第144話 婚姻届

 美味しい高級和牛すき焼きと名作アニメを堪能した二人を送る為に、悠は貴美と花子に付き添って夜道を歩いていた。


「ああーっ、美味しかった。アニメも感動したし」

 貴美が満足気な表情をしている。最初の困惑気味な表情とは大違いだ。


「魔神の刻印の良さを分かってもらえて私も嬉しいです」

 花子も、お気に入りアニメ布教が成功して嬉しそうな顔をしている。


「最初はエッチなのでどうしようかと思ったけど、まさかの感動して泣かされるとは思わなかったわ。てか、花子先生って面白いですよね」


「そ、そうですか。でも、今日は楽しい食事会ができて嬉しかったです」


 貴美と花子の親睦も深まったようだ。一緒に食事をしてアニメを観るのが友好や平和に繋がるのかもしれない。


「ねえ、あんたもそう思うでしょ……って、悠! なんか疲れてるみたいだけど?」


 貴美が悠に話を振るが、フラフラしている悠にビックリする。


「いや、ちょっと色々と疲れが……」


 二人がアニメを鑑賞している頃、テーブルの下でオシオキされていた悠はヘロヘロなのだ。ギリギリのラインを延々と攻め続ける百合華の恐ろしい技に翻弄されっぱなしだった。


「あんたも大変ね。普段のお姉さんは可愛い人みたいだけど、怒ると怖そうだし躾けやオシオキも厳しいんでしょ?」


「ま、まあ……」

 躾けやオシオキがエロいとは言えず、適当に誤魔化しておく。


「わ、私と付き合っちゃえば、優しくしてあげるわよ」

「いや、そっちも怖そうなんで」

「何でよ!」


 ドS女王とドSフレンズは、どっちも怖かった。


「あぁ~あ……色々見せつけられちゃったし……私も彼氏欲しいな……どこかに良い男いないかしら?」

 ちょっと遠くを見るような表情をした貴美が呟く。


「そうだね。中将さんに良い人が見つかると良いね」


 ガシッ! ガシッ!

「あんたに言われるとムカつく!」

「痛いって、蹴らないで」


 もう毎度のことのように貴美に絡まれる。

 蹴っている貴美も、本気で蹴っているわけではなく、少し親しみがこもったような不思議な攻め方だ。


「お二人は仲が良いですね。じゃあ、先生はこっちですのでお先に」

 花子が分かれ道で反対側に曲がって行く。


「先生、家まで送らなくて大丈夫ですか?」


「すぐそこなので大丈夫ですよ。そ、それは……部屋まで来てもらえたら嬉しいですが……」

 赤い顔でモジモジする。


「あ、大丈夫そうですね」

 危険を察知した悠が大丈夫ということにした。


「でも、今夜は楽しかったです。久しぶりに温かく楽しい食事ができて嬉しかった。ありがとうございます」


「いえ、末摘先生にはお世話になりましたし」


「ふふっ、悠君、師匠……お姉さんとお幸せに。末永く、幸せになってくださいね」


 花子が心からの笑顔を見せて祝福する。


「はい、ありがとうございます。さようなら」

「さようなら、悠君、中将さん、そして卒業した生徒たち……」


 前を向き歩いて行く花子が、最後に「私もがんばろう」と言ったのが聞こえた。


 末摘花子――――

 気が弱いけど優しいオタク女性の彼女が、後にアニメ関連のオフ会で知り合った真面目な男性とハッピーエンドを迎えるのは、また別のお話――――



 貴美と二人きりになった悠は、無言のまま彼女の家の方角へと歩き続けた。

 そして、沈黙を破るように、不意に貴美が話し始める。


「悠、やっぱり結婚する予定なの?」

「う、うん……」

「そっか……」


 また少し沈黙が流れる。


「今日、あんたとお姉さんを見て分かったわ。普段のお姉さんは完璧で美人で大人で厳しいイメージだった。でも、家では面白くて少し変でポンコツ……悠が言っていた意味が分かった気がする。


「だ、だよね……」

 本当はこっそりエッチなイタズラをしていたのだが、悠は姉の名誉の為に内緒にしておいた。


「でも、本当に仲良しで、息がピッタリで、羨ましかった。ああ、これが付き合っているカップルなのかなって……」


「中将さん……」


「私をふったんだから……幸せになりなさいよ! 絶対に、私をふったことを後悔させてやるんだから! だから、あんたも幸せにならないと承知しないんだから!」


 ダメっ!

