兄とわたしとふんわりきつね
白星うみ
兄とわたしとふんわりきつね
もともときつねうどんが好きだったというのも勿論あるけれど、なかでも兄の作ってくれるきつねうどんは最高だ。その名も、赤いきつねうどん。
コンビニからスーパーまで驚きのシェア率と圧倒的な人気を誇る、あの赤いきつねである。お湯を注いで五分待つだけという行為が調理に匹敵するかは不明だが、幼い頃から兄が出してくれる赤いきつねが私は大好きだった。
「お腹空いただろ。どっちがいい」
「・・・きつねさん」
「じゃあ兄ちゃんは緑のたぬきさんだな」
仕事で忙しい両親に代わって、三つ年上の兄はいつも傍に居てくれた。楽しいことがあった時、学校でちょっと嫌なことがあった時、それから好きな男の子ができた時。
お湯を注いで五分待つ間、私たちは隣に並び、その日あったことの一つ一つを共有して生きてきた。そんなふうに生きてきたからか、兄が初めて彼女を連れてきた時は寂しさのあまり大泣きをして兄の分のお揚げをさらってしまったこともある。
一口噛んだだけでじゅわ、と染み出るその味は、それでも優しい味がした。
「ねぇ、お兄ちゃん覚えてる?お兄ちゃんに初めて彼女ができた時のこと」
「覚えてるよ、きつね泥棒め。お前があんまり泣くから、あの時どうしようかと思ったよ」
「だって、寂しかったのよ。お気に入りのかまぼこ残してあげただけでも感謝してほしいわ」
「ちょっと甘やかしすぎたかなあ」
あの後、私たちのやり取りを目を丸くして眺めていた兄の恋人がもう一枚お詫びにお揚げをくれたのだけど、それはちょっとだけしょっぱかったような気がする。ふかふかして、濃厚な味のきつねうどん。
そこには思い出もぎゅぎゅっと濃縮されていて、いつだって私たちに寄り添ってくれるのだ。そう、たとえ離れて暮らすことになったとしても。
「たまには帰ってこいよ」
「わかってる」
「電話もしろよ」
「わかってるったら」
「それから…」
もうすぐ旅立ちの時がやってくる。食卓の上に並ぶのは、二人分の赤いきつねだった。
「今度は私が彼に出してあげるの。お湯の分量もきっちりして。お兄ちゃんみたいな優しい味になるかは分からないけど、でも美味しいって言ってもらえるようにね」
俯いた兄は、返事をすることなく手を合わせた。いただきます、と小さく呟いてうどんをすする。
珍しく静かに食べるものだから、ほんのちょっぴり私も寂しくなってしまった。
「・・・結婚、おめでとう」
兄は言う。震える声で、けれどとても嬉しそうに。それだけで私は兄が今どんな顔をしているのか隣を見なくても分かってしまった。
お揚げもスープも、やっぱり兄の優しい味がする。私はちょっと考えて、それから言った。
「なんでかなあ。わかんないけど、お兄ちゃんのは優しい味がするのよ。だからお兄ちゃんも、私が帰ってきたらまた作ってね。これが兄ちゃんの特製だ!って」
もうすぐ冬がやってくる。春には私はここを出て行ってしまうけど、それまではお兄ちゃんと一緒に赤いきつねを食べたいと思っている。
兄とわたしとふんわりきつね 白星うみ @shorahoshi_umi
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