第5話:これはきっと、一過性の感情

「それじゃあ、明日から授業だから教科書忘れるんじゃないぞ。ノートもちゃんと新品を用意しておけよ。たまに自己紹介で一時間潰れるだろとか油断してノート用意してこないやついるから。ノートも必ず用意する様に。以上でHRを終了する。何か連絡事項ある奴いるか?ないなら終わるぞ」


 出席番号2番の飯田いいだくんの号令で高校生活二日目が終了する。


「百合香、一緒に帰ろう。帰る方向一緒でしょ?」


「えぇ」


「望は校門で待ってるって。菊池さん達と一緒に」


「ほーい。じゃあ行こうか」


 海菜と月島さんと一緒に校門へ向かう。途中すれ違う上級生から度々声をかけられる海菜。どうやら上級生の間で既に知れ渡っているようだ。


「お、居た居た。望、お待たせーって……」


 校門の前には星野くん達の他にもう一人いた。二年生だ。


「あれ、まこちゃんじゃん。部活は?」


「今日は休みだから一緒に帰ろうと思って。……つーか、まこちゃんって呼ぶんじゃねぇつってんだろ」


「今更だろ。一日早く生まれただけで先輩面すんなって」


 馴れ馴れしい態度で先輩の肩をペシペシ叩く月島さん。先輩はやめろと不機嫌そうに彼女の手を振り払う。


「百合香、この人は二年生の藤井ふじいまことくん。私達の幼馴染で、4月1日生まれ。1日早く生まれちゃったから私達の先輩になっちゃったかわいそうな人なんだ」


 海菜が先輩の紹介をしてくれる。


「いや、俺はお前らと同級生にならなくて良かったと思ってるけど」


「可哀想だから先輩扱いしないであげてるのにその言い方なくない?」


「あのなぁ……」


幼馴染だけあって仲がいいらしい。


「……小桜百合香です。海菜と月島さんのクラスメイトです」


「おう。……こいつらと同じクラスとか大変だな」


「いえ。全然そんなことないですよ。二人とも良い人です」


「……まぁ……確かに悪い奴らではないんだが……」


「まこちゃん、私達のこと大好きだもんねぇー?」


「大嫌いだよ。特に海菜」


「好きと嫌いは裏表だよ。まこちゃん。つまり君は私のこと大嫌いって言えちゃうくらい大好きってことだね」


「意味わかんねぇ理屈やめろ」


「……本当に嫌いだったらわざわざ待たないですよね」


「先輩、ツンデレですな」


 日向さんと菊池さんまで彼を弄り始める。星野くんが苦笑いしながら「その辺にしておいてあげて」と止めた。


「……いじられキャラなんですね」


「主に海菜とちるのせいでな」


「ちる?」


「満だからちる」


「月島さん、ちるって呼ばれてるの? 可愛い〜。あたしもちるって呼ぶわ」


「あぁ、お好きにどうぞ。なっちゃん」


「小桜さんもゆりちゃんって呼ぶね。あたしも好きに呼んで」


「えぇ。じゃあ……夏美ちゃん。と……はるちゃん」


「えへへ。ゆりちゃん」


「私も満でいいよ。ゆりちゃん」


「……じゃあ、満ちゃん。……星野くんは星野くんでいい?」


「あぁ。好きにしてくれ」


「俺のことは藤井先輩と呼んでくれよ」


「えっと……まこちゃん先輩?」


「……小桜さんは俺をいじらないって信じてたのに……」


 フリだと思って乗ったのだが、落ち込まれてしまった。慌てて訂正する。


「ご、ごめんなさい……。フリかと思って……」


「フリじゃねぇよ。天然か?」


「ごめんなさい。わかりました。藤井先輩」


 私がそう呼ぶと、彼は嬉しそうに顔を輝かせてこくこくと頷いた。なんだか可愛らしい人だ。愛されキャラなのがなんとなく分かる。


「お前達も小桜さんを見習え!」


「俺は先輩って呼んでますし、敬語も使ってるじゃないですか。まこちゃん先輩」


「だから! そのまこちゃんってのをやめろって言ってんだよ!」


「あたしは可愛いと思いますけどね。まこちゃん先輩」


「親しみやすくていいと思いますよ。まこちゃん先輩」


「くそ……生意気な後輩が増えた……」


「……と、ところで、藤井先輩は何部なんですか?」


「あぁ……俺はサッカー部。マネージャーも募集してるから興味があったら来てくれ」


「すみません。マネージャーはちょっと」


「即答かよ」


「運動部のマネージャーってなんかこう、媚び売ってるって言われそうで嫌だよね」


 夏美ちゃんが苦笑いする。


「あー……まぁ、確かに……分からなくはない。うちのマネージャーも先輩目当てに入ってきてるし」


「……好きな人追いかけて部活決めるってやっぱ周りから見たら痛いんですかね」


 はるちゃんが複雑そうな顔で呟く。


「好きな人と同じ学校行きたいって理由で高校決めた人ならここにいるけど」


 海菜が藤井先輩を指差す。


「海菜てめぇ!」


「えー、まこちゃん先輩可愛いー」


 夏美ちゃんに弄られ、顔を真っ赤にする藤井先輩。「ちなみにその人とはどうなったんですか?」とはるちゃんが真剣な顔で問う。


「ど、どうも何も……ここ来る前から付き合ってるし今も続いてるけど……つか……同じ学校行きたいって言ったの俺じゃなくて向こうだから! 俺は別に……行きたい高校とか元々なかったし……まぁいいかって感じで……」


「まぁいいかで自分のレベルでは受からないって散々言われてる学校受けないよね。普通」


「う、うるせぇな……」


「まこちゃん先輩、やっぱツンデレじゃないですかー」


「だ、誰が!」


「でもちょっと羨ましいなぁ……あたしも一途で可愛い彼氏ほしいー。みんなは彼氏彼女いないの? ゆりちゃんとかモテそうだけど」


「わ、私? 私は……今は居ないわ」


「……ほう? ってことは、いたことあるの?」


 中2の春から秋まで付き合っていた同級生がいた。元カレは純粋で、紳士的で、優しい人だった。付き合っても、手すら気軽に繋げないような照れ屋なところが可愛くて好きだった。彼の前では素の私でいられたし、ヒーローになりたかったという小さい頃の夢も、女性らしさを求められることが辛いことも彼には話せた。彼の前では本当の私でいられた。けれど母の理想にそぐわない人だった。母にバレて叱られるのが怖くて、母の理想の娘に戻れなくなるほど好きになってしまう前に私から別れを告げた。

 理由を正直に話したが『飽きたからって正直に言ってよ。お母さんを言い訳にするなんて最低』と言った彼の軽蔑するような顔が忘れられない。


「……あまり良い思い出じゃないの」


 愛想笑いをして誤魔化す。あまり思い出したくない。そんな私の思いを察したのか、それ以上は聞かないでくれた。


「……そうか。分かった。じゃあ、好きな人は?」


「好きな人……」


 真っ先に浮かんだのは隣にいる彼女の顔。慌ててかき消す。


「い、今は居ないわ」


「えー嘘。居るって顔してるよ。中学の子? クラスの子? 他校の子? 先輩とか?」


「だ、だからいないってば……み、満ちゃんは?どうなの?」


「私に振るかぁ……そういうのまだよく分かんないんだよなぁ……」


「じゃ、じゃあ海菜……」


「えー?……うーん……内緒」


 人差し指を唇に当て、照れ笑いする。居るのだなと、何となく察すると共に、胸がきゅっと締め付けられた。


「居る顔してるって」


「あはは。付き合ってる人はいないよ。……でも、ちょっと気になってる人は居る」


 気になってる人。どういう人だろう。どういう人がタイプなのだろう。


「クラスの子?」


「それ以上はまだ内緒。小春ちゃんは?」


「わ、私ですか?」


「はるは聞くまでもないでしょ」


「な、何でだよ」


「分かりやすいからなぁはるは。というわけで最後はナイトくんだね」


「俺は居ないよ」


 さらっと答える星野くん。はるちゃんがホッと安心したように息を吐く。なるほど、確かにわかりやすい。


「ということはリア充は先輩だけかぁー……いいなぁー……先輩の彼女ってどんな人?」


「クロッカスのドラムやってる子」


「あぁ! えっと……ソラミさん!」


 海菜が自分の従姉妹だと言っていた人だ。


「そう。本名は安藤あんどう空美そらみ。ちなみに海菜の従姉妹」


「従姉妹!? えっ! 似てな!」


「所詮従姉妹だからね。兄弟ほどは似ないよ」


「つってもみなとさんよりは似てるだろ」


「ミナトさん?」


「私の兄。私より三つ歳上の社会人。写真見る?」


 海菜が「去年の夏の写真」と言って夏美ちゃんにスマホを渡す。覗きこむとそこには海をバックに水着姿——半袖のラッシュガードを着ていて上半身の露出はほとんどない——の海菜と、星野くん、藤井先輩、満ちゃん、そして数人の男女が写っていた。

 藤井先輩の腕にしがみ付く十代後半から二十代前半くらいの女性が一人。この人が空美さんだろうか。一つしか変わらない割には大人びて見える。藤井先輩は照れているのか、彼女の方を見ずに明後日の方を見ている。

 女性の隣で二人を見て苦笑いする二十代くらいの青年が一人、その隣に高校生くらいの男子が一人。女性を挟んで反対側に、海菜、満ちゃん、星野くん。

 海菜のお兄さんは三つ歳上だと言っていた。空美さんと思われる女性の隣にいる男性は三つ上にしては少し大人びているように見えるが、その隣の男子は三つも離れているようには見えない。藤井先輩、もしくは私達と同い年に見える。三つ歳上で去年の写真ということは、高校三年生だ。どちらの男性が高校生っぽいかと言われたら、後者かもしれない。前者の男性は高校生には見えない。


「この人がお兄さん?」


 後者の男性を指差し、海菜に確認する。どうやら当たりだったようで、嬉しそうに頷いて両手で丸を作った。


「あれ、そっち? あたしこっちかと思った」


 夏美ちゃんが指差したのは大人びている方の男性。


「そっちはみぃちゃんのお兄さん。ちなみにうちの兄と同級生」


「えっ見えない」


「夏美ちゃん達は兄弟居るの?」


「あたしは一人っ子。はるはお兄さんが居る」


「五つ年上の大学生だよ」


「百合香は?」


「私は……」


 私には兄が一人いる。けれど一緒には暮らしていない。私の両親は教育方針の違いで別居をしてる。私は母に、兄は父に引き取られた。

 女性らしさを押し付けてくる母とは違い、父は「性別なんて関係なく自分らしく生きればいいよ」と言う人だった。

 兄と一緒に戦隊ヒーローごっこをしていても止めなかったし、ヒーローになりたいという夢も否定しなかった。母がその夢を性別を理由にして否定した時、穏やかで滅多に怒らない父が初めて怒ったのを今でも鮮明に覚えている。私は私の趣味を認めてくれる優しい父が大好きだった。

 大好きな父は、家を出る時に私を抱きしめ、泣きながら私にこう願った。

『君は小百合さゆりの側に居てあげて。小百合を一人ぼっちにしないであげて。君まで居なくなったらあの人は壊れてしまう。君があの人を守るヒーローになってあげて』と。


 父は母のことを異常なほど深く愛していた。もはや執着と呼ぶべきほどに。別居をしているのに離婚をしていないのがその証拠だ。兄を連れ出したのも、子育ての負担を半分請け負うためかもしれない。残されたのが兄ではなく私だったのは、私が女の子だったから。


 都合良く夢を利用されたのは分かっている。それでも私は、私を愛してくれた父を嫌いになれなかった。父の想いを無下にすることは出来なかった。そして大好きな父が愛する母のことも、心の底から嫌いになることが出来ない。

 父から母に対する重苦しい愛が、同じくらい重い母から私に対する愛が、私から父に対する信仰にも似た敬愛の感情が、私の中に、母に対する同情という余計な感情を芽生えさせてしまった。そして、その芽は月日を経て大きく育ち過ぎてしまった。母に対する恐怖と同じくらい、私の本心を覆い隠してしまうほどに大きく。


「……百合香?」


「……あ……ごめんなさい……私も兄が一人居る」


 私の大好きな父に引き取られた、羨ましくて妬ましい、兄が一人。


 兄も私と同じく、生まれ持った性に従った生き方をすべきだと母に教育されていた。男だから泣くな、"女の子が好きになる物"を好きになるなと。ランドセルを選ぶ頃にはもう兄は居なかったが、居たらきっと、私の選びたかった色から選ばされていたのだろう。

 父に引き取られた兄は自分の好きな色のランドセルを背負って小学校に通っていたのだろうか。父だったらきっと、性別なんかに縛られない自由な選択肢をくれていた。


「ゆりちゃん妹なんだ。下が居そうなのに意外。お兄さんの写真ある?」


「ううん……無いわ。幼い頃から、家庭の事情で別居してる父と暮らしてるの」


「そうなんだ……なんか……悪いこと聞いちゃったかな」


「……大丈夫よ」


 空気を重くしてしまった。


「……ごめんなさい。空気を重くしてしまって。……星野くん達は? 兄弟いるの?」


 なるべく自然に会話を繋げる。


「あぁ、俺は五つ年上の姉が一人」


「私は一つ下の弟が一人」


「俺は一人っ子だけど……こいつらのことは妹とか弟みたいなもんだと思ってる」


「私もまこちゃんのことは弟みたいに思ってるよ」


「俺の方が歳上だっつーの!」


「あははっ! ごめんごめん」


 海菜の冗談で一瞬重くなった空気がすぐに軽くなった。私の心も少しだけ軽くなる。


「星野くんのお姉さん、五つ年上ってことは私の兄と同い年かな? 今年で21歳?」


「そう。21歳の大学生」


「写真はー?」


「無い」


「えー……見たかったなぁ」


「……私の弟の写真ならあるよ。ほれ」


「おー……めちゃくちゃ美少年じゃん」


「おう。私に似て可愛いだろ」


 自分を指差してドヤ顔する満ちゃん。自分を可愛いと自覚しているようだが、ここまで潔いと嫌味が無い。


「性格は? 似てるの?」


「いや。全然。姉は狂犬だけど弟は子犬って感じ。ちなみに弟のあだ名はポチ」


「へぇ……可愛い系なんだ」


「ちると違ってな」


「あ? 何言ってんだ。私も可愛い系だろ」


「いや、どこがだよ。魔王とか悪魔とか狂犬とか物騒なあだ名ばっかつけられてたくせに」


「バーサーカーってのもあったよね」


「ねぇよ。勝手に増やすな」


 ごめんごめんとくすくす笑う海菜。バーサーカーとは何かと質問すると、元々はベルセルクと呼ばれる北欧神話の戦士だと教えてくれた。日本語では"狂戦士"と表現されることが多いらしい。


「見た目とあだ名のギャップやべえな。つか、王子とよく一緒に居る星野くんがナイトなんだから、ちるは姫とかじゃないの?」


「……姫はなかったけど、お嬢ってあだ名はあった」


「ヤクザの娘じゃん」


「姫の座はゆりちゃんに譲ってやるよ」


「確かにゆりちゃん姫っぽい。高貴な感じするし」


「姫というか、王女って感じする」


「あー、分かるかも。王子と並ぶといい感じだよね。絵になる」


 お姫様みたいとはよく言われる。女の子にとって最高の褒め言葉だと母は言う。物語のお姫様には大体王子様が居る。『付き合う相手はお姫様にふさわしい王子様みたいな素敵な人を選びなさいね』と、母は口癖のように言っている。隣に並ぶ海菜を見上げる。目が合うと、どうしたの? と優しく微笑み首を傾げた。

 母の理想の男性は王子様みたいな人。見た目が良くて、頭が良い人。海菜は学年代表に選ばれるくらいだ。きっと頭が良いのだろう。

 母はきっと、この人なら文句無しに交際を許してくれるだろう。ただしそれは、この人が男性だったらの話だが。LGBTを障害だと思っている母が同性との交際なんて許してくれるわけがない。

 だけど、好きになる相手は選べない。私の意思とは関係なく、心臓が勝手に選んでしまう。並んで絵になると言われただけで嬉しくなってしまう。目が合い微笑まれるとドキドキしてしまう。気になる人がいるという一言で苦しくなってしまう。心臓が、彼女が好きだとうるさく主張する。いやいや、まさか。

 しかし、この気持ちは限りなく、元カレに抱いていた感情に、恋に似ている。けれど、はっきりとそうだと認めてしまう勇気は私にはまだない。もう少し考えさせてほしい。出来れば勘違いであってほしい。一過性の物であってほしい。もうあんな思いはしたくない。母に反対されないような人を好きになりたい。母の言いなりになりたくないと散々思っているくせに、矛盾している。


「……百合香、大丈夫? 体調悪い?」


「……少しだけ。でももうあと帰るだけだもの。帰って休めば大丈夫よ」


 駅の階段を降り、地下鉄のホームに向かう。ホームは人が多く、ざわついている。なんだか異様な空気だ。


「……あ、電車止まってる」


 発車標を見て海菜が呟いた。


「えっ、嘘。マジ? うわぁ……」


 発車標に赤色で流れる、"人身事故の為運転を見合わせています"の文字列。みんなが心配するように私を見た。


「お兄ちゃんが迎えに来てくれるみたい。ゆりちゃんも一緒に乗ってく?」


 はるちゃんがスマホを見ながら言う。母に迎えを頼もうと思ったが、そうしないで済むならそうしたい。


「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」


「流石あき兄。あたしも乗せて」


「うん。海菜ちゃん達はどうするの?」


「私達は大丈夫だよ。母さんが迎えに来てくれるって。とりあえず外出ようか」


 引き返し、地上に出て近くのベンチに腰かける。風が桜の木を揺らし、桜吹雪が舞う。春休みの間に満開を迎えてしまった桜は、もうあまり残っていない。数日もすれば全て散ってしまうだろう。母曰く、桜に関する名前も私の名前の候補として上がっていたらしい。桜は母の言う女性像のイメージに近い。可愛らしくて、儚くてか弱くて——守ってあげたくなるような、そんなイメージ。

 対して百合は強い女性のイメージだ。花言葉の一つに"威厳"というものがあるほど。異性に守られなくたって、媚びなくたって一人で生きられる、強くて美しくてカッコいい女性。私はそんな女性になりたい。威厳という花言葉に相応しい人に。例え異性にちやほやされなくなったとしても。むしろされなくていい。異性から下心のある目で見られるのも、同性から媚びていると陰口を叩かれるのもストレスだ。


「おーい! 海菜ー!」


 海菜によく似た声が、彼女の名前を呼ぶのが聞こえた。声の主と思われる人が近づいてくる。親族だとすぐに分かるほど海菜によく似た人だった。海菜同様背が高くて中性的。化粧っ気はほとんど無い。"が迎えにくる"という情報がなければ、父親なのか母親なのか判別がつかなかったかもしれない。


「あれ、まこちゃんも居る。君、部活は? サボりか?」


「休みっす」


「そうか。みぃちゃんは部活?」


「はい」


「なるほどね。そっちのお嬢さん達は? 海菜の同級生?」


「うん。クラスメイトの百合香と、夏美ちゃんと小春ちゃん。彼女達は別のお迎えが来るから大丈夫だよ」


「そうか。……」


 海菜のお母さんが真剣な顔で私を見つめる。


「な、何か?」


「……あぁ、ごめん。知り合いに似てるなぁと思って。ユリカちゃん……だっけ。どういう字を書くの?」


「百合の香りです」


「ふぅん……なるほど……上品で綺麗な良い名前だね」


 海菜と同じ声で、同じ顔で、同じことを言う彼女の母親。


「海菜にも同じこと言われました……」


「あははっ。そんな気がした。うちの娘のこと、よろしくね」


「は、はい。こちらこそ」


「そっちのお二人さんもね」


「あっ、はい」


「はい」


「じゃ、海菜達、行こうか。お嬢さん方、またね」


 じゃあねと手を振りながら4人を連れて去っていく海菜のお母さん。私と夏美ちゃんとはるちゃんが残される。


「……キャラ濃いな。てか、海菜ちゃんだな」


「……コピーだったな。お父さんどんなんだろう」


「絶対濃い。お兄さんも濃そう」


「ナイトくんのお姉さんも気になるよなぁ……美人そう。モデルとかやってそう」


「顔が良いのは確かだよね。星野くんのお姉さんだもん」


「顔面偏差値高いよな……あの三人。ちるとか自分が可愛いって自覚してたし、王子も自覚してそう」


「ゆりちゃんも負けず劣らずだよね。海菜ちゃんの隣にいても霞まないもん」


「みんなと一緒に居るとあたしとはるはモブキャラって感じ」


「こら、私も巻き込むな」


「ごめんごめん。モブにしてはちょっと小さすぎるわ」


「……これから伸びるもん」


「はははは。無理だろ」


「無理じゃないし! 私の成長期はこれからなの! …あっ」


 私達の目の前に紺色の軽自動車がハザードランプを点滅させ、止まる。窓が開き、運転席から男性が顔を覗かせて笑顔で手を振った。


「はるちゃんのお兄さん?」


「うん。そう。なっちゃんとゆりちゃんは後ろね。私助手席乗るから」


「はーい」


 夏美ちゃんと一緒に後部座席に乗り込む。


「アキ兄、お邪魔しまーす」


「お邪魔します」


「おう。って、あれ、なっちゃんだけじゃないのか」


「桜山中出身の子。近くだからついでにって」


「小桜百合香です」


菊池きくち秋人あきひと。小春の兄です。妹共々よろしくね」


「はい。よろしくお願いします」


「えっと、小桜さんはどの辺でおろせば良い?」


「じゃあ、地下鉄の駅の近くでお願いします」


「ほーい」


 他人の車に乗ることはほとんどない。なんだか落ち着かない。窓の外の移り変わる景色を眺め、気を紛らわせる。


「窓開けてもいいですか?」


「あぁ、構わないよ」


 許可を得て窓を開けると、心地良い自然の風が入ってくる。


「小桜さんはどっちのクラスメイトなの?」


「いえ。二人とは別のクラスです。今朝、駅で出会って、夏美ちゃんが話しかけてくれたんです」

 

「流石なっちゃん」


「へへ…」


 そういえば今は何時なのだろう。時間を確認しようとふとスマホを見ると、LINKに母から大量のメッセージがきていた。母に連絡を入れるのを忘れていたことにすぐ気づく。慌ててLINKを開き、電車が人身事故で止まっていたことと、友達と一緒に送って貰うことを説明し、連絡を入れ忘れたことを謝罪する。特におとがめは無く『ご飯冷めちゃったから温め直して食べてね』の一言だけ返ってきたことにホッとする。


「ゆりちゃん、明日も同じ時間に電車乗る?」


「えぇ。そのつもり」


「じゃあ明日から一緒に学校行こ。はるもいいよね?」


「うん。いいよー」


「ありがとう」


「部活決めた?」


「裁縫部入ろうと思ってる」


「おっ、じゃあ一緒に体験行こー。はるが行きたいって言うからさー」


「えぇ。海菜達と一緒に行く約束してるから聞いてみるわね」


「王子も裁縫部入るん?」


「ううん。海菜は演劇部入るって。だから演劇部と、裁縫部と、あと音楽部も一応体験しに行くつもり。夏美ちゃんは?」


「あー音楽部なぁ……いいよなぁバンド……あたしも一応見るけど……本命はダンス部なんだよね。中学の頃ダンス部だったんだ。高校でも続けようと思って。はるも一緒に続けるとか言ってたくせに、急に裁縫部入りたいとか言い出しやがって」


「……ごめんなっちゃん」


「いいよ。裏切ったとか思わないし、そんなことで壊れるような友情じゃねぇから。はるがお裁縫得意なのも知ってるし。活躍出来ると思う。別に同じ部活に入ることを強制したりはせんよ」


「うん。裁縫は得意だし好きなんだけど……理由はそれだけじゃなくて……」


「うん?」


「その……星野くんが……演劇部入るらしくて…」


「……ほーん。その理由はちょっとムカつくな」


「うっ。すまん」


「いや、いいけどさ。てか、そしたら普通演劇部じゃね?……あ、そっか、裁縫部はほぼ演劇部の一部なんだっけ」


「……演劇部入ったら露骨過ぎるし」


「裏方にまわるにしたってはる、力ねぇしな。照明、音響はちょっとプレッシャーでしょ」


「……好きな人追いかけて部活決めるのは、お兄ちゃんは反対だなぁ……」


「うん……私もそれだけで決めてるわけじゃないよ。元々裁縫部興味あったし」


「……ちなみにどんな子?」


「身長が180㎝近くある長身のイケメン。幼馴染の女の子が二人いる」


「何その少女漫画の主人公! 弄ばれそうだから却下です!」


「いや、お兄ちゃんどんな人でも却下するでしょ。てか……あの二人とは恋愛関係になるようには見えないけど…」


「男と女である以上はわかんないよー?」


「そう……かなぁ……」


「恋はある日突然やってくるからね。ただの幼馴染だと思ってたのに、ひょんなことで異性を意識してしまって……なんてあるかもよ。特に王子はやばい。あの見た目だから男子ウケは良くないと見せかけて男女問わず惑わす魔性の女だわ」


「それは分かる。海菜ちゃん、男っぽいかと思ってたら意外と女の子なんだよね……」


「男女の色気を両方兼ね備えてるって感じよなぁ……。今朝電車でよろけたゆりちゃん抱きとめてた時はイケメンムーブかましてたけど、笑い方とか、好きな人聞いた時の反応とか、エッチなお姉さんだったし……あれはずるいわぁ……色気がカンストしてる。ギャップで落ちる男子絶対居る」


「カンスト……?」


「上限値に達してるってこと」


「……あぁ……カウンターストップの略かしら」


「なんの略かは知らんな」


「……カウンターストップの略だって。私も初めて知った」


 助手席からカンストについての説明が画面に表示されたスマホを見せるはるちゃん。調べてくれていたようだ。


「ゆりちゃん大正解じゃん。すげぇ」


「凄いってほどじゃないと思うけど……」


「小桜さん、この辺でいい?」


「あ、はい。ありがとうございます」


 はるちゃんのお兄さんにお礼を言って車を降りる。ここから家までは徒歩数分。見える距離にある白いマンションの一室が私と母の家だ。元々は父と兄と四人で暮らしていた。


「お母さん、ただいま」


「お帰りなさい」


 帰るなりハグをされる。私はこの、温かくて優しいハグが嫌い。母の優しさや、私に対する愛情が嫌い。それらは全て、私の中の母に対する同情という邪魔で仕方ない感情を育てる肥料になるから。


「……ご飯、ありがとう。温めて食べるわね」


 母は日中ほとんど家にいて、仕事は夜勤。母曰く『ゆりちゃんと出来るだけ一緒に居てあげたいから』とのこと。私を一人にしないように、私が寝ている間に働きに出掛け、起きるまでに帰ってきて、学校に出かける私を見送ってから一眠りし、私が帰ってくるまでに起きる。それが母の日課。言い換えれば私は、学校に行っている日中と、母が仕事をしている夜間から早朝まで以外は母の監視下にあるわけだ。


「ゆりちゃん、今日は学校どうだった?」


 小学校に入学してから、あるいは保育園に入園してから今日までずっと、毎日毎日学校から帰るたびにこの質問に受け答えるのが私の日課。


「梅ヶ丘中ってあるでしょう?あそこ出身の同級生と明日から一緒に登校することになったわ」


「あら、良かったわね」


「…それで…明日から体験入部始まるから少し遅くなる」


「何部入るの?」


「…今のところ予定は裁縫部」


「良いわね。女の子っぽくて」


「…うん」


 女の子っぽくて。母の口から飽きるほど聞いたその言葉が大嫌い。何度聞いたって心がムカムカする。慣れない。胸が一杯で、食が進まなくなる。


「…ゆりちゃん? 大丈夫? 箸止まってるわよ」


「…新しい環境に緊張して疲れちゃったのかな。…ちょっと…あんまり食欲無いの。…残しちゃってごめんなさい。ちょっと部屋で休むね」


「…そう。じゃあ、お腹空いたらまた食べなさい」


「…うん。そうする」


「食欲が無いだけ?熱は?一応測っておきなさい」


「うん…」


 熱を測る。36.5度。平熱を表示した体温計を母に見せる。


「熱は無いみたいね」


「うん」


「…学校で辛いことあったら相談してね」


「うん。今のところ大丈夫よ。友達も出来たから」


 部屋の扉を閉め、服を着替えてベッドに寝転がる。海菜達はもう家に着いただろうか。LINKを開き、海菜に「もう家に着いた?」とメッセージを送る。すぐに既読が付き、「着いたよ」と返事がきた。続けて「電話してもいい?」と一言。こちらから電話をかけてやると、すぐに応答した。


「もしもし百合香ー?」


「どうしたの?何かあった?」


「あ、ごめんね。心配させちゃったかな。特に何も無いよ。ただ、君の声が聞きたかっただけ」


「な、何よそれ…もう…また揶揄って…切るわよ」


「わー待って待って。お話しようよぉ…」


「…別にあなたと話すことなんてないわ」


「そんなにツンツンしないでよハニー」


「誰がハニーよ」


「ごめんってば。体調、どう?良くなった?」


「最初からそう聞いてくれる?」


「ごめんごめん。…元気そうでよかった」


 本気で心配していたような声だ。


「…心配してくれてありがとう」


「ふふ。『心配しすぎよ』とは言わないんだ」


「…心配しすぎよ」


「あははっ」


 彼女の話し声が、笑い声が、耳に心地良い。ずっと聴いていたいと思うほどに。


「…もういいかしら。切るわよ」


「うん。いいよ。君が元気なことも確認できたし。…明日も同じ時間の電車?」


「えぇ」


「私達も同じ時間乗る予定。会えたらまた一緒に学校行こうね」


「…えぇ」


「じゃあ、また明日ね」


「また明日」


 通話が切れる。もっと声を聞きたい。会いたい。明日が待ち遠しい。彼と付き合っていた頃もこんな気持ちだった。けれど、別れてからはすぐに落ち着いた。だからきっと、彼女に対する気持ちもいつかは落ち着くだろう。

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