 まだ泣いちゃダメ!

 制服最後の日は、笑顔の私を覚えていて欲しいんだから。


 貴美は溢れそうな涙を堪えて喋り続ける。


「もうっ! なに言ってるのか分かんなくなっちゃった! とにかく、おめでとう! じゃあね!」


「中将さん、ありがとう」


 そのまま振り向かずに、貴美は家の方に駆けて行った。



 バタンッ!

 家に入り自室に戻った貴美は、ベッドに突っ伏して声を殺して泣き続けた。


 バカっ、私のバカっ!

 最初から分かってたはずなのに。悠は最初から私を見ていなかった。そう、ずっとお姉さんしか見てないのよ。二人の間には、入る余地なんて無かった。


 悠が優しいから……

 居心地が良過ぎて……

 ずっと浸っていたかった……

 真実なんて知らずに、ずっとこのままでいたかったの……

「ううっ、うわぁぁぁぁ……」


 貴美の心の叫びは、最後だけ声になって泣き続けた。そして、泣き終わった時には、少しだけ前を向こうと小さな決意をして。

 ちょっとドSで強気な少女の初恋が終わった。


 ――――――――




 ガチャ――

「ただいま」

 二人を送ってから悠が帰宅した。


「おかえりユウ君」

「うん」


 悠がリビングに入ると、ダイニングもキッチンも片付けが終わっているのが見えた。何も言わなくても悠が料理の下準備をし、百合華が洗物や片付けをする。息がピッタリ合ったコンビネーションだ。


「ユウ君、あの子……中将さんは大丈夫だった?」

「えっ、あの、おめでとうとか幸せにとか言ってた」

「そう……」


 百合華が何か言いたげだ。


「あの子の前で見せつけて、嫌な女だと思われちゃうかもしれないけど。こういうのはいつまでも引きずらせるより、ハッキリ決着させた方が良いのよ。いつまでも想いを引きずって前を向けない方が残酷だから……」


「うん、きっと中将さんも分かってると思う」


「よしっ、じゃあじゃあ、一緒にお風呂に入ろっか?」

「その前にお姉ちゃん」

「ん? 何かな?」


 ちょっと良い雰囲気だったのはここまでで、悠の反撃が始まる。オシオキする者は、オシオキされる覚悟がある者だけなのだ。


「あーんとかイチャイチャは理解してるけど、テーブルの下でやったオシオキは違うよね?」


「えっと……その……」

 急に百合華が挙動不審になる。あれは確実に背徳エッチを楽しみたかっただけだ。


「だってぇ、ユウ君が他の子とイチャイチャしてるのを見ると、どうしても我慢できなくなっちゃうんだもん」


「人がいる前ではやめてって言ってるよね?」

「でもでもぉ~」

「可愛く言ってもダメ! オシオキします」

「えええぇ~っ!」


 手をニギニギしながら悠が迫る。


「そもそもお姉ちゃんは、親の前でもイチャイチャしまくるし。そろそろ悪い子の百合華にはキツい躾が必要かもって思ってたんだ」


「え、ええっ、私は姉だよ。年上だよ? 姉は敬うものなんだよ」


「時にはエロ姉にオシオキして躾けるのも必要だな」

「あああぁ~ん、ユウ君のイジワルぅ~っ!」


 この後、滅茶苦茶オシオキした。

 いつもオシオキされてばかりと思ったら大間違いだ。古来から窮鼠きゅうそ猫を噛むというように、追い詰められた悠は思いがけない反撃をするものである。


 気高くプライドの高い完璧美人の百合華が、悠のオシオキで堕とされまくる。終いには四つん這いでネコミミを付けて『にゃんにゃん』言いながら、『悠様の命令には何でもしますにゃん』と三回言ってしまった。


