第143話 最後の生贄は?

 美味しそうな霜降りの高級和牛。料理上手な男子が準備したすき焼き。そして、画面いっぱいに映し出されるエッチなシーン。至れり尽くせりな夜会が始まった。


「じゃあ、お肉焼くよ~っ」


 ジュゥゥゥゥー!

 悠が鉄鍋に牛脂を敷き肉と野菜を入れる。美味しそうな音と共に香ばしい肉の匂いが立ち込めた。


「うわぁ、美味しそう」

「ですです。よだれが出ます」


 百合華と花子も待ちきれないとばかりに香りを嗅ぐ。


『あんあんあんあん♡』

 テレビの画面には貞淑ていしゅくそうな雰囲気のヒロインが、淫魔女王サキュバスロードに淫紋を刻み込まれて喘いでいる。


 貴美は、誰もエッチなアニメにツッコまないのを気にしながら、真っ赤な顔でオロオロしていた。


「割り下を入れるね」

 悠が割り下を入れた。醤油、みりん、酒、砂糖などを混ぜた和風調味料である。


 ジュゥゥゥゥー!

 醤油とみりんが肉と合わさる良い匂いが広がる。


「これこれ、この匂いが最高なのよね」

「ですです、もうたまりません。早く食べたいです」


 完全に、百合華と花子がすき焼きの虜だ。

 元から悠への好感度が高い二人は、悠の手料理で更にメロメロにされてしまう。まるで割り下の中で焼かれる和牛肉のように。


「はぅん、ユウ君の手料理姿最高かもぉ~♡」

「ですです、一家に一人、私も悠君欲しいです」

「は?」

「あっ、いえ、狙ってないです」


 口が滑った花子に百合華の目が怖い。


『あんあんあんあん♡』

 相変わらずテレビには際どいシーンが映ったままだ。


「あっ、ここです。ここでヒロインのティアナが、遂に強制発情に耐えられず屈服してしまうんです!」


 突然、花子がアニメの解説を入れる。


「そうそう、この快感に耐え続けて我慢を重ねた限界の表情が良いんだよね」


「ですです!」


 悠と花子がオタク友達のように盛り上がる。もう卒業したので友達でも良いかもしれないが。


「へえ……このアニメ結構エッチで良いわね」

 百合華も見入ってしまう。


 ジュゥゥゥゥ――

「お肉焼けたよ~っ」


 悠が花子と貴美の器に肉を入れた。お客さんファーストだ。


『あんあんあん♡』


「美味しそうです」

「じゃあ、食べましょうか?」

「いただきます」


 三人が『いただきます』したところで、やっと貴美がツッコみを入れる。


「ちょっと待って! 何でエッチなアニメ観ながら食べてるの? 何で誰もツッコまないの!」

 誰もツッコまないので自分でツッコんだ貴美。


「いや、待って……悠がエッチなの観てるなら良いのよ。逆にそれをネタにイジれるし。でも、何で先生達まで一緒に観てるの?」


「中将さん、この作品はエッチだけではないのですよ。登場人物の心理描写、重厚な世界設定、深いストーリー、その全てが絡み合い名作となっているのです。放送終了して数年経ちますが、いまだに人気が衰えないのも名作たる所以です」


 花子が少し早口になって解説する。普段はおっとりしているのに、好きなアニメの時だけ早口になるのは上級オタクの証なのだ。


「そうだよ中将さん。エッチなアニメだからって軽く見てはいけないんだよ。中には素晴らしい名作も多いんだ」


 悠も早口になって説明する。アニメ愛が溢れて止まらない。


「そう、何かとエッチなアニメやゲームは下に見られがちなんだけど、制作陣は決していい加減な気持ちで作っているわけではないんだ。シナリオも作画も声を吹き込む声優も、皆一生懸命に心を込めて作っているんだよ。その心は真面目なアニメと同じなんだ。天はアニメの上にアニメを造らずだよ。福沢諭吉だよ」

