第149話 エンゲージリング
季節も冬に入ろうかという頃、悠はうんうんと変な声をあげて悩んでいた。百合華に指輪をプレゼントしたいのに、何から始めれば良いのかと迷っている。
男は結婚関連のルールには疎いものなのだ。
大学の学食に併設されたカフェでコーヒーを飲んでいる悠のところに、同期の女子たちが歩いてくるのが目に入った。
「ちょっと聞いてみようかな?」
通りかかった女子たちに恥ずかしがりながらも声をかけた。ざっと指輪の件を聞いてみる。
「えええ~っ、明石君って結婚してたんだ」
「学生結婚ってやつ?」
「ちょ、凄いんだけど」
興味津々に聞いてくる女子たちの質問攻めが止まらない。
「てか、指輪も買ってあげてないの?」
「式は挙げたの?」
「新婚旅行は?」
「いや、まだなんだけど……」
「「「ええええ~っ! 信じられない!」」」
そこだけ声が重なった。
「ありえないでしょ。指輪も無いとか」
「ないわー 貧乏な男と結婚なんて」
「結婚するなら金のある男でしょ」
「ある程度の生活の保障がね」
「結婚したら生活レベルが下がるとか最低じゃん」
「それそれ!」
ボロクソ言われてしまう。
男女平等が謳われる世の中だが、いまだに男が一家の大黒柱、金持ちの男が家族を養うという風潮は根強い。
ううっ……
指輪や手順を教えて欲しいのに、バッシングされただけかよ……世知辛い世の中だぜ。
悠がダメージを受けていると、向こうから貴美がやって来るのが見えた。
「きゃははっ、やっぱ年収600万以上は必要だよねー」
「貧乏な男じゃ不幸になるの確定だからね」
「挙式は、やっぱ海外でしょ」
「ちょっと、あんたたち!」
状況を察したのか、怒った貴美が迫ってくる。
「中将さん、いいから」
「放しなさいよ!」
喧嘩腰の貴美を止めていると、女子たちは話しながら何処かに行ってしまった。
「悠、あんた悔しくないの!?」
「そりゃ悔しいけど……」
「だったら怒りなさいよ!」
「中将さんは怒り過ぎだよ」
二人で揉み合っていると、何処からか現れた美月が割って入る。
「また痴話喧嘩?」
「「違います!」」
性格が全く違うのに、変なところでユニゾンしてしまう二人だ。
「なるほどなぁ、学生結婚なんだから無理せんでもいいんよ。お金を稼ぐのは就職してからで。肝心なのは二人が幸せでいることなんよ」
事情を説明すると美月が優しく諭してくれた。
「ううっ、朧先輩に言われると大丈夫な気がしてきました。そのゆっくりな口調が心地良いです」
「いつでも相談にのるからね」
「朧先輩には隣の部屋で騒音被害ならぬ
「いいんよ。あれからかなり静かになったから」
実は、あのご近所騒音トラブルから一夜、美月が強めに苦情を言ってきたのだ。
悠はすぐに対策を考え実行した。大きな声を上げたらエッチ一日禁止というペナルティだ。
効果はてきめんで、次の日エッチ禁止にしたところ、百合華に大ダメージを与えてしまい。それからというもの、声を我慢する我慢顔嫁になったのだった。
健気に声を我慢する百合華の表情が煽情的で、かなりグッとくるものがあった。まるで気高い女騎士が『くっころ展開』になり、心までは堕とされまいと耐えている表情のようでたまらない。
超エッチな顔なのだ。
「悠! 生々しい話はやめなさいよ」
悠の話に妬いた貴美によってシゴかれそうになる。シゴカレマスタースキルは健在だ。
掴みかかる貴美はスルーして、美月が悠に質問する。
「ところでプレゼントするのは婚約指輪? それとも結婚指輪なん?」
「えっ、違うんですか?」
シィィィィーン――
「えっとお…………」
「あんた、そこからなの?」
女子二人が若干引き気味だ。
美月が丁寧に説明を始める。
「あのね、婚約指輪はエンゲージリングといって、プロポーズする時に渡すものなんよ。よく聞く、跪いて箱パカってやるのね。ダイヤが付いたデザインが多いわね」
「なるほど」
「結婚指輪はマリッジリングといって、結婚式で二人が交換するペアの指輪。こちらはシンプルなプラチナやゴールドでできたものが多いわね。結婚後も指輪をはめて生活する人が多いから」
「わかりました。ありがとうございます」
美月の説明で完璧に理解した。
「そうなると、エンゲージリングかな。そういえば、だいぶ昔に告白したきり、結婚した時はちゃんとプロポーズしてなかったような……」
「あんた、やっぱりダメダメね」
貴美の厳しいツッコみが飛ぶ。
「ちょっと、中将さん。さっきは
「私は良いのよ」
複雑な貴美心はさておき、悠は指輪大作戦の構想に入った。
――――――――
「すう……すう……」
百合華が静かな寝息をたてている。
「よし、お姉ちゃん寝てる……」
嫁が寝たのを確認すると、悠がゆっくりと起き上がる。百合華の左手薬指を、そっとビニル製の
百合華の留守中に持っている指輪のサイズもチェック済みという念の入れようだ。プレゼントしてサイズが合わないという失敗は許されない。
「よし、あとは買いに行って。そして……」
悠は百合華との思い出を振り返る。どれも大切な二人の時間。ずっと忘れない、忘れたくない、かけがえのないものだ。
大切な人に喜んでもらいたくて悠は動き出す。毎日エチエチしているだけではないのだ。