 姉の威厳とは…………


 ――――――――




 チュン、チュン、チュン――


 翌朝――

 夜のオシオキを張り切り過ぎて寝不足の悠がリビングに顔を出すと、百合華が一枚の書類を悠に突きつけた。


「ユウ君、はい、これっ!」

「なにこれ? 離婚届?」

「何でよっ! 婚姻届だよ」

「えええ……」


 いきなり婚姻届を突き付けられ混乱する。


「結婚してないのに離婚するわけないでしょ!」


「いや、夜にオシオキし過ぎて、怒ったお姉ちゃんが離婚をチラつかせたのかと?」


 ずっと新婚さんみたいだが、二人はまだ結婚していない。悠の卒業を待つように、百合華は婚姻届を準備していたのだ。


「離婚なんてしませんからねっ!」

「ドロドロの愛憎劇かな?」

「どこの昼ドラよぉ」


 悠が書類を受け取ると、ちゃんと『妻になる人』の欄に名前が記入してある。


「いつの間に?」

「もぉ、今更逃げられないからね! 即結婚なのぉ」

「それは分かってるけど、指輪も用意してないし……」


 俗世間では結婚には何かと金が必要なのだ。昨今の晩婚化や少子化の原因かもしれない。


「ユウ君、それは後でも良いんだよ。ユウ君が社会人になってからで。大事なのは指輪の値段や式の盛大さやお金じゃないの。二人の気持ちなの」


「ううっ……何だか、お姉ちゃんが凄く良い女に思えてきた……金金言ってる世の中で、お金じゃないと言い切る潔さ」


「お姉ちゃんは前から良い女でしょ! ユウ君の為なら何でもしちゃうよぉ」


「これで人前でこっそりエッチしようとする癖さえなければ完璧なのに。エッチ過ぎるのが玉にきずだぜ」


「いいから早く記入しなさい! すぐ提出できるようにしておくんだから。エッチなのは変える気はありませんからね!」


 首に抱きついて巨乳をギュウギュウ押し付けられる。朝から凄い刺激だ。


「わ、分かったから。書くから。胸を押し付けるなぁ~」


 至近距離から百合華に凝視されたまま婚姻届にサインさせられる。何だか異世界系の奴隷契約書のようだ。


「四月から親の転勤が終わって戻るから、それまで待てば良いのに。どうせ未成年は親の同意が必要だし」


「ユウ君、民法改正により成人年齢の引き下げと共に、結婚による親の同意も必要なくなるんだよ。これからは教室に高校生夫婦で溢れる時代が到来するんだよ」


「それ、どこの世界線の話だよ。『転生したらJK嫁が溢れる世界でした』とかかよ」


 そんな異世界ものがあったら楽しそうだ。


「ホントは今すぐ提出したいけどぉ、四月一日になったら一緒に提出して行こうね」


「エイプリルフールだし」

「覚えやすくて良いじゃん」


 婚姻届にサインした悠。もう逃げられない、淫魔女王の夫として一生添い遂げる運命だ。


 相変わらず至近距離からニマニマと意味深に見つめられている。夜にしたオシオキで屈服させられた百合華が、何倍にもして反撃してくるのではと恐ろしくてウズウズじてしまう。


「これで一生逃げられないわよ。旦・那・様・!」

「あ、あの……お手柔らかにお願いします」


 カラダの奥にゾクゾクとした甘い疼きを感じた、新たな生活のスタートだった。






 ――――――――――――――――


 お読み頂きありがとうございます。

 この物語は一途な主人公の物語なので、貴美達サブヒロインの悠への恋が報われることはありません。でも、彼女たちも幸せになって欲しいと思います。


 特に花子先生のような、少し不器用でオタクだけど真面目な女性は幸せを掴んで欲しいと思ってしまいました。


 もし、少しでも面白いとか思ってもらえましたら、フォローや評価など頂けたら嬉しいです。お気軽にコメントなどもお待ちしております。

 また、他作品の展開や新作の予定もありますので、作者もフォローしてもらえると私が泣いて喜びます。

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