第3話:私は変わりたい

「じゃあ、お母さん。行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 今日もまたスカートを穿き、学校へ。悪戯な風が私のスカートをめくる。めくれ上がらないように必死に抑えながら歩く。今日は風が強い。

 スカートそのものは嫌いではない。けれど、こんな風に風の強い日はズボンが良い。そんな選択肢くらい許して欲しかった。私服でズボンを穿くことは許されるのに、なぜ制服になると駄目なのか。それは恐らく、学校側が導入した理由として『LGBTに配慮して』と言ったからだろう。母はそれを聞いてズボンを選択する女子生徒をLGBTの人と結びつけてしまった。そして私にはでいて欲しいと思っている。同性愛者でも、トランスジェンダーでもあってほしくないと。に異性に恋をして、結婚して、母親になってほしいと。

 別に私は男性になりたいわけではない。女性の身体に違和感を覚えたことはない。女性に恋愛感情を抱いたこともない。ただ、女性という理由で趣味嗜好を否定されることが不満なだけだ。

 しかし、逆に私が男性だった場合でもきっと、全ては許されない。誰かを守るヒーローになりたいという夢は守られていたかもしれないが、今度はきっと「男なら泣くな」と言われたりするだろう。料理も裁縫も覚えなくていいと言われるかもしれない。黒いランドセルを選ぶことは許されるが、代わりにパステルカラーが選べなくなる。演じる対象が理想の娘から、理想の息子に変わるだけ。どっちに生まれたってきっと、母の子として生まれた時点で私の意思なんて尊重されない。


 鈴木さんは今日もズボンを穿いて登校しているのだろうか。両方とも買えば気分で変えられるだろうが、彼女がスカートを穿いている姿は想像しづらい。中学生の頃はどうだったのだろう。制服はやはりスカートだったのだろうか。


 地下鉄の駅のホームに降りる。制服を着た学生がちらほら目につく。その中に、私とよく似た制服を着た茶髪の生徒を見つけた。その隣には同じ制服を着た背の小さな生徒。二人ともスカートを穿いている。身体のラインから女性だと分かるが、心の性別までは分からない。茶髪の生徒が振り返り、私を見つけると「あ」と声を上げた。クラスメイトではないが、ネクタイの色から同級生だとわかる。ネクタイは学年ごとに色が決められており、赤は一年、黄色は二年、緑なら三年。学年が上がっても色は変わらず、卒業した三年の色が新入生の色となるらしい。

 茶髪の生徒がこちらに手を振りながら近づいてきた。小さい子も困ったように彼女を追いかけて来る。知り合いではないが、同級生だと気付いた故の行動なのだろう。手を振り返し、おはようと挨拶をする。


「おはよう。青山商業の生徒だよね? あたし、一年三組の日向ひゅうが夏美なつみ。日曜日のかうで、季節ので夏美。こっちのちっこいのは——」


 ちっこいって言うなと日向さんの隣の女の子が彼女の腰を小突く。日向さんの身長は私とさほど変わらない。私は160㎝。日向さんは私より少し高いくらいだから165くらいだろうか。彼女の隣の女の子は頭一つ分くらい小さい。小学生だと言われても疑わないくらいだ。


「私は菊池きくち小春こはる。小さい春で小春。クラスは二組」


「小学生みたいだけど、あたしと同い年」


「うるさいなぁ! もー!」


「痛い痛いっ」


「私は一組の小桜百合香。小さい桜に百合の香で小桜百合香よ」


 綺麗な名前だねと二人が私の名前を褒める。上品で女らしいとか、綺麗だとか、よく言われる。褒められることは嬉しいし、自分の名前の上品な響きは嫌いではない。しかし、それを女性らしいと言われてしまうのは少々複雑な気分だ。私は物心ついてから今まで、ずっとその言葉に縛られながら生きているから。


「小桜さん、この辺ってことはもしかして桜山中?」


「えぇ。二人は梅ヶ丘?」


「そう」


 私の通っていた中学と、二人が通っていた中学は元々一つだったが、数年前に二つに分かれた。お互いにもう少し早く生まれていたら同じ中学に通っていただろう。


「桜山からは私一人なの。明日からも一緒に登校してもいい?」


「いいよいいよー。どうせ同じ駅通るから一緒に行こうぜ」


「ここから青山商業ってちょっと遠いもんねぇ……」


 電車に揺られながら、路線図を指でなぞりながら菊池さんが呟く。ここから青山商業の最寄り駅までは4〜50分くらい。そこから歩くことを考えると、通学時間は1時間程度だ。しかし、県外の学校に行った同級生のことを考えるとさほど遠いとは思わない。