※福沢諭吉はそんなこと言ってません。


 悠が制作論まで語り始める。面倒くさいオタクの悪い癖だ。


「中将さん、あなたはまだ若いから分からないかもしれないけど、女性だってエッチなの大好きなのよ。私は弟のエッチな漫画を全部チェックしてますけど、中には読み終わった後に心地良い余韻を残す名作も多いわ」


 百合華までエッチな作品の良さを推しまくる。前は歳はそんなに違わないと言っていたのに、今度はお姉さんぶってしまう。


「ですです! エッチな作品も素晴らしいのですよ。特に私のように彼氏がいないオタク女性は、推しへの愛が明日への希望なのでしゅ! 推しキャラを想う心に男女の違いはありません!」


 花子も止まらなくなる。


「えっ、ええっ、何だか私がおかしいみたいな流れに」

 貴美が混乱する。

 場数を踏んだオタク相手に防戦一方だ。


「中将さん、とりあえず肉が冷めるから食べようよ」

「う、うん」


 悠が鉄鍋に高級和牛をジャンジャン投下する。次々と美味しそうな匂いを上げて焼き上がる肉を、待ちきれないかのように皆が次々と口に入れ始めた。


「う、美味い!」

「美味しい。良いお肉ね」

 悠と百合華が並んで同じ感想を言う。


「ホントだ、美味しい。アニメ鑑賞会はビックリだけど。てか、花子先生もオタクだったなんて」

 貴美が完全アウェーで、いつもの調子が出ない。


「久しぶりに温かな食卓です」

 花子が何やら寂しげなことを言い出す。


「花子先生って独り暮らしなの?」

 貴美が聞いてみた。


「そうなんです。毎日一人で食べていると、たまに寂しさに耐えられなくなりそうで……テーブルの向かいの席に推しキャラの画像を置いたりとか……」


 末摘花子・三十歳・魔法少女……

 現実の厳しさを小娘に突きつける。


「えっと、その……大変ですね……」

 貴美も困惑気味だ。


「中将さん、早めに彼氏をつくった方が良いですよ」

「なんか複雑なんだけどぉ!」


 花子の魂の言葉に、貴美の混迷度が更に深まった。


「はい、ユウ君、あーん」

 百合華が笑顔で『あーん』をしてきた。


「お、お姉ちゃん……人が見てるから」


「もう卒業したから良いでしょ。むしろ、ユウ君を狙う悪い虫に見せつけてやりましょ」

 もはや開き直って貴美や花子に見せつけようとしている。


「はあ? 何よそれ!」

「う、羨ましいです……」

 当然、貴美と花子が反応する。


「ほらぁ、食べないと口移し――」

「わーわーわーっ! 食べます!」


 百合華が更に一段階危険な『あーん』をしようとするのを悠が必死に止める。


「もぉ、最初から素直に食べれば良いのに。はい、あ~ん」

「ぱくっ……うん、美味しい……」


 悠に食べさせてから、貴美の方を向いた百合華が「ふふんっ!」とドヤ顔をする。


「うわぁ、ムカつく!」


「私の悠なんだから。私が何をしても自由なの。誰にも触らせてあげないから!」


 卒業した途端にこれだ。ちょっと大人げない百合華だった。小娘相手にも全力で独占欲を発揮する。


「悠、私も『あーん』で食べさせてあげるわよ!」

 何故か対抗意識丸出しの貴美が、肉を箸で摘まんで悠の前に突き出した。


「ダメに決まってるでしょ! あーんが許されるのは姉だけなのっ!」


「私の『あーん』は友達のあーんだから問題無いんです!」


「そんな『あーん』はありません!」


 同じレベルで『あーん合戦』をする二人。訳が分からない。

 このままだと乱闘になりそうなので、悠が止めに入った。


「あの、そろそろ本日の『あーん』は終了にしよう」

「ユウ君は黙ってて!」

「あんたは黙ってなさいよ!」


 ユニゾンしながら八つ当たりする二人。仲が悪そうに見えるのに息がピッタリだ。実は仲良しかもしれない。


「くっ、理不尽過ぎるぜ……」


 埒が明かないかと思われたところ、貴美が強硬手段に出てしまう。


「ほら、食べなさいよ!」

 グイグイ!