――――――――
本格的な冬が到来し吐く息が白くなる季節。悠は百合華を旅行に誘った。
「どうしたの急に。一緒に旅行がしたいなんて」
「いつもお世話になってるお姉ちゃんに、お礼がしたいんだよ」
悠が予約をとり、旅行を計画していた。生活費を出してくれている百合華に旅行をプレゼントしたいという名目で。
バイトして貯めたお金で旅費は出せたけど……免許を持ってないから運転できないのがカッコつかないぜ……
でも、お姉ちゃん……
喜んでくれると良いな……
「ユウ君と一緒に旅行嬉しいな」
「お姉ちゃんに喜んでもらえて良かった」
「百合華ちゃんって呼んでっ」
「二人きりの時は、お姉ちゃんがしっくりくるような?」
「もぉ~」
冗談を言いながら、クルマに乗って出発する。
助手席で緊張する悠の脳裏に、少し前に貴美たちと話した内容が思い浮かぶ――――
『婚約指輪って、結構高いんだね……』
悠がスマホで指輪を検索しながら口にする。
『昔は給料の三か月分といわれていたけど、最近のカップルは身の丈に合せた人が多いんよ』
横にいる美月がアドバイスをくれた。
『でも……余り安い指輪では……』
バイトをしてお金は貯めたけど……
結婚式の費用も必要だし……
悠はバイト代を使わずに、結婚資金として貯金していた。自分の買い物は控え、百合華の為に使おうと決めているのだ。しかし、学費は親が出してくれているし、生活費は百合華が出していた。
同期の女子たちに言われた言葉が胸に去来する。自分が百合華に支えられていて、負担になっているのではという思いが。
『明石君、高ければ良いわけではないんよ。大切なのは心でしょ』
『そうよ、悠! お姉さんは、高価なものでないと喜ばないような人なの? 悠がプレゼントしたものなら、値段なんか関係なく喜んでくれる人なんでしょ!』
美月と貴美に言われ、悠はハッとする。
確かに常日頃から百合華は言っていた。無理はしないでねと。百合華が悠に高価なものを要求したことなど無いのだから。
『そうだよな……お金が全てじゃないよな』
回想から現実に戻った悠が運転席の百合華を見つめる。真面目な顔をしてクルマのハンドルを握る妻がおかしくも愛おしくもある。
「ううっ、緊張してきた……」
つい、悠が口に漏らす。
「なになにぃ、お姉ちゃんに襲われちゃう~とか思ってるのぉ?」
「ち、違うし!」
「もぉ~そんなに緊張しなくても、優しくオシオキしてあげるからぁ」
緊張する悠とは対照的に、百合華は今夜のオシオキでウッキウキだ。ここのところ、声を我慢しているのを良い事に、悠に堕とされまくっているのが不本意らしいい。
ブロロロロッ――――
クルマは旅館の駐車場へと入って行く。
昔、一緒に旅行した思い出の旅館だ。
「まだ数年前なのに懐かしいね」
「ふふっ、あの時のユウ君ってば、可愛かったぁ」
「あれは、百合華ちゃんが大胆過ぎるからでしょ」
数年前、二人で旅行して泊まった旅館だ。『本当に結婚したら、また一緒に来よう』と約束した思い出の場所。今でも昨日のことのように思い出せる。
「ようこそお越しくださいました。明石さま、お久しぶりでございます。お越しをお待ち申し上げておりました」
女将が玄関まで出迎えて挨拶する。
「よろしくお願いします。覚えてくれていたんですね」
「はい、若いご夫婦さまで印象に残っておりましたので」
悠の言葉に女将が答える。若くて歳の差夫婦がインパクト絶大だったようだ。旅館業としてリピーターを覚えるのはあるのだろうが、若すぎる夫婦がイチャイチャしまくりで強烈な印象を残していたのだろう。
部屋に案内されてくつろいでいると、いつか見た中居が現れた。
コンコンコン!
「失礼いたします」
「あっ、あの時の中居さん……」
「その節はどうも」
二人を見てニヤニヤが止まらない。目の前で年下男子をエチエチしまくる羞恥攻めを見せられ、百合華と意気投合してしまった記憶が甦っているのだろう。
「あれから数年経ったのに仲良しに見えますね。私も嬉しいです」
「当然、今でも熱々ですよ。ねっ、あ・な・た・」
「う、うん」
さっそく密着してイチャイチャし始める二人に、やっぱり目を輝かせて見つめてくる中居。
「お客様のおかげで、私も年下男子の彼氏ができたんです。やっぱり年下って良いですよね」
「ですよね。やっぱり年下ですよね。絶対服従させて何でも思うがままとか。毎晩オシオキしちゃいますよね」
「分かります。もうオシオキしまくりで」
相手がお客なのも忘れ、中居が百合華と意気投合してしまう。百合華の影響で完全に年下男子好きになってしまったようだ。
中居が出て行ってから、二人っきりの空間になって見つめ合う。もう長い間一緒にいるのに、いまだに付き合い始めたラブラブカップルのようだ。
「ふふっ、ユウ君が私に旅行をプレゼントしてくれて、一晩中イチャイチャできるんだよねっ。優しい旦那様で良かったぁ」
「お姉ちゃんには日頃お世話になってるから。今日はお礼をしたくて」
再び悠が緊張する。
この旅行には重大な
今、悠は人生最大のステージに立とうとしていた。
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