第139話 運命の悪戯と勝利の女神

「じゃあ、行ってきます」

「ユウ君、気をつけてね」

「うん」


 入試当日を迎えた。

 悠が早めに家を出て試験会場へと向かう。百合華との結婚がかかった重要な日だ。大学進学が決まれば結婚の準備を進め、卒業と同時に結婚するつもりでいた。


 今、悠は一世一代の晴れ舞台に出るような気持ちで、緊張した面持ちで会場へと向かっている。


「ううっ、緊張する。落ちたらどうしよう……いやいやいや、落ちるは禁句だった。って、もう言っちゃったし。最悪だ……」


 一人で混乱している。

 独り言がダダ漏れだ。


「よし、とりあえずお姉ちゃんとの新婚生活でも想像してみよう」

 もう何年もほぼ新婚生活なのに、今更新婚生活を妄想する悠。


「やっぱり呼び方は百合華ちゃんかな? いや、百合華? 呼び捨てだと怒られそうな気もするけど……百合華先生というのも禁断な香りで良いかもしれない」


 ちょっと禁断な方向に行ってしまう。


「結婚すれば外でもイチャイチャできるのかな? いやいやいや、お外でハレンチなのは禁止だった。なんか最近お姉ちゃんに影響されている気がする……」



 姉との新婚生活を想像して緊張が解けてきた悠。そして、悠が駅を出て少し歩いたところで事件は起こった。


 キキキィィィィー!

 ドンッ!


「えええっ! じ、事故?」


 目の前で高齢女性が車にねられている。横断歩道を歩いている時に、信号無視の車に轢かれたようだ。


「どどど、どうしよう!」


 ブロロロロッ――

 事故を起こした車が逃げようとしている。


「そうだ、車のナンバーを! あと、お婆さんを助けないと! で、でも……受験が……」


 周囲を見回すが、目撃者は悠しかいないようだ。

「このまま見捨てて行けば受験には間に合う……どうしよう…………。で、でも、ここでお婆さんを見捨てたら……ダメだ!」


 悠が高齢女性に駆け寄り、安全な場所まで移動させる。そして119番に電話をした。


「大丈夫ですか?」

「いたたたた……脚を打ったみたい」

「すぐ救急車が来ますから」


 不安な気持ちなまま救急車を待ち続ける。そうこうしているうちに、交通整理や救護を手伝ってくれる人や野次馬が集まり騒然としてきた。




 ピーポーピーポーピーポー――

 サイレンを鳴らし到着した救急車に、担架に乗せられた高齢女性は運ばれて行く。


「あんた、ありがとうねぇ……いたた……」

「い、いえ……」


 よし、まだ間に合うはずだ。全力で走って向かえば。ここで今までの努力を無駄にするわけにはいかない。


「目撃者はあなたですか?」

 走ろうとした悠に、警察官が止めに入った。


「あ、はい……」

「事情聴取に協力お願いします」

「でも、時間が……」

「協力お願いします!」

「は、はい……」


 警官の聴取に事故の目撃情報の説明をする。そうしている間に刻一刻と時間が過ぎ、試験開始時間を越えてしまう。


「ナンバーは〇〇〇〇で……」

「その車は進行方向はどちらから?」

「こっちです……」



 やたらと時間のかかった聴取を終え、悠は全力疾走で試験会場へと向かっていた。


「はあ、はあ、はあ、い、急がないと……」

 汗ビッショリになり、途中で転び服も泥で汚れている。それでも悠は走り続けた。


 やっと試験会場に到着し、受付へと向かう。


「はあ、はあ……あ、あの、試験を……」


「申し訳ございません。ニ十分程度までの遅刻でしたら入場も可能なのですが、もう一時間以上遅刻していますので入場できません」


「そ、そんな……それじゃあ」

「失格になりますね」


 ――――――――




「どうしよう……」

 呆然とした悠が呟く。


 試験会場からの帰り道。転んで膝が破けたズボンと汚れた服のまま道を歩く。


「追試……はどうだったっけ? 電車の遅延とか災害だとあるよな? 事故の目撃だとどうなんだろ……?」


 途中にある小さな公園に入り、ブランコに腰かけた。


「ここ、懐かしいな……親が再婚して、この街に引っ越して来たばかりの頃、たまにここで遊んでいたな……」


 キコッキコッキコッ――

 ブランコを揺する。


「どんな顔して帰れば良いんだ……お姉ちゃん……あんなに応援してくれたのに。お姉ちゃんに合せる顔が無いよ…………」


 どれだけの時間が経ったのだろうか――――

 日が傾き辺りは薄暗くなっている。

 悠は、幼き日の記憶を思い出していた。


 あの頃は、一人寂しさを抱えて……

 他の幸せそうな人を羨んでばかりで……

 でも、そんな俺に幸せをくれたのはお姉ちゃんなんだ。


 あの日、初めて会った時から、俺を暖かく受け入れてくれたお姉ちゃん……

 今なら分かる……

 幸せの意味が……


 物やお金じゃなく……そりゃ、お金がないと生活はできないけど……でも、一番の幸せというのは、自分を受け入れてくれる人がいることなんだと思う……


 俺に、優しく温かい笑顔をくれるお姉ちゃんに……恩返しがしたかったのに……

 どうして俺は……

 肝心なところで……




 ガチャ――

「ただいま……」

 悠が帰宅し玄関のドアを開けた。


「おかえりユウ君…………って、ええっ! どうしたの、その恰好」


 すぐに顔を出した百合華が、悠のボロボロの服を見て驚いた。


「ううっ、うううっ……受験、失敗しちゃった」

「ええっ!」


 ダメだ……

 泣いちゃダメなのに……

 勝手に涙が……


 悠が、事のあらましを説明する。会場に向かい途中で高齢女性を助けたこと、警察の事情聴取で試験に遅刻したことを。


「大丈夫だよユウ君」

 ぎゅうぅぅ~っ!