 無理やり悠の口に押し込んでしまう。


「うぐっ……」

 結局食べさせられてしまった。こんなイチャイチャ感の無い強引な『あーん』は初めてだ。


「ユウくぅ~ん……なに他の女に食べさせられてるの? 後で超キツいオシオキですからね……」


「うう……もう好きにして」

 もう、超キツいオシオキを受け入れるしかない。


「で、では、私も『あーん』で……」

 花子まで肉を差し出そうとする。


「それはダメ!」

「それはダメです!」


 再びユニゾンしてツッコむ二人。仲良しかっ!


「で、ですよね……しゅみません」

 どさくさに紛れて『あーん』しようとした花子の作戦は失敗した。




 すき焼きも食べ終わる頃には、アニメ『魔神の刻印』も第四話の盛り上がる名シーンへと入る。サブヒロインのリタが悲劇の死を遂げる場面だ。


「何でよ! 何でリタが死ななきゃならないのよ! リタは不幸な生い立ちで数々の苦難を乗り越えて、やっと幸せになれると思ったのに。こんなの悲し過ぎる……ううっ、うわぁぁ……」


 貴美が画面に釘付けになって涙を流している。普段は悠や竹川のオタクネタをイジっているのに、今は完全にエッチな深夜アニメに感情移入してしまった。少しだけコチラ側だ。


 まさに、花子の布教用BDが成功した例だろう。




 貴美と花子がテレビ画面に見入っている時、悠に最大級の危険が迫っていた。


 コチョコチョ――

 テーブルの下で、百合華の手が悠の敏感な部分に伸びている。細く美しい指でコチョコチョとイタズラをしまくっていた。


 ちょ待て!

 何でこのエロ姉は、いつもいつも人がいる時を狙ってハレンチするんだ!


「うっ…………」

 テーブルの下で大暴れする百合華の指に、悠が微かな呻き声を上げた。


 ニマニマとエッチな顔をした百合華が、悠の耳に顔を寄せて囁く。

「ユウ君、さっきのオシオキね。声出すとバレちゃうよぉ~(ぼそっ)」


 あああああ……

 やっぱり悪魔姉だった!

 もう限界だぁぁ~

 バレちゃうぅぅぅぅ~


 貴美と花子はテレビの方を向いているが、いつコチラに顔を向けるか分かったものではない。もしバレたらと思えば思うほど羞恥心でいっぱいになってしまう。


「んっ…………」

「ほらぁ、直接行っちゃう?」

「ゆ、許して……」

「ダメ、許さない。ユウ君が他の子と悪さする度に、キッチリ躾けるのが姉の役目なのぉ」



 貴美に『魔神の刻印』が名作だと分かってもらえた貴重な夜。アニメの淫魔女王サキュバスロードよりもエッチな百合華のオシオキが炸裂だ。


 悠が限界突破しそうになると手を緩め、そして再び美しい指が激しく踊る。永遠に続くような無間地獄の攻め。まるで淫紋を刻まれたように悠のHPは削られ強制催淫されてしまう。


 エッチなことになると天才的なテクと権謀術数けんぼうじゅっすうに長けた百合華の本領発揮だ。


「もうダメかも……」

「まだまだ許さないからねっ」

「あ、悪魔か……」

「大好きだからだよぉ」


 当初、エッチな夜会の生贄は貴美だと思われていたのに、当然のようにシゴカレマスタースキルを持つ悠の身に降りかかる。もう定番なのだから仕方がない。

 限界を行き来する悠が微かに思い浮かべたのは、深夜アニメの良さを非オタに理解された喜びだった。


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