「あ、一組といえばさ、代表挨拶してた子いるよね?」


「鈴木さん?」


「そうそう。鈴木さん。めちゃくちゃイケメンだったよね。女子校の王子様って感じで」


「なっちゃんが好きそうなタイプだよね」


「どちゃくそ好き……いいなぁ同じクラス……はるは隣のクラスだから体育一緒でしょ?」


「あ、そっか。体育は2クラス合同だっけ」


「そうだよー! はぁー……羨ましい……お近づきになりたい……」


「……あ、噂をすれば鈴木さんじゃない? あれ」


「えっ」


 菊池さんが指した先には背の高い生徒が二人。と、二人より頭1つ分くらい小さな生徒が一人。


「うわっ……イケメン二人と美少女一人……何あれ……」


 鈴木さんが私に気付く。微笑み、手を振った。手を振り返すと、一緒に居た二人を連れて近づいて来た。


「おはよう、小桜さん」


「おはよう」


「隣の二人は君の友達?」


「えぇ。近所の中学の子達らしくて、さっき駅で会って、仲良くなったの。三組の日向夏美さんと、二組の菊池小春さん」


「一組の鈴木海菜です。こっちは同じクラスの月島つきしまみちるちゃんと、二組の星野ほしののぞむ


「日向夏美です」


「き、菊池小春です……」


「ん。二組ってことは、菊池さんはと同じクラスだよね?」


 鈴木さんが菊池さんと背の高い生徒を見比べながら言う。「呼び捨て……」と菊池さんが複雑そうに呟いた。星野くんと鈴木さんの仲の良さが伺える。付き合いが長いのだろうか。


「そうだな。俺の斜め後ろの席の子」


「お、ご近所さんじゃん」


「そう。だから覚えてるよ。菊池さんは俺のこと分かる?」


「う、うん。そりゃ分かるよ。星野くん目立つし」


「でけぇからな」


「180無いから男子としては普通じゃないかな……」


「179でしょ? ほぼ180じゃん」


「……君に言われると嫌味にしか聞こえないんだが」


 鈴木さんは180センチを越えていると言っていた。二人並ぶと同じくらいに見えるが、鈴木さんの方が星野くんより高いようだ。


「あはは。ごめんごめん。けど、3センチしか変わらないじゃん」


「てか、179あれば充分だろ。贅沢言うなよ」


 月島さんは2人と並ぶとやたらと小さく見える。菊池さんほどではないかもしれないが、彼女も身長を気にしているのだろうか。


「月島さん、これよりは身長あるでしょ。この子140㎝しかないんだよ」


「人の身長を暴露しないでよー! てか、これっていうな! あと、140じゃなくて143だから!」


「いいじゃん3センチくらい」


「よくない!」


「いいじゃん。小さくて可愛いよ」


「貴様……馬鹿にしておるな?」


「してないしてない。可愛いよ」


「くそ……今に見てろ……追い越してやるからな……」


「いや、無理でしょ。ところで、三人はいつから一緒なの? なんか、ずいぶん仲良さそうじゃない?」


日向さんが私の聞きたかったことを聞いてくれた。


「保育園からずっと一緒。幼馴染なんだ。まぁ、腐れ縁ってやつだな」


月島さんが苦笑いしながら答えると、鈴木さんが「良い意味でね」とニコニコしながら付け足す。


「良い意味か?」


「私は2人と出会えたこと自体が幸せだと思ってるけど、2人は違う?」


「……君は……ほんとサラッとそういうこと言うよな……」


「……恥ずかしいからやめろ」


「ふふ。愛してるよ。2人とも」


「「愛してるは恥ずかしいからやめてくれ」」


 幼馴染というだけあって息ピッタリだ。

 口元に手を当てて、二人を揶揄からかうようにくすくすと悪戯っぽく笑う鈴木さんのその姿は、どことなく上品で、大人の女性のような色気を感じた。初めて見た時は男性のように見えたが、仕草や雰囲気は意外と女性らしい。


「それで……小桜さん……? だっけ」


 星野くんの声でハッとする。そういえば私だけまだ自己紹介をしていなかった。


「え、えぇ。小桜百合香よ。鈴木さんと月島さんと同じ一組」


「小桜さんと私は席が前後なんだ」


「で、こいつが小桜さんをナンパしたの」


「ナンパって言わないでってばー……もう。……おっと」


 不意に、電車が大きく揺れ、バランスを崩してしまう。鈴木さんが咄嗟に吊革を掴んでいた片手を私の方に伸ばし、私を抱きとめてくれた。


「あ……ありがとう……」


「……ん。大丈夫?」


「えぇ……」


「ふふ。掴まる場所無かったら私に掴まってていいよ。体幹には自信あるから」


「……えっと……じゃ、じゃあ、腕……借りるわね」


「ん。どうぞ」


 彼女の腕を手すりがわりに掴む。筋肉質で逞しい腕だが、指先は綺麗だ。女性らしい綺麗な手。

 胸はほとんど膨らんでいない。本当に女性なのかと疑うほど。着痩せしているだけなのだろうか。

 顔を見上げる。はっきりとした顔立ちをしている。つり目がちのぱっちりとした大きな目。長い睫毛。美形だ。だけど、美少女というよりは、美男子という表現が似合う。ほんとに性別が分からない。


「ん? どうしたの?」


 声は少年のような低めの声。だけど、女性らしい柔らかさも感じられる気がする。

 見る角度によって性別が変わる。まるでモナリザのような人だ。


「……モナリザみたい? 私が?」


 彼女が私の心の声を復唱し、首を傾げる。声に出ていたのだろうか。


「あなたって見る角度によって男性にも女性にも見えるから……」


 モナリザは一般的に女性だと認識されているが、モデルが男性、あるいは男女二人のモデルを融合した説もあるらしい。描かれている人物の手を見ると左手は角ばっていて男性らしく、右手は丸みを帯びていて女性らしい。中学の美術の授業でそう習ったのだが、鈴木さん以外にはあまり通じていないようだ。


「えっと……モナリザって女の人じゃないの?」


 日向さんが首を傾げる。


「そう見えるけど、男女二人のモデルを融合したって説もあるんだよ。授業でやったよね? 望? 満ちゃん?」


 顔を逸らす二人。菊池さんと日向さんも顔を見合わせて首を傾げた。


「……全然記憶に無いな」


「……美術の座学の時間はほぼ寝てたから知らねぇわ」


「美術だけじゃないだろ」


「うるさいな。授業に出てるだけで偉いだろ。褒め称えろ」


「ほんとに偉そうだな君は……」


 呆れるようにため息を吐く星野くん。月島さんはなんだか、見た目と中身のギャップが強い人だという印象を受けた。


「……ねぇ小桜さん」


「何?」


「……って、下の名前で名前で呼んでもいいかな。それで、私のことも海菜って呼んでほしい。……君と仲良くなりたい」


 少し恥ずかしそうに鈴木さんが私の名前を口にする。その声が、熱を帯びて胸に刺さった。熱がじんわりと胸に広がり、ちりちりと焦されるような痛みを感じた。


「……? どうかした?」


 この感覚を、私は既に知っている。いや、既に知っているそれに、よく似ているだけだろう。


「……友達に名前で呼ばれることあまり無かったからなんだか変な感じ。……ずっと、あだ名だったから」


 そうだ。きっとそうだ。この胸の違和感は、そういうことだ。きっと、そういうことだ。

 だって私は異性愛者だから。女性に恋をしたことなんてない。してはいけない。母が許すはずがない。

 そもそも彼女とは昨日知り合ったばかりだ。まだ何も知らない。恋に落ちる要素なんて何もないだろう。

 あるとしたら見た目? それはあるかもしれない。彼女はカッコいいから。王子と呼ばれたと言っていた。日向さんも彼女に対して『お近づきになりたい』と言っていた。私のこの感情もきっと、そんな感じなのだろう。そうだ。きっとそうだ。きっと、脳が彼女をカッコいい男性だと錯覚しているのだ。


「あだ名? ゆりちゃんとか?」


「え、えぇ。そうね。ゆりちゃんって呼ばれてたかも」


「……じゃあ、ゆりちゃん」


「そうなると私もあだ名で呼ぶべきかしら」


「満ちゃんは私のこと、うみちゃんって呼んでるよ」


「……うみちゃん」


「ふふ。君にそう呼ばれるのはなんか違うなぁ」


 鈴木さんが苦笑いする。私もなんか違う気がする。


「……やっぱり、海菜って呼んでほしいな」


「……じゃあ海菜」


 彼女の名前を口にする。すると彼女は満足気に笑い「百合香」と私の名前を口にした。まるで恋人を呼ぶような優しい声で。愛おしそうな声で。心臓が高鳴る。いやいやいやいや。いや、違う。勘違いだ。


「ゆ、ゆりちゃんでいいわ……」


「えー……私はあだ名より名前で呼びたいな。好きなんだよね。君の名前」


 私は好きではない。母が付けた女の子らしい上品な名前だから。ちなみに母の名前は"小百合さゆり"。百合香のの由来は花ではなく、母だ。私はそのことが、という呪いの烙印らくいんのような気がして嫌だった。

 だけど…彼女のという一言が、他の誰に言われた同じ言葉よりも深く、胸に染み込む。


「百合香って、上品で美しい名前だと思う。君によく似合う素敵な名前だよ」


 まるで口説くように甘い言葉をつらつらと並べる彼女。他の四人も聞いているこっちが恥ずかしいと言わんばかりに苦笑いしていた。


「あ、あんまり褒めないで。口説かれてるみたいで恥ずかしい」


「あはは……ごめんね。けど、照れてる顔も可愛い。もっと揶揄いたくなっちゃうくらい」


「あなたねぇ……」


「ふふ。ごめんね。……けど、本心だよ。君の名前、素敵だと思う。君が自分の名前を好きかどうかは分からないけどね」


 まるで、私が自分の名前に抱いている微妙な感情を見透かしているような言い方だ。いやまさか。流石にそんな深い意味はないだろう。彼女と出会ったのは昨日が初めてで、ちゃんと会話をしたのは今日が初めてなのだから。


「あなたの名前だって素敵よ。可愛らしくて、あなたには少し似合わないけどね」


「私は可愛くない?」


「えぇ。ちっとも」


「怒ってる?」


「……別に」


「ふふ」


「な、なによ」


「いやぁ……怒ってる顔も可愛いなぁと思って」


「な……なんなのよもうっ!」


「ふふふ……ごめんごめん。そんなに怒らないでよ。褒めてるんだよ?」


「どう見ても揶揄ってるじゃない! 私で遊ばないで!」


「いやぁ……照れてる君が可愛くて。可愛いとか綺麗とか言われ慣れてそうなのに。……あ、綺麗過ぎて逆に誰も近寄れないのかな」


「も、もうやめてってば! 分かったから……」


 彼女の言う通りだ。可愛いとか、綺麗とか、そんな言葉は飽きるほど聞いた。それらは皆、見え透いた下心しかない安っぽい口説き文句だったけれど、彼女が言うと何かが違う。同じ言葉なのに。

 それはきっと、彼女の言葉には下心が無いから。純粋にそう思っているのだと嫌でも伝わるから。何の躊躇いもなく、花を愛でるように自然と紡がれる言葉が、痛いくらい胸に突き刺さる。彼女の声に、言葉に、豊かな表情に、心が侵食されていく。

 けれど、今ならまだ間に合う。芽生え始めたこの想いが大きくなってしまう前に彼女から離れるべきだと、もう一人の私が忠告した。彼女に影響を受けるべきではない。母に逆らえばどうなるか分かっているだろうと。

 けれど……私は変わりたい。母の言いなりに生きるのはもうやめたい。

 彼女のことを、彼女の世界をもっと知りたい。彼女の世界で生きたい。彼女に私を知ってほしい。認めてほしい。


「ごめんごめん。揶揄いすぎたかな。……嫌いになっちゃう?」


「……別に。こんなことで嫌いにならないわ」


「許してくれる?」


「……許します」


「ふふ。ありがとう。これからよろしくね。百合香」


「……えぇ」


 ごめんなさい私。ごめんなさいお母さん。私は変わりたい。母の言いなりに動いて、自分の意思を押し殺して、母の理想のとして、母を幸せにするためだけに生を全うするなんて嫌だ。私は私の人生を生きたい。わがままだなんて言わせない。今まで散々言うことを聞いてやったんだから。

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