した言葉は『私には好きな人が居る。だから君とは付き合えない』の一言のみ。同性だからとも、従姉妹だからとも言わなかったのは、私に対する配慮だったのかもしれない。その好きな人が誰かは最初から分かっていた。告白したのは付き合いたいからではなく、自分の感情に決別したかったからということを説明すると、彼女は『私を好きになってくれてありがとう』と一言お礼を言って泣きながら笑った。あの時の笑顔はきっと、一生忘れない。
その次に打ち明けたのは彼女の今の恋人。彼が彼女のことを好きなことは知っていた。二人が両想いであることも。それを知っていて、彼に打ち明けるより先に彼女本人に告白したのは、彼に対するちょっとした嫌味だった。彼が私のことを大嫌いと言うのは、当時のことを根に持っているからかもしれない。けれどきっと、私が煽らなかったら彼は今も告白出来ずにいただろう。不本意ながらキューピットになってやったのだから、少しは感謝してほしい。
一連のことを二人の幼馴染にも打ち明けたが、二人とも『やっぱり?』という反応だった。
今のところ、打ち明けた人達は誰も私のことを否定しなかった。勝手に、私がそうだと暴露されたこともない。だけど実際、自分のセクシャリティを勝手に暴露され、周りから好奇の目で見られ、ストレスで自殺した人も居ると聞いた。私は人に恵まれているのだろう。
「
「ありがとうございました。うみちゃん、また明日」
「じゃあな。海菜」
「うん。また明日」
みんなと別れたところで母が『百合香ちゃんのこと好きなの?』とニヤニヤしながら私を見る。
「……うん」
「ふーん……ああいう子がタイプなんだ」
「うん。……母さんは?」
「僕? 僕は……うーん……
レオンというのは父の名前。綺麗な音と書いて麗音。字面だけ見ると女性みたいだが、日本人男性だ。昭和生まれにしては珍しい名前だが、祖母が白百合歌劇団という女性だけで構成される歌劇団のファンで、その歌劇団の人から取ったらしい。
両親は幼馴染で、結婚して子供が高校生になった今でもお互いを名前で呼び合っている。周りからは驚かれるが、私にとってはこれが普通だ。むしろ、周りの両親がお互いを"お父さん"、"お母さん"と呼び合っている方が私にとっては不思議だった。
もう一つ驚かれるのが、母の"僕"という一人称。これも私にとっては普通だ。特に違和感を覚えたことはない。
「ごちそうさま」
昼食を済ませて部屋に戻ったタイミングで、LINKに百合香からメッセージが届いた。『もう家に着いた?』の一言。『着いたよ』と返す。文字のやり取りより、声が聞きたい。『電話してもいい?』と送ると、すぐに彼女の方から電話をかけてくれた。彼女も同じ気持ちだったのかななんて淡い期待を抱きながら、応答する。
「もしもし百合香ー?」
「どうしたの? 何かあった?」
心配そうな声だった。急だから、何か相談があるのかと思ったのだろうか。
「ごめんね。心配させちゃったかな。特に何も無いよ。ただ、君の声が聞きたかっただけ」
「な、何よそれ…もう…また揶揄って…切るわよ」
心配して損したと言わんばかりに不機嫌になる。
「わー待って待って。お話しようよぉ…」
「…別にあなたと話すことなんてないわ」
「そんなにツンツンしないでよハニー」
「誰がハニーよ」
「ごめんってば。体調、どう?良くなった?」
「最初からそう聞いてくれる?」
「ごめんごめん。…元気そうでよかった」
「…心配してくれてありがとう」
彼女は多分、何か悩んでいる。私の杞憂かもしれない。けれど、もしも何か重い悩みを抱えているのなら、私に分けて欲しい。分けてもらえる存在になりたい。
「ふふ。『心配しすぎよ』とは言わないんだ」
「…心配しすぎよ」
「あははっ」
「…もういいかしら。切るわよ」
「うん。いいよ。君が元気なことも確認できたし。…明日も同じ時間の電車?」
「えぇ」
「私達も同じ時間乗る予定。会えたらまた一緒に学校行こうね」
「…えぇ」
「じゃあ、また明日ね」
「また明日」
通話を切る。
「…早く明日にならないかな」
会いたい。明日が待ち遠しい。
まだまだ彼女のことについて、知らないことは多い。だけど、人柄はなんとなく分かってきた。男性扱いも女性扱いもされたくないという私の想いを汲み取り"女性らしい"という一言が私の気に障ったのではないかと考えることができるのは優しい証拠だ。
「…百合香」
彼女の綺麗で上品な名前を口にする。それだけで心臓の鼓動がいつもより早くなる。
「…私、百合香が好き」
呟いた想いは誰にも届かずに消える。本人にこの想いを伝えたら、どういう反応をするのだろう。初恋の彼女や、幼馴染達と同じように私を否定せずに認めてくれるだろうか。願わくば『私もあなたが好き』と返してほしい。君の綺麗な声で、愛してると囁いてほしい。
私のこの感情を、思春期特有の一過性の感情だとか、憧れと勘違いしてるだけとか、いつかは異性を好きになれるから大丈夫とか、そんなことは誰にも言わせたりしない。この想いは紛れもなく恋だと、私の心臓が主張している。私はその主張を、もう否定したりはしない。
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