 百合華が悠を抱きしめる。

 まるで凍り付いた心が解けていくような気がする。ただ、それだけで救われるような。そんな気がした。


「お姉ちゃん……」


「まだ終わったわけじゃないよ。追試を受けられるかもしれないから一緒に考えよっ。それに、そこでお婆さんを見捨てて行く人なら、きっと私は好きになっていなかったはずだよ。見ず知らずに人に優しくできるユウ君だから、きっと私は好きになったんだと思う」


「うううっ……お姉ちゃん……」


 百合華の胸に抱かれ、頭を撫でられる。

 それだけで全てが許された気がした。

 無条件の優しさをくれる人がいる幸せを感じながら。


「それに、大丈夫だよぉ。一浪くらいしても。もしもの時は、お姉ちゃんが養ってあげるからぁ~」


 悠をヒモにしようとする百合華。姉の愛は地球より重いようだ。


「うわぁ~ヒモだけはやめてぇーっ!」

「うふふ……ユウ君はぁ、一生他の女を近づけないよう部屋に監禁してぇ……」

「ヤンデレ過ぎるからっ!」


 途中から怪しくなる。

 冗談なのか本気なのか、悠を元気づけてくれているのかもしれない。ちょっとだけ願望が入っている気もしなくもないが。


 プルルルルルルルル、プルルルルルルルル――

 突然、悠のスマホに電話がかかってきた。


「えっ、誰だろ? 知らない番号だ」

 ピッ!

「はい、もしもし」


『明石さんの電話で宜しいでしょうか?』

「はい」

『私、〇〇と申しますが、交通事故に遭った母を助けて頂いたそうで』

「ああ、あの時のお婆さんの」


 どうやら電話の相手は事故に遭った高齢女性の息子らしい。お礼をしたいと言う女性に携帯番号を書いた紙を渡していたのを思い出す。


「お婆さんの怪我は?」


『はい、おかげさまで軽傷で済みました。明石さんのおかげです。あのまま路上に倒れていたら、後続の車に轢かれていたかもしれないと言われました』


「そうですか」


『犯人も捕まりました。これも明石さんが警察に犯人のナンバーを伝えてくれたおかげです』


「それは良かったです」


『それで、明石さんにぜひお礼をしたいのですが。あと、母の話によりますと、何やら急いでいたとか? 何か重要な用事が有ったのではと心配になりまして』


「実は――――」

 悠は受験の事を説明した。


『それは……何とも申し訳ないことを……それと、凄い偶然ですね……』


「えっ?」


『私、その大学の学長を務めさせておりまして。ぜひとも追試の手続きをいたしますので。よろしくお願いします』


「えっ、それでは……」


『はい、災害と同じく緊急の要件ですし、特別に配慮致しますので。いやぁ、それにしても、明石さんは素晴らしい若者ですな。昨今は、人が困っていても見て見ぬ振りする人が多い中、見ず知らずの人を助けるなどなかなかできるものではありません』


「は、はあ……」


 電話を切ってから茫然とする。

 まさかの展開だ。最悪の事態になったはずが、途中から大逆転になってしまった。まるで勝利の女神が背後霊に付いているかのように。


「えっと……なんか助かったみたい」

「良かったね、ユウ君」

「う、うん」

「やっぱり、ユウ君には、勝利の女神のお姉ちゃんが付いてるからだねっ!」

「自分で言うのか」


 勝利の女神のお姉ちゃんか……

 確かに、お姉ちゃんが付いていると凄い御利益がありそう…… お姉ちゃんと出会ってから、俺の人生は一変したんだから……


「お姉ちゃんって、本当に異世界から来たのかもしれないな。ずっと悪魔姉だと思っていたのに、実は女神姉だったのだろうか……?」


 途中から悠の心の声が漏れまくる。

 ダダ漏れだ。


「ふぅ~ん、ユウくぅ~ん…………ずっと悪魔姉だと思ってたんだぁ……」

 慈愛に満ちた女神のようだった百合華の顔が、ちょっとだけ迫力を増す。


「はっ、あれ? 心の声が漏れてた? いや、それは……」


「ユウ君、お姉ちゃん悲しいな。悪魔だと思われてたなんて」


「違っ、違うよ……天使……そう、お姉ちゃんは天使だよ」


「ふふっ、ユウ君、やっちゃったね。これは究極オシオキスペシャルだよねっ!」


「で、ですよね。そうなりますよね……」

 悠はオシオキを受け入れた。もう、全てのエチエチを受けきるしかない。


「じゃじゃーん! ユウ君のお顔と、お姉ちゃんのお尻が、朝まで強制密着パンツぅ~っ!」

 百合華が秘密のエチエチ道具を取り出す。

 ネーミングからしてアウトな一品だ。


「ああ……うちの姉が、夜なべして変態アイテムを作っていたかと思うと、何ともいえない複雑な気持ちになるぜ……」


「もうっ、冗談じゃないよ! ユウ君は心配ばっかりさせるんだから。ホント、ユウ君と一緒だとドキドキさせられてばかりで、気持ちがジェットコースターみたいに揺さぶられて、どんどんどんどん好きになっちゃうんだからぁ! 責任取ってよねっ!」


 責任を取らされて朝までオシオキになってしまう悠。とても口に出しては言えないような、恐ろしくも変態なオシオキが待っているようだ。


 また、いつものように無意識な悠の攻撃により、百合華の心を揺さぶり、ますます溺愛させてしまう恐ろしい義弟だった。

 姉を更にドスケベにしているのは自分だと全く気付いていない、罪作りな悠なのだ